俳句の季語には入っていないけれど、野球界では「続投要請」の4文字熟語を聞くと、秋を感じてしまう。ことしも、どうやらそんな時期のようで…。


藤原オーナーが矢野監督に「来年もお願いしたい」と伝えた。これを公表。ビッグニュースだから、わがサンスポもド~ンと扱うことに。


「試合前に、負けても1面級の話題が飛び込んでくると、なんとなくホッとします」


トラ番キャップ・長友孝輔の『安堵感』は電話を通しても十分すぎるほど伝わってきた。


編集局内で一番エライ局長でもないし、その次の次ぐらいにエライ運動部長でもないのに、毎日毎日サンスポの1面を考えるプレッシャーを背負わされるトラ番キャップ。気持ちはよ~く分かる。


しかも、阪神の監督問題はややこしい。なのに、どこよりも先に報じろと厳命される。「続投要請」は、その道筋がはっきりするわけだから、トラ番キャップの心の内は、ピッカピカに晴れ渡るのだ。


ただ、実はこの「続投要請」ほど怪しげな、油断できない言葉もない。


「1つの節目ですよね。あとは、矢野監督の正式受諾が発表されて、スムーズに来季へ進んでくれれば、それでいいんです。万々歳です。ただ、タイガースなんで」


そう、タイガースなんで…。当番デスク席の阿部祐亮は過去に何度も「続投要請」の記事を書いてきた。もちろん、最終的には「受諾」を経て「続投決定」となるのだが、時には紆余曲折のシーズンがあったりする。決して油断は禁物なのだ。


2代目前の和田豊監督の頃。毎年毎年、続投要請がシーズン最終盤までずれ込んだ。ある年は「3位に入ってクライマックシリーズに出場することが条件」だった。ところが、別の年は「2位に入ってCS第1ステージの本拠地開催権を得ることが条件」。年によって、ハードルが上がったり、下がったり。当事者たちも大変だろうが、取材する方はもっと大変だった。


球団の歴史上、あってはならない大騒動に発展した1996年の藤田平監督の球団事務所9時間立てこもり事件。これも続投要請があったのか、なかったのか、が発端だった。


当時の球団社長が解任を通告したが、藤田監督が頑として首をタテに振らなかった。背景には、当時のオーナーと『口約束』があり、すでに翌年のチーム強化の話を進めていたからだった。「続投要請」を甘く見ると、とんでもないことになるのだ。


94年はもっとひどい。中村勝広監督の5年目のシーズン終盤。監督交代の記事が連日のように紙面に躍りまくった。業を煮やした阪神電鉄は沈静化を狙って、ある日突然、電撃的に続投要請。中村監督も「私でよければ」と快諾した。


ところが、その日を境にまさかの7連敗。『次期監督』が毎日毎日負け続けるわけで、「それでも続投か?」の見出しが紙面をにぎわし続けることに。切り札の「続投要請」も使い方を間違うと、とんでもないことになる。


でも、ことしは大丈夫。みました、高橋遥人の快投を。彼本来の投球をして、セ・リーグ後半戦首位の中日を沈黙させた。この男が、この先にローテに加われば、Vロードは視界良好。来季の矢野阪神をも明るく照らす。