はじめに
私は、40歳で発達障害だと診断されました。
幼少期の頃に診断されていれば、成長とともに「色々と手立て」を講じることができたであろうと、今でもそう感じています。
自分が発達障害者だと自覚しながら成長するか・・・
自分が発達障害者だと知ることができず、定型発達者と偽られ、成長するか・・・
健常者と障害者とのズレ。
想像以上でした。
発達障害とわかった瞬間
よくインターネットで、発達障害者の方の意見や感想を掲載した記事を目にします。
最近多くなってきたのか、それとも自発的に探しているので記事が多いと思うようになっただけか、それはわかりません。
こういう記事を拝見する時、よく目にするのが「発達障害だと診断された瞬間、ホッとした」という感想です。
たしかに、今までに自身に起きていた「生きづらさ」の原因が自身の努力不足ではなく、先天性の障害にあったと判明し、そういう意味では『原因がはっきりした』という確証を得られたのですから。
しかし、私自身、ホッとすることはありませんでした。
むしろ、「今までの人生は何だったのか」と、その瞬間に思いました。
私の思っていた先天性の障害というのは、生まれた時から備わっている障害のことで、生まれた時から「その障害特性が目に見えてわかるものであり、両親もその子供が生まれたときから当然承知しているもの」というものでした。
だから・・・「子供である私の先天性の障害を両親が知らないのはおかしい」と瞬間的に思ったのです。
その思考から、両親は私の先天性の障害を知っていたにもかかわらず、私に発達障害者としての人生ではなく、単なる親のエゴで定型発達者としての人生を無理矢理歩ませたのだと。
そう思いました。
発達障害の特性があると診断された瞬間、私はこう思いました。
「両親よ、なんでおたくらは知らなかったの?」
「両親よ、なんでおたくらは『知ろうとしなかったの』?」
「両親よ、なんでおたくらは『見て見ぬフリ』をしていたの?」
それだけプラスアルファの苦労をしてきたから。
先天性の障害があることを見抜き、そして理解するのは、親のツトメです。
どんな事情があれ、どんな理由があれ、私に先天性の発達障害の特性があることを見抜けなかった両親を一生許すことはないでしょう。
そういう人間もいる・・・というお話でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!!
torao596