この前結構長めに書いた記事を消してしまっていて、うげー。となってから書くのをやめていた。。
我ながらわかりやすい三日坊主。

まぁいっか。

今日はね、裸よ、ららら。

私は昔から世の中はいい人ばかりで、悪い人は中々居ないし本当に悪い人は実はいない、と思っていた。

でもその度に肩透かしに遭うようなガクンと来るような事が積み重なり、最近、世の中はいい人ばかりではない。
という考えに変化した。

まだ変われてないところもあるけれどいい意味で期待をしないようにしようと心がけてる。

実際どうかなんて統計もとれないだろうし、第一基準がわからない。
だから結局は自分のさじ加減なんだけども。。

どこかでまだ期待をしてるから臭いものに蓋をしてどれだけ臭くてもいい臭いのする所を探す事、それこそがいい事だと思ってた。

でも臭いものを臭いと言う事が悪なのかと問われたら今はそんな事ないと思う。

逆に思っていながら口からデマカセ言ってたら自分の気持ちがどうだったかを失って段々作った自分で生きていくようになる。

だから今ハッキリ思う、くそはくそなのだと認める事が大切だと。

いついつ◯◯してくれたから、いついつお世話になったから。。
私の中には義理人情が大きくあって、それはまあ父親のヤクザ映画や族漫画、ヤンキー漫画の影響と育ってきた下町という環境にも関係しているのかもしれない。

この義理人情、一見美しく温かいが、最近はとても残酷で自由な思考を奪いがんじがらめにするものだと感じる。

悪く言えば昔の借りをずっと返し続けなければならないし、借りを返し終わっても返さなきゃいけない永遠の精神的借金だと思う。

私は幼い頃から多数決を取るとしたら自分は完全に大多数側の人間なんだと思っていたけれど、ここ数年恐らく色んな多数決でマイノリティだ。

それが良いも悪いもないけれど。

でもだから一般的な社会人と言われるサラリーマン、OLにならなかったんだと思う。

多分上司でも間違ってたらおかしいとすぐ言って煙たがられるだろうし、胡座をかいてるような地位の高い奴におべっかを使う事も出来ない。

謂わば社会不適合者。

そんな私が臭いものに蓋をしてきた事はただの忍耐で身体に心に脳にそれはそれは不健康だった。

だからここ最近は色んな物事にドライになった。

迎合して気に入られる、気を使って仲良くなる位ならそんな仲はくそくらえだと。

だって年上が正しい訳でもなければ社長が正しい訳でも親が正しい訳でもない。

そのジャッジは自分の芯でしっかり持っておくものであり、そういう外側に惑わされずに本質を見抜く目が必要なのだ。

とはいえ、私は話しかけられたら大抵いい人と思ってしまうし恩義を感じたら尽くそう恩返ししたいと強く思い続けてしまう、なんなら騙される事だってあるだろう。

でもそれを無理に抑えるのではなく、それをすべきに値する人間かどうかを判断する心を育てようという事。

既に取捨選択をしているが2年前位と比べると一気に捨てた。寂しい?いや断捨離したんだと思うとすっきりするし足かせが取れたのだと思うとせいせいする。

いやいや!寅人めちゃくちゃ病んでるな!

そーいう事じゃないんだよな。
喘息持ちだし風邪結構引くけどね。
あと貧血もあるし低血圧、肺炎もかかりました。

少し切り込んだ事に向くとその度に病んでる、迷走してる、大丈夫か?
なんていう奴がいる。

自分の事は棚に上げて人の行動にとやかくやんややんや言いたいだけの人。
もったいないぜ。と思う。
そんなに人見るパワーあるなら自分の好きな事に生かしなさいよ。

マイナスを育てたって何も咲かない。

器の小さな人間はとても多くて、でもその多くは恐らくコンプレックスを人よりも多く抱えてる人なのかもしれない。

強く見せて虚勢を張るのは弱さを見られたくなかったり、自分が劣っている事を認めたくないから。

でもそんな事してつまらない人間にはなりたくない!

だからこれからはいくら削ぎ落ちていったとしても自分の本物だけを残す。

人の細かい動作に気づく自分がとても嫌だったけれどこれからは特技として見極めに使っていく。

わかってないのに全てわかるよみたいな顔した中身からっぽの奴も、これ優しいだろと言わんばかりに見せかけの優しさしかない冷たい人間も、最初だけ優しくて疲れたら自分都合の野郎も説教する事で優位に立ってると勘違いするバカもこれからはプイッてする。

今日は便がよく出るせいか、つい弁じてしまいました。
べんべんっ。
ちなみに一番好きなべんは和田勉です。