**パンドラの箱**
~ふたりで開ける未来~
並べたカップに熱い紅茶を注ぎ、キャンディが吐息混じりに呟く。
「あの頃はまだ、知らなかったの…」
「うん?」
「あなたとの未来が、永遠に続くものだと…。そう信じて疑わなかったわ。まるで子どもみたいに…」
「おれだって、同じだよ」
でも、あの時のあなたはまるで───
テーブルの上には、思い出のパンドラの箱…。
「ねえ、テリィ…」
ふと思い出したように、キャンディはその疑問を口にした。
「この箱の中には元々、何が入っていたの?」
「ガラス細工の…天馬。ペガサスさ」
「ペガサス!そういえばあなた、馬が好きだったわよね」
「まあね。けど…ちょっと違うな。馬が好き、って言うより、きみのことが好きだったから、が正しいかな」
テリィはさらりとそう返した。
「…えっ!?」
「なんだ?また何か変なこと言ったか?」
肩をすくめて笑う仕草は、昔と変わらない。
速くなる胸の鼓動に合わせ、キャンディは頭をふるふると横に振った。
「今だから言うけど…」
テリィはそう前置きすると、懐かしむような目をして語りだした。
そのペガサスの置物は、ロンドンの旧市街の露店で偶然出会い、一目で恋におちたものだという。
誇り高く広げられた白い翼と、天空を翔る瑞々しい躍動感…。
それらの繊細で美しい造形に目を奪われ、思わず足を止めていた。
そして何よりも彼の心臓を射抜いていたのは、宝石のように煌めく、緑色の瞳…。
理由はまだある。ペガサスという名前の意味に因む泉には、古来より浄化と癒しの力があるとされていること。
まるで、そう…。
「きみの化身じゃないかと、そう思った」
「そんなこと言われると、なんだかくすぐったいわ」
微笑んで言うと、キャンディは話の続きをねだった。
「話してもいいが……」
その声に一抹の影がおちたことに、キャンディはすぐに気付いた。
「どうしたの?」
「そいつはもう、どこにも存在しない」
「…」
「だけどきみはちゃんとここにいる。今のおれには、それが全てなんだ」
「…なにがあったのか、聞かせてくれる?」
「……おれが、壊した…」
意図せず、声がかすれた。
キャンディの心臓が、トクンと音を立てる。
「壊した…の?」
「不注意だったんだ…。だがそれでも、おれ自身が壊した、その事実に変わりはない。…あの日、きみにこの箱を預けた日のことだ」
そしてテリィは、静かにカップを置いた。
「ここからは少し重たく感じるかもしれない。それでも、聞きたいか?」
キャンディは黙って頷いた…。
* その日は、学院に父であるグランチェスター公爵が訪ねてきていた。
交わることもなく、平行線をたどるだけの、温度のない口論。それは、いつものことだ。
だがこの日は、
《テリィをアメリカに返してほしい》
エレノアからの思いもよらない打診があったことが、更に父の憂鬱を増幅させていた。
その過程で、父が苦々しげに言った。
「──愛だと?そんなものを手に入れてどうなる。失ったときには、それは憎しみにも穢れにも姿を変え、苦痛だけを与える…。パンドラの箱を開けるようなものだ」
まるで父自身の過ちを仄めかすようなその言葉は、心の奥で燻っていたものを深くえぐり出した。
父にとっての自分は、やはり穢れの象徴でしかないのか…。
別に親の愛が、欲しかったわけじゃない…。
握りしめた拳が、そんな虚勢を嘲笑うように弛緩していく。
──おれは愛というものを知らなかった。
違う、知ろうとしなかっただけだ。
この手から零れ落ちていくだけの愛なら、知らない方がマシだと…ずっとそう思っていた。
けれど、知ってしまったのだ。ただ名前を呼ぶだけで、胸の奥がひりひりと疼くような愛を…。
光る目を上げ、心の中で呟く。
おれは、あなたのような愛しかたはしない。
例えパンドラの箱が開いてしまったとしてもだ。いや、そんなものは作り話の中の架空のものでしかないじゃないか──
「お前にはわかるまい。私がどれほどの斟酌と金をお前に費やしてきたのかを。…それを放棄したあの女に会うことは、私への冒涜だと言ってもいい」
「ぼくはそうして欲しいとは、頼んだ覚えはありません」
「傲慢になるな。今のお前があるのは、家の庇護の下でこそ成り立つものだ。それだけは肝に銘じておけ」
「庇護?それを言うのなら…支配だ」
「お前がそう思うのなら、それでもいいだろう。だが親なら当然のことだ!そうやって好き勝手に生きていられるのも、すべては──」
「勝手なのはあんたもだろう!!」
振りかざした威厳を遮断した無礼な咆哮に、父の口元がひきつる。
「なっ、なんだと」
「どう生きていくのかは……」
「テリュース──