逆転優勝のためには勝ち続けるしかない阪神にとっては、痛い引き分けだった。名古屋ではヤクルトが勝っている。負けなかった、などと息がつけるほどの心の余裕はない。


問題はやはり、打線である。2試合続けてスタメン起用された坂本誠志郎がラッキーボーイのように、同点打に同点ソロと貴重な2打点をあげたが、後はつながらなかった。


9安打を放っているが、2死無走者からの安打が4本、1死無走者から1本、回の先頭が出た8回表も併殺打という悪循環だった。しかも、打順の巡りなど状況的に、切り札であるはずの「代走」のカードを切れない展開でもあった。


ただし、1週間前に書いたように「嘆き」の季節はとうに過ぎた。いまはすべて結果で、その結果を受けとめ、前を向くしかない。勝ち続けるしかないのである。


勝敗の決着がつくまでやる大リーガーたちは、日本のプロ野球で経験する引き分けについて「妹とのキス」「おふくろとのダンス」……などと表現する。「少しも興奮しない」というわけだ。


マスコミもよく、引き分け試合を徒労のように扱う。白黒がつかず、まるで無駄だったかのようだ。骨折り損のくたびれもうけ、というわけだ。


しかし「知の巨人」と呼ばれた批評家、小林秀雄が<骨折り損のくたぶれ儲けといふ事がある>として、次のように書いている。ちなみに<くたぶれ>は<くたびれ>と同じ意味だ。


<これは骨さへ折れば、悪くしたつてくたぶれ位は儲かるといふ意味である>。


苦労して得たのが「くたぶれ」、つまり疲労だけだったとしても、それを損だとは思わない。「くたぶれ」をもうけたではないか。そんな前向きな姿勢が見える。


小林はまた<過渡期でない歴史はない>とも書いている。前夜も書いたが、いまの阪神は「挑戦者」であるはずだ。本当の強豪チームになるための過程にいるわけだ。ならば、優勝争いという経験を大切にしなくてはならない。「骨折り損」にしてはならない。


「報われない努力はない」と監督・矢野燿大も信じている。西勇輝が2回途中で降板しても、その後を救援陣が無失点で踏ん張った。この「くたぶれ」はつまり経験だと言える。今後に必ず生きる。いや、生かさねばならない。


緊急登板だった馬場皐輔は後続を断った。新人・伊藤将司は初の救援起用に応え、3回をほぼ完璧な投球を見せたではないか。


エース(西勇)も4番(大山悠輔)も故障してしまったいま、この「くたぶれ」を財産にしたい。


最後に一つ。好リードの坂本は8回裏、ファウル打球がマスクを直撃した球審の脳振とうを気遣っていた。目配り、気配りのよく効いた所作だったと記しておきたい。