先にあげたものの続きです。
彼が帰ったあと、私は一週間もしないうちに彼の元まで会いに行きました。会いたくて、寂しくて仕方なかったのです。
何せ一週間も一緒に生活を共にして、寝泊まりもしたのですから。彼の腕の中で眠るのは、例え場所が薄っぺらい布団だろうと、どんないいベッドで眠るより寝心地が良かったのです。
会いに行って、いつもの様に抱きしめあって、頭を撫でられて、沢山キスをしました。たった一週間、会えなかった時間を埋めるように。
それまでの間、LINEでの会話はなかなかのものでした。
彼がいた誕生日が幸せだったが故に、いない時間が耐えられなくて誕生日が嫌いになりそうと、そんなことも私はいいました。
そんな荒れる私に彼は、
「俺も会いたい。なんだこの彼女本当に可愛いな好き」
そう言ってくれるのです。本当に嬉しかったです。わがまますら可愛いと言って貰えるのが、全てを受け入れてくれているようで。
そして12月に入ってすぐ、私はいつものように彼に会いに行っていました。
その時、何を考えてかは覚えていませんが、彼の母に彼のことが好きだということを伝えようと思ったのです。
付き合っていることは言わないけれど、時が来たら付き合いたいとは伝えようと、そんなことだった気がします。
彼の母は一言
「今はまだだよね?よかった、ショタコンとかそういうので警察突き出さないといけなくなるから」
そう言われました。ああこれは、余計に言えないなと、そう思いました。
その覚悟の通り、隠し通していました。
しかし3月。とあることが起きました。
彼が家出をしたのです。逃げた先は、私の場所。当たり前です、他に行ける場所などないのですから。
話を聞くと、親がご飯をくれない。食費を頼むと、ならケータイ代を払えと怒鳴られた。自分で払うと言ったら、払わなかった時信用を失うのは母、払っているのは母だから、このスマホは母のものだと言われ取り上げられたと言うのです。
ちょっとさすがに、それは無いなと思いました。家を出たくなる気持ちもわかるなと。
彼の気持ちを尊重したくて、私は色々動きました。
程なくして彼の母が捜索願を出したと私に連絡をしてきました。私は素直に話しました、彼は私の場所にいると。
その後私は色んなところに相談をして、家に帰りたくないという彼の主張を何とかしてあげようと、児童相談所や警察に沢山掛け合いました。
その辺からでしょうね、私が彼の両親、ひいては家族全員から嫌われるようになったのは。
でも私は彼を愛していたので、それでも、辛い思いをさせられないと嫌われる覚悟で動き回りました。
結果は芳しくなく、彼は迎えに来た警察の車に乗せられ、地元に帰ることになりました。
そこで児童相談所に入るか否かを聞かれ、荷物検査をされたりしたそうです。
それが問題でしたね。彼のリュックの中には、あってはならない避妊具の空箱が入っていたのです。もちろん全員察します。
しかし彼はそれを逆手にとって、私と会えなくなるくらいなら死んでやる、会えなくなるならどんなに辛くても家に帰ると言ったそうです。
そうして彼は家に帰りました。警察から私に連絡も来ましたが、愛し合っていて、弄んでいる訳でもないために、グレーゾーンですがお咎めなしと、生活安全課の方から言われました。
ほんの少しだけ、私たちの関係が認められた気がして、辛いながら嬉しかったのを覚えています。
しかしそれは、彼の両親には違いました。
彼と通話を繋いだまま、彼は両親と話に行きました。そこで聞いたのはとてつもない罵倒、非難の嵐でした。
私は彼の貯金目当てで近づいただけだとか、寄生先をお前に変えようとしてるだけだとか。彼の父親が、そんなふうに彼に怒鳴りつけていました。私の連絡先を消せとも。
彼は泣きじゃくりながら否定して、必死に抵抗していました。
長い長い時間の末、私も彼の父と通話越しに話して、理解を得たように思えました。
コロナが落ち着いたら私のところに会いに行ってもいいよ、お金少しなら出してもいいよ、その代わり何時どのくらい行くのかはちゃんと言いなさい。そうしたら居られるだけ居てもいいから。
至って普通のことを、その時は言っていたと思います。
