阪神の決勝点は幸運だった。1-1同点の7回表1死二塁、島田海吏の一ゴロが不規則バウンドで大きくはね、二塁打となった。野球では時に運が勝敗を左右する。


ヒーローインタビューで島田は「ベンチの思いとファンの声援があの打球を生んでくれた」と話した。その通り、思いがこもっての結果だろう。


「幸運は準備の残滓(残りかす)に過ぎない」と語ったのは大リーグ・ドジャースの名フロントマンだったブランチ・リッキーである。ジャッキー・ロビンソンを登用し大リーグ人種の壁を破るなど革新的なアイデアマンだった。


この点で阪神は決勝点を生む準備を整えていたと言える。島田が打席に向かう直前、無死一塁で坂本誠志郎が送りバントを決めていた。


たかがバント、と言うなかれ。阪神は1度、相手ヤクルトは2度バントを失敗している。優勝争いの直接対決で、しかも1点を争う重苦しい攻防だった。バントは難易度を増していた。


幸運と言えば、8回裏、中村悠平に浴びた左翼大飛球が左翼フェンス手前で捕球できたのは風の吹き方もあったろう。失速はロベルト・スアレスのツーシームが切れていたからだろうか。


いや、その前に岩崎優とスアレスの必勝継投2人を今季初めてイニングまたぎで起用した用兵が準備となって幸運を呼んだのかもしれない。島田も先発・秋山拓巳を代える時、ダブルスイッチで9番に入れていた巡り合わせがあった。


人事を尽くして天命を待つ、である。「人事」には「人間にできる事柄、人としてなすべきこと」といった意味がある。用兵の人事が運となってあらわれたのだろう。


前夜の敗戦で、阪神の自力優勝は消え、ヤクルトにマジックナンバーがともった。逆転優勝の望みが薄らぐなか、それでも「なすべきことをなす」という「人事」を尽くすのだ。


この夜は、1点を争う息詰まる熱戦で、優勝争いにふさわしい試合だった。まだまだ、阪神は生きている。そして幸運や勝利の女神は見放していない。


監督・矢野燿大の愛読書に喜多川泰の『運転者』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)がある。不運続きの主人公が不思議なタクシー運転手との出会いから幸運を手にしていく。運転手を「運を転がしてくれる人」として「運転者」と呼ぶ。


「人生にとって何がプラスで何がマイナスかなんて、それが起こっている時には誰にも分かりませんよ」と「運転者」が諭す。「どんなことが起こっても、起こったことを自分の人生において必要だった大切な経験にしていくこと、それが『生きる』ってことです」


運を運ぶのは自分なのだ。そして、野球場は運に満ちている。何でも起きる場所である。