桑原謙太朗投手(35)が20日、西宮市内で会見を開き、今季限りで現役を引退することを明かした。横浜、オリックス、阪神と3球団渡り歩いてきた苦労人が、今季いっぱいで14年間のプロ野球生活に終止符を打つ。


「不器用ながら、何とかプロ野球にしがみついてきた」と振り返り、「阪神さんにトレードで拾ってもらって、活躍できたことが何より良かったかなと思います」と感謝した。


引退を決意した理由、心に残る試合、金本前監督からの言葉など、桑原の引退会見内容は以下の通り。


-(あいさつ)。


桑原「このたび2021年で現役生活を終わることになりました。後悔はしていないですけど、悔いは多少残ったかなと思う野球人生でした。横浜で入団して、オリックスにトレードで、阪神さんにトレードで拾ってもらって、活躍できたことが何より良かったかなと思います」


-悔いが残ると。


桑原「自分の中ではやり切ったという思いが一番強いです。最後までちゃんと投げきりたかったなというのはある。そこは悔いが残っています」


-引退の原因は。


桑原「(四国IL・徳島との)練習試合に投げさせてもらって、ほとんどまともに投げられなかった。もう、ダメだなと思って決断しました」


-相談は。


桑原「家族には相談しました。お疲れさまという感じでしたね」


-もう少し投げてほしいとは。


桑原「もういいんじゃない?といった言葉はいただきました」


-肩と肘の痛みと闘った。


桑原「開幕1軍に残れた時点では良かったと思うんですけど、そこから思う通りには放れずに5月中旬ぐらいに抹消されて。ファームでもう1回頑張ろうと思っていたんですけど、肩肘ともに痛みを抱えながらやっていく中で、思い通りにはいかず、つらく感じだしたというのが一番の(引退の)理由です」


-9月まで踏ん張った。


桑原「最後まできちんと試合に投げて、どうなるか分からないですけど、幕が下りるか分からないところで、試合でちゃんと放りたかったというのは自分の中ではありました」


-17年には最優秀中継ぎ。


桑原「それまで何も活躍できず、鳴かず飛ばずでやってきて。金本監督の時に抜てきして頂いて。その意気に応えられたかは分からないですけど、自分の中では精いっぱいやったというのがあの年だったかなと思います。自分の中でも上出来以上ですね」


-ファンにはマウンドで逃げないで向かっていく姿が印象的。


桑原「当時、勝敗の大事なところで放らせていただいたんで。どうやって抑えてチームに貢献できるか、抑えてやるぞという強い気持ちだけで放ってました」


-金本前監督と連絡は。


桑原「連絡させていただいて、お疲れさま、当時はよく頑張ってくれたという言葉をいただきました」


-今月に入ってから。


桑原「そうですね」


-矢野監督には。


桑原「報告させていただきました。ケガして投げられなくなって、また投げられるようになった経緯が今後にプラスになっていくと思うから、それを今後に生かしてほしいと言葉をいただきました」


-3球団でプレーしたが、印象に残ったのは。


桑原「結果出たという試合じゃなかったですけど、17年のCSの、雨の中での登板が一番、印象深いですね。打たれた試合だったんですけど、なかなか経験できないところで投げたなという思いですね」


-悔しさ。


桑原「悔しさもありますけど、驚きですね」


-10年目で阪神でブレーク。この球団については。


桑原「入団当初、横浜でよく対戦して、強いというイメージで。来てから、ファンの方がすごいイメージ、すごいなあというイメージでした」


-甲子園球場で投げられるのが楽しみと。


桑原「リリーフカーでマウンドに上がる時にすごい応援してくれて、すごいんだなあという印象で最初、投げた記憶があります。当時、17年ですけど、いいところで放っている時に、頑張れみたいな感じで、声をかけてもらったのは覚えていますね」


-引退後の予定は。


桑原「これからゆっくり考えていきたいと思います。最後まできっちりとやってから考えたいと思います」


-1軍も優勝争いで首位に立っている。ブルペン陣に残したい思いは。


桑原「岩貞、岩崎両投手がいるんで、心配はしていないですけど。中継ぎという1つのチームとして、これからの阪神タイガースを盛り上げていってもらえたらなと思います」


-選手、スタッフに。


桑原「ぜひとも在籍中に優勝していただきたいなと思います」


-あらためてタイガースファンに。


桑原「7年間、応援ありがとうございました。1、2軍とも優勝争いしている中で、ファンの皆様の応援という力でこれからもタイガースを盛り上げていってほしいなと思います。これからも阪神タイガースを応援よろしくお願いします」


(その後の取材)


-桑原はどういう投手だったか。


桑原「不器用ながら、何とかプロ野球にしがみついてきたイメージですね」


-真っスラ、カットボールについて。


桑原「唯一無二ではないですけど、特殊球という形で14年間できたので、自分に感謝しています」


-金本監督、矢野監督から印象に残った言葉、エピソード。


桑原「17年の開幕当初に、いいところで抜てきしていただいて、『打たれても辛抱して使ってやる』、『頑張れ』と声かけてもらった時に、やらなきゃとすごい気持ちが出てきました」


-右肘の痛みとの闘いは。


桑原「肘自体は、18年のシーズン前からあって、1年間通して頑張れたんですけど、次の年だめだったんですけど。去年、また投げられるようになって。肘よりも肩の方が気になりだして。そっからずっと両方痛み抱えながらという感じ」


-その中で工夫したこと考えたこと。


桑原「投げられなくなって、またどうやったら投げられるのかなと、苦しみながら考えていた日々でしたね」