しかし時が経って、彼が会いに行きたいと言うと、どうして学生のお前か会いに行く、向こうがこい。居たいだけいていいなんて言ってない、証拠出してみろ、証拠出すの得意だろ。
血が繋がっていないとはいえ、育てた息子にそんなことを言っていました。
私はそれを聞いて、怒りと悲しみに震えました。
私は何度も会いに行くくらい好きなのに、愛しているのに、それを知らないくせに金目的だと思ってなんなんだ。
本当に悔しかったです。それと同時に、この両親からは一生理解が得られないことも悟りました。
その日からです、彼が18になって、2022年の4月を迎えて18歳が成人になったら、駆け落ち同然に籍を入れてしまおうと。
私の家族は、それにこそ理解は示しませんでしたが、私たちの関係は認めてくれていました。だからこそ、それならば片方の親くらいと思っていたのです。
彼もその日が待ち遠しいと、口癖のように言っていました。あと何ヶ月、なんてカウントダウンまでしながら。
そしてそのあたりからです、彼が余計に家が嫌になり、こっそり私に会いに来るようになったのは。
会いに来るようになり、帰るのが嫌になり、滞在期間が徐々に長くなり、ついには学校の日にしか帰らなくなっていました。
彼が親になんと言って誤魔化していたのかは知りません。ですが最近では、生きていて連絡さえくれればいいと言われるほど、容認されていたそうです。
彼が18を迎えた後の7月下旬。居候していた同級生と私たちは、徐々に不仲になりました。一緒にいると悪いところが見えてくるが故です。同級生が根っからの悪人だとは今も昔も思ってはいません。
それから彼は、ここをでて二人で暮らしたいと口々に言うようになりました。
しかし情けないことに、私には家を借りるだけのお金がありません。だからごめんねと、出ていけないんだよと、そう言っていました。
その頃には1匹の猫ちゃんもいました。5月上旬に彼と共に、彼の地元に行く時に拾った捨て猫ちゃんでした。
彼は、彼に懐いた子猫に対して
「この子は目が見えてる、捨てられる瞬間を見てる。見殺しにできない、俺が責任もって育てるから、連れて帰る」
そう言って連れて帰って来ていました。
7月にもなると、子猫もそこそこ大きくなり、鳴くようにもなって、同級生の家はペット禁止で、出ていかないととは私も思っていました。
ですがどれだけ考えても、先立つものがありません。
そんな私に彼は、進学のための貯金を使うと言ったのです。もちろん猛反対しました。学生のあなたがそこまですることない、それこそお金目的と言われたら言い返せなくなってしまうと。
でも彼は、俺がそうしたいから、進学も親に言われただけで俺が行きたいわけではなかったしと、家探しを始めようと言い出したのです。
そして見つけた、ペット可の2DK。色々あって、ここにたどり着きました。その日のうちに内見に行き、その日のうちに契約書に判を押しました。最後まで私は金銭のことで渋っていました。
だって彼は住所を移動させられない、名義は全部私。それなのにお金だけ彼に出させるなんて、彼女としても社会人としても失格だと思ったのです。
でも、俺がそうしたかったからだよ、二人になりたかったからだよと、彼はずっと私を励ましました。
ごめんねと、情けなくて何度も謝りました。
「謝って欲しくてやったわけじゃない。それなら、どうせならありがとうって言われたい。だからこれ以上謝るなら怒るよ」
そう言われてしまっては、何も言えませんでした。
7月下旬から、二人と一匹の生活が始まりました。
とても幸せで、お金が無くても彼がいればそれでいい。今まで努力が大嫌いだった私が、彼に「大丈夫、俺がそばにいるから」と言われるだけで自分を奮い立たせて、弱音を吐きながらも頑張りました。
毎日朝早くから仕事に出て、夜遅くに帰ってくる私に、彼は毎朝私より早く起きてお弁当を作って、〇〇(大分前からはもう名前で呼ばれていた)朝だよと、起こしてくれて。
帰ってくればおかえり、お疲れ様、よく頑張ったね。
寝る時は腕枕をしてくれて、腕を広げて、おいでと言ってくれた。私が眠るまでぎゅっと抱きしめて、頭をずっと撫でてくれた。
私が残業をして、疲れて帰ってきて、眠くて仕方がない時、ご飯もつくらないといけないのにと言うと
