鈴木誠也の一発は、まあ仕方ないか。金メダルに輝いた日本代表の4番だからなぁ。


ただ、ポロポロと出現する「E」はホント、困ったもんだ。ここは、ホームグラウンド。守り慣れているはずなのに。昨年来の最大の課題、守備は全く解消されることなく、シーズン終盤まできてしまった。


9日ぶりに戻ってきた甲子園。9月に入っても残暑厳しい本拠地での試合が続いていたが、さすがに空気は一気に秋らしくなってきたようだ。


「この時期のナイターはヒンヤリするケースもあるので、上着も持ってきています。準備に怠りなし。ですが、半袖でちょうどいい感じ。すごく快適なナイター取材です」


サブキャップ・新里公章の報告だが、この男の体感温度をどこまで信じていいか。微妙です。何といっても、南国・沖縄で生まれ育った、半袖大好きクン。テレビ画面のバックネット裏の観衆は、長袖確率50%ぐらいだ。今週は1週間、甲子園での戦いが続く。きょう以降、観戦予定のみなさま、服装は自身の直感を信じて、そして体調を崩さぬように。


さて、本日は、年に何度やってくるタイガース記念日の一つ。2005年9月29日、岡田監督が甲子園で宙を舞った。ことしの矢野阪神は、あの時以来の優勝を目指している。


新里サブキャップがまだ沖縄の高校3年生だった16年前。当時、岡田阪神を徹底取材した、わがサンスポ虎番をキャップで率いたのは、現編集局長・畑恵一郎だ。


「いい思い出しか残っていませんね。監督のさい配で勝つ試合が多かったような気がします」


シーズン後のある日、畑キャップは岡田監督に尋ねた。「試合中って、主にどこを見ていたのですか?」と。その答えが今も忘れられないという。


「相手監督の顔や。特に(中日の)落合監督。じ~っと見てたら、何となくサインとか、作戦が分かってきた。でも、シーズンの序盤、中盤は作戦が分かっていても知らん顔した。終盤の優勝を左右する大事な時期に、一気に利用したなぁ」


聞かされる内容の一つ一つが驚愕だった。たとえば、エンドランや盗塁の時に、読み切ってのピッチアウト。名将知将の探り合い、化かし合い。野球って、ここまで奥が深いんだ…。ゾクゾクしながら取材した日々が局長の脳裏によみがえってきた。


勝利の方程式「JFK」を作り上げた手腕は、今や伝説だが、それ以上に鮮明なのは、名ショートだった助っ人・シーツのファーストへのコンバートだったという。


「ファーストなんて打撃優先の助っ人の定位置だと思っていた僕には衝撃でしたね。ファースト守備を徹底的に重視して、そのシーツの守備で何度も救われたんです」


ナイターの阪神戦が始まる何時間も前の会話だったのだが、いざ、試合が始まると、ファーストの守備の重要性を再認識する試合になってしまった。マルテが五回に犯した、バント処理での悪送球。この失策が2点目に直結した。さすがに、シーツが守っていたら、とは言わないが、しっかり守れよ、とボヤキたくもなるというもの。


気になる他球場は…。ヤクルトは勝ったなぁ。ということは、この1敗がますます痛い。