身体の不調や痛みを我慢して仕事をした、とか家事をこなしたとか何かをやり遂げたとか…
美談にしないでほしい。マジで。
そんな根性なんかクソくらえ。
今が無事なのは、めちゃくちゃ運が良かっただけですよ。
本人はそれで良いなんて言うけど
残された家族はキツイです。
頑張り過ぎた母を責めてるわけじゃない。
ただ…
生きててほしかった。
一緒にもっといろいろやりたかった。
旅行もしたかった。
ちゃんと親孝行したかった。
花嫁姿はまぁ…見せられなかったかもしれないけど。
母の友人と話していて、ちょっと思ったんだ。
自分が今の若者の考えや価値観にズレを感じるように、母世代の人も自分世代の考えや価値観を理解出来ない部分があると。今よりも昔の方が大変だったというくだらないプライド…みたいなものが邪魔をして新しいものを受け入れられなくなる。
「自分の若い頃はもっと〜だった」という感情が湧く。それは仕方ないことなんだろうな。だからと言って自分の意見を押し付けることはしたくない。人それぞれ育った環境、メンタルや体力の基準は違うのだから。
時代は変わってゆくもんだ。考え方も価値観も。
根性云々でどうこうなるもんじゃない。もともと“根性”って言葉は好きじゃないけど…ってか果たしてそれらを“根性”と呼んで良いのかどうか。“痩せ我慢”の間違いじゃないか、とも思う。
身体の不調があるなら病院に行ってほしいし、不調の原因をしっかり考えてほしい。生活習慣の改善、運動、食事等…やれることはある。
我慢して頑張ってる自分に酔ってない??
…っていう意地の悪い嫌味を言いたくなる。
大丈夫、これくらいの痛み!根性で乗り切る!っていう人が苦手なのはそういう理由。他人の意見を聞かず、結局自分自身を壊してしまう。或いは、他者にもそれを押しつけて誰かを壊してしまう。
壊れる前に、壊してしまう前に。
ちょっと立ち止まってほしかった。「大丈夫」じゃないことに気付いてほしかった。
長くなってしまったけど…
何が言いたいかというと…
あなたが居なくなったら、悲しむ人が必ず居るということです。壊れてゆく、消えてゆくのを見てるだけというのはあまりに残酷です。辛いです。救えなかった…何も出来なかった…いやもっと何か出来たかもしれない…自分のせいかもしれない…残された者はそれを一生抱えて生きていかなきゃいけないのです。
空っぽの亡骸は本当に冷たいです。
お骨になったら軽石みたいです。これが人だったとは到底思えない。
なんだか変な気持ちになって書き殴ってしまった…
みんな生きてくれ(^-^)