「いいから寝ろ、あとのことは俺がやっておくから、大丈夫だから」
そう言って寝かしつけられてしまいました。彼がそうしてくれなければ、きっと私はほとんど夕飯を食べてはいないでしょう。
彼はその合間に、学校から出された大量のレポートや、朝7時から7時間勤務のバイトをこなしていたのにも関わらずです。
本当に私を愛してくれていたと、私のことを最優先にしてくれていたと、胸を張って言えます。
逆に、私は何かを返せていたかと、とても不安になります。
〇〇の前でだけだよ、こんなに笑えるのは。
〇〇で本当に良かった。
そんなことを言って貰えるほど何かをできていたか聞かれれば、全く自信が無いです。
そのくらい、私は愛されていました。
そんな生活がずっと続けば、厳しい金銭状況でも頑張れる、そう思っていました。
しかしそんな生活は、4ヶ月を迎える前に終わりました。
丁度先週、私が愛した、私を愛してくれた、何よりも大切な彼が、私が到底届かないところに旅立ちました。
交通事故でした。車に跳ねられ、頭を打って、救急車が来た時には心臓も止まって、呼吸もしていなかったそうです。
喧嘩別れでした。彼は私に、ごめんねも言わせてくれぬまま、酷い言葉をかけたまま、寂しげな後ろ姿を最後に逝ってしまいました。
あの日も、彼の学校のために一緒に彼の地元に行っていました。ですがあの日は私の偏頭痛が酷く、大丈夫といつもの様に彼が声をかけてくれない事に腹を立て、運転だけしてほとんど口を聞かなかったのです。
そしてとある場所に送ってくれと言われた時に、私は、私のことをドライバーとしか思ってないのかと、そんな心無い言葉を投げました。
それを聞いた彼は、私にそう思われたくないからと、徒歩1時間もかかる距離を歩いていったのです。
その帰り道に、車に跳ねられたそうです。
私たちはお互いに位置情報を共有していました。あと30分で着くと言われてから10分後、それまでしていたLINEも既読がつかなくなり、位置情報が全く動かなくなりました。
喧嘩していても不安になった私は、待っていた場所を移動し、徒歩でその場所まで向かいました。もし親と話していたら、車だと目立ってしまう、そう思ったからです。
LINE通話をかけても出ない。充電が切れたのかな、だから位置も動かないのかな。そうおもって直電をかけました。耳元でなるコール音。スマホの電源は入っていました。
何かあったのか、焦りながら位置情報の場所まで向かいます。合流したら、喧嘩していたことなんて忘れて抱きつこう、心配したっていっぱい泣こう、そう思いながら歩きました。
道は街灯もほとんど無く、真っ暗でした。スマホの懐中電灯をつけて歩かないと、足元も怪しいくらいに。
そして近づくにつれてなにか見えてきます。複数のパトランプ、それも事故の時に見る黄色いもの。
遠くから見て、彼の位置情報の場所に見えました。違う、そんなわけない。きっと事故を目撃して事情聴取でもしているんだ。そう思いながら足をはやめました。
近くに行くと、やはり事故でした。おびただしい血溜まりと、飛び立った車の破片。思い切りヘッドライトやフレームの歪んだ車。どれだけ大きな事故かなんて、一目でわかりました。
血溜まりを見て、心臓が早くなりました。位置情報は間違いなくここです。きっと彼じゃない、話をしているだけだ。そう思いながらさらに近づきました。
そこに落ちていたのは、先日私が買ってあげたばかりの、彼のスニーカーでした。
膝から崩れ落ちるとはああいうのを言うのだなと、初めて経験しました。関係者ですかと駆け寄ってくる現場検証中の警察官。
知り合いの位置情報がここなんですと伝えると、名前はと聞かれて、彼の名前を伝えると、人身事故ですと。
ごめんなさい、これ以上は書きたくないです。辛くて、今も指が震えます。
私との関係を全て説明して、搬送先を聞きました。身内じゃないからと断られました。
容態を聞きました。身内じゃないからと断られました。大きな事故なのは間違いないとだけ言われました。
聞いたことは全て、身内じゃないからと断られました。何か必要があれば連絡するからと、私の連絡先を控えられました。
私の知りたいことは何も聞けないまま、現場の立ち会いだけさせられました。ここに倒れていたとか、これは直前にきていたものですかとか見覚えのあるものしかないんです。
本当に彼だと理解するしかありませんでした。でも何も出来ない、親と不仲の私はここにいることさえ許されない。だから連絡も取れない。
彼は無事だと信じて、私は車に戻りました。家族や職場や、彼の職場に電話をかけて事情を説明しました。色んな人に、大丈夫だから気をしっかりと声をかけられました。
それから数分後です。彼の母がSNSで、彼が亡くなったことを報告していました。叫びました。嘘だと、そんなわけないと、彼は私を一人にしないと。
そこからの記憶はあまりありません。とにかく家族がむかえにきて、気づけば私は実家にいました。
警察から連絡はきませんでした。
彼の家族に嫌われている私は、最後に顔を見ることも、お別れを言うことも、お通夜に出ることも、お葬式に出ることも、お墓参りにいくこともできません。
電話もしました、二度と連絡してくるなと言われました。
彼の母からA子さん伝いに、家に来て線香をあげに来ることも絶対にしないでくれと言われました。
私は、直前まで彼が暮らしていた痕跡がありすぎる、彼の残した家と、自分たちの娘同然の猫ちゃんだけを残されて、生きる意味を失いました。
俺のために生きてくれと言われてから、私は本当にその為だけに生きてきました。
親には死ぬなと言われました。自殺騒動で警察沙汰にもなりました。それでも何も響かないんです。
私の時間はあの日のまま止まっています。進むための方法も見つかりません。
彼が残した家を捨てたくありません。猫ちゃんも捨てたくありません。
でも一人であの家で生きていくには辛すぎて、何も考えられません。
私のあの一言がなければ、私があの時一緒に車で行っていれば。私が彼を。
そんな重みに耐えられるほど私は強くありません。
どうやってこれから生きていくかも、生きていけるかも何も分かりません。
それでも、少しでも、私たちが愛し合っていたと知ってもらえればと、書きました。
確かに私たちは愛し合っていて、二人で生きる未来を夢見ていたのだと、一人でも多くの人に分かってもらいたくて、書きました。
心の整理はまだつきません。それを支えてくれた彼は、もういないから。

彼が帰ったあと、私は一週間もしないうちに彼の元まで会いに行きました。会いたくて、寂しくて仕方なかったのです。
何せ一週間も一緒に生活を共にして、寝泊まりもしたのですから。彼の腕の中で眠るのは、例え場所が薄っぺらい布団だろうと、どんないいベッドで眠るより寝心地が良かったのです。
会いに行って、いつもの様に抱きしめあって、頭を撫でられて、沢山キスをしました。たった一週間、会えなかった時間を埋めるように。
それまでの間、LINEでの会話はなかなかのものでした。
彼がいた誕生日が幸せだったが故に、いない時間が耐えられなくて誕生日が嫌いになりそうと、そんなことも私はいいました。
そんな荒れる私に彼は、
「俺も会いたい。なんだこの彼女本当に可愛いな好き」
そう言ってくれるのです。本当に嬉しかったです。わがまますら可愛いと言って貰えるのが、全てを受け入れてくれているようで。
そして12月に入ってすぐ、私はいつものように彼に会いに行っていました。
その時、何を考えてかは覚えていませんが、彼の母に彼のことが好きだということを伝えようと思ったのです。
付き合っていることは言わないけれど、時が来たら付き合いたいとは伝えようと、そんなことだった気がします。
彼の母は一言
「今はまだだよね?よかった、ショタコンとかそういうので警察突き出さないといけなくなるから」
そう言われました。ああこれは、余計に言えないなと、そう思いました。
その覚悟の通り、隠し通していました。
しかし3月。とあることが起きました。
彼が家出をしたのです。逃げた先は、私の場所。当たり前です、他に行ける場所などないのですから。
話を聞くと、親がご飯をくれない。食費を頼むと、ならケータイ代を払えと怒鳴られた。自分で払うと言ったら、払わなかった時信用を失うのは母、払っているのは母だから、このスマホは母のものだと言われ取り上げられたと言うのです。
ちょっとさすがに、それは無いなと思いました。家を出たくなる気持ちもわかるなと。
彼の気持ちを尊重したくて、私は色々動きました。
程なくして彼の母が捜索願を出したと私に連絡をしてきました。私は素直に話しました、彼は私の場所にいると。
その後私は色んなところに相談をして、家に帰りたくないという彼の主張を何とかしてあげようと、児童相談所や警察に沢山掛け合いました。
その辺からでしょうね、私が彼の両親、ひいては家族全員から嫌われるようになったのは。
でも私は彼を愛していたので、それでも、辛い思いをさせられないと嫌われる覚悟で動き回りました。
結果は芳しくなく、彼は迎えに来た警察の車に乗せられ、地元に帰ることになりました。
そこで児童相談所に入るか否かを聞かれ、荷物検査をされたりしたそうです。
それが問題でしたね。彼のリュックの中には、あってはならない避妊具の空箱が入っていたのです。もちろん全員察します。
しかし彼はそれを逆手にとって、私と会えなくなるくらいなら死んでやる、会えなくなるならどんなに辛くても家に帰ると言ったそうです。
そうして彼は家に帰りました。警察から私に連絡も来ましたが、愛し合っていて、弄んでいる訳でもないために、グレーゾーンですがお咎めなしと、生活安全課の方から言われました。
ほんの少しだけ、私たちの関係が認められた気がして、辛いながら嬉しかったのを覚えています。
しかしそれは、彼の両親には違いました。
彼と通話を繋いだまま、彼は両親と話に行きました。そこで聞いたのはとてつもない罵倒、非難の嵐でした。
私は彼の貯金目当てで近づいただけだとか、寄生先をお前に変えようとしてるだけだとか。彼の父親が、そんなふうに彼に怒鳴りつけていました。私の連絡先を消せとも。
彼は泣きじゃくりながら否定して、必死に抵抗していました。
長い長い時間の末、私も彼の父と通話越しに話して、理解を得たように思えました。
コロナが落ち着いたら私のところに会いに行ってもいいよ、お金少しなら出してもいいよ、その代わり何時どのくらい行くのかはちゃんと言いなさい。そうしたら居られるだけ居てもいいから。
至って普通のことを、その時は言っていたと思います。
しかし時が経って、彼が会いに行きたいと言うと、どうして学生のお前か会いに行く、向こうがこい。居たいだけいていいなんて言ってない、証拠出してみろ、証拠出すの得意だろ。
血が繋がっていないとはいえ、育てた息子にそんなことを言っていました。
私はそれを聞いて、怒りと悲しみに震えました。
私は何度も会いに行くくらい好きなのに、愛しているのに、それを知らないくせに金目的だと思ってなんなんだ。
本当に悔しかったです。それと同時に、この両親からは一生理解が得られないことも悟りました。
その日からです、彼が18になって、2022年の4月を迎えて18歳が成人になったら、駆け落ち同然に籍を入れてしまおうと。
私の家族は、それにこそ理解は示しませんでしたが、私たちの関係は認めてくれていました。だからこそ、それならば片方の親くらいと思っていたのです。
彼もその日が待ち遠しいと、口癖のように言っていました。あと何ヶ月、なんてカウントダウンまでしながら。
そしてそのあたりからです、彼が余計に家が嫌になり、こっそり私に会いに来るようになったのは。
会いに来るようになり、帰るのが嫌になり、滞在期間が徐々に長くなり、ついには学校の日にしか帰らなくなっていました。
彼が親になんと言って誤魔化していたのかは知りません。ですが最近では、生きていて連絡さえくれればいいと言われるほど、容認されていたそうです。
彼が18を迎えた後の7月下旬。居候していた同級生と私たちは、徐々に不仲になりました。一緒にいると悪いところが見えてくるが故です。同級生が根っからの悪人だとは今も昔も思ってはいません。
それから彼は、ここをでて二人で暮らしたいと口々に言うようになりました。
しかし情けないことに、私には家を借りるだけのお金がありません。だからごめんねと、出ていけないんだよと、そう言っていました。
その頃には1匹の猫ちゃんもいました。5月上旬に彼と共に、彼の地元に行く時に拾った捨て猫ちゃんでした。
彼は、彼に懐いた子猫に対して
「この子は目が見えてる、捨てられる瞬間を見てる。見殺しにできない、俺が責任もって育てるから、連れて帰る」
そう言って連れて帰って来ていました。
7月にもなると、子猫もそこそこ大きくなり、鳴くようにもなって、同級生の家はペット禁止で、出ていかないととは私も思っていました。
ですがどれだけ考えても、先立つものがありません。
そんな私に彼は、進学のための貯金を使うと言ったのです。もちろん猛反対しました。学生のあなたがそこまですることない、それこそお金目的と言われたら言い返せなくなってしまうと。
でも彼は、俺がそうしたいから、進学も親に言われただけで俺が行きたいわけではなかったしと、家探しを始めようと言い出したのです。
そして見つけた、ペット可の2DK。色々あって、ここにたどり着きました。その日のうちに内見に行き、その日のうちに契約書に判を押しました。最後まで私は金銭のことで渋っていました。
だって彼は住所を移動させられない、名義は全部私。それなのにお金だけ彼に出させるなんて、彼女としても社会人としても失格だと思ったのです。
でも、俺がそうしたかったからだよ、二人になりたかったからだよと、彼はずっと私を励ましました。
ごめんねと、情けなくて何度も謝りました。
「謝って欲しくてやったわけじゃない。それなら、どうせならありがとうって言われたい。だからこれ以上謝るなら怒るよ」
そう言われてしまっては、何も言えませんでした。
7月下旬から、二人と一匹の生活が始まりました。
とても幸せで、お金が無くても彼がいればそれでいい。今まで努力が大嫌いだった私が、彼に「大丈夫、俺がそばにいるから」と言われるだけで自分を奮い立たせて、弱音を吐きながらも頑張りました。
毎日朝早くから仕事に出て、夜遅くに帰ってくる私に、彼は毎朝私より早く起きてお弁当を作って、〇〇(大分前からはもう名前で呼ばれていた)朝だよと、起こしてくれて。
帰ってくればおかえり、お疲れ様、よく頑張ったね。
寝る時は腕枕をしてくれて、腕を広げて、おいでと言ってくれた。私が眠るまでぎゅっと抱きしめて、頭をずっと撫でてくれた。
私が残業をして、疲れて帰ってきて、眠くて仕方がない時、ご飯もつくらないといけないのにと言うと
「いいから寝ろ、あとのことは俺がやっておくから、大丈夫だから」
そう言って寝かしつけられてしまいました。彼がそうしてくれなければ、きっと私はほとんど夕飯を食べてはいないでしょう。
彼はその合間に、学校から出された大量のレポートや、朝7時から7時間勤務のバイトをこなしていたのにも関わらずです。
本当に私を愛してくれていたと、私のことを最優先にしてくれていたと、胸を張って言えます。
逆に、私は何かを返せていたかと、とても不安になります。
〇〇の前でだけだよ、こんなに笑えるのは。
〇〇で本当に良かった。
そんなことを言って貰えるほど何かをできていたか聞かれれば、全く自信が無いです。
そのくらい、私は愛されていました。
そんな生活がずっと続けば、厳しい金銭状況でも頑張れる、そう思っていました。
しかしそんな生活は、4ヶ月を迎える前に終わりました。
丁度先週、私が愛した、私を愛してくれた、何よりも大切な彼が、私が到底届かないところに旅立ちました。
交通事故でした。車に跳ねられ、頭を打って、救急車が来た時には心臓も止まって、呼吸もしていなかったそうです。
喧嘩別れでした。彼は私に、ごめんねも言わせてくれぬまま、酷い言葉をかけたまま、寂しげな後ろ姿を最後に逝ってしまいました。
あの日も、彼の学校のために一緒に彼の地元に行っていました。ですがあの日は私の偏頭痛が酷く、大丈夫といつもの様に彼が声をかけてくれない事に腹を立て、運転だけしてほとんど口を聞かなかったのです。
そしてとある場所に送ってくれと言われた時に、私は、私のことをドライバーとしか思ってないのかと、そんな心無い言葉を投げました。
それを聞いた彼は、私にそう思われたくないからと、徒歩1時間もかかる距離を歩いていったのです。
その帰り道に、車に跳ねられたそうです。
私たちはお互いに位置情報を共有していました。あと30分で着くと言われてから10分後、それまでしていたLINEも既読がつかなくなり、位置情報が全く動かなくなりました。
喧嘩していても不安になった私は、待っていた場所を移動し、徒歩でその場所まで向かいました。もし親と話していたら、車だと目立ってしまう、そう思ったからです。
LINE通話をかけても出ない。充電が切れたのかな、だから位置も動かないのかな。そうおもって直電をかけました。耳元でなるコール音。スマホの電源は入っていました。
何かあったのか、焦りながら位置情報の場所まで向かいます。合流したら、喧嘩していたことなんて忘れて抱きつこう、心配したっていっぱい泣こう、そう思いながら歩きました。
道は街灯もほとんど無く、真っ暗でした。スマホの懐中電灯をつけて歩かないと、足元も怪しいくらいに。
そして近づくにつれてなにか見えてきます。複数のパトランプ、それも事故の時に見る黄色いもの。
遠くから見て、彼の位置情報の場所に見えました。違う、そんなわけない。きっと事故を目撃して事情聴取でもしているんだ。そう思いながら足をはやめました。
近くに行くと、やはり事故でした。おびただしい血溜まりと、飛び立った車の破片。思い切りヘッドライトやフレームの歪んだ車。どれだけ大きな事故かなんて、一目でわかりました。
血溜まりを見て、心臓が早くなりました。位置情報は間違いなくここです。きっと彼じゃない、話をしているだけだ。そう思いながらさらに近づきました。
そこに落ちていたのは、先日私が買ってあげたばかりの、彼のスニーカーでした。
膝から崩れ落ちるとはああいうのを言うのだなと、初めて経験しました。関係者ですかと駆け寄ってくる現場検証中の警察官。
知り合いの位置情報がここなんですと伝えると、名前はと聞かれて、彼の名前を伝えると、人身事故ですと。
ごめんなさい、これ以上は書きたくないです。辛くて、今も指が震えます。
私との関係を全て説明して、搬送先を聞きました。身内じゃないからと断られました。
容態を聞きました。身内じゃないからと断られました。大きな事故なのは間違いないとだけ言われました。
聞いたことは全て、身内じゃないからと断られました。何か必要があれば連絡するからと、私の連絡先を控えられました。
私の知りたいことは何も聞けないまま、現場の立ち会いだけさせられました。ここに倒れていたとか、これは直前にきていたものですかとか見覚えのあるものしかないんです。
本当に彼だと理解するしかありませんでした。でも何も出来ない、親と不仲の私はここにいることさえ許されない。だから連絡も取れない。
彼は無事だと信じて、私は車に戻りました。家族や職場や、彼の職場に電話をかけて事情を説明しました。色んな人に、大丈夫だから気をしっかりと声をかけられました。
それから数分後です。彼の母がSNSで、彼が亡くなったことを報告していました。叫びました。嘘だと、そんなわけないと、彼は私を一人にしないと。
そこからの記憶はあまりありません。とにかく家族がむかえにきて、気づけば私は実家にいました。
警察から連絡はきませんでした。
彼の家族に嫌われている私は、最後に顔を見ることも、お別れを言うことも、お通夜に出ることも、お葬式に出ることも、お墓参りにいくこともできません。
電話もしました、二度と連絡してくるなと言われました。
彼の母からA子さん伝いに、家に来て線香をあげに来ることも絶対にしないでくれと言われました。
私は、直前まで彼が暮らしていた痕跡がありすぎる、彼の残した家と、自分たちの娘同然の猫ちゃんだけを残されて、生きる意味を失いました。
俺のために生きてくれと言われてから、私は本当にその為だけに生きてきました。
親には死ぬなと言われました。自殺騒動で警察沙汰にもなりました。それでも何も響かないんです。
私の時間はあの日のまま止まっています。進むための方法も見つかりません。
彼が残した家を捨てたくありません。猫ちゃんも捨てたくありません。
でも一人であの家で生きていくには辛すぎて、何も考えられません。
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確かに私たちは愛し合っていて、二人で生きる未来を夢見ていたのだと、一人でも多くの人に分かってもらいたくて、書きました。
心の整理はまだつきません。それを支えてくれた彼は、もういないから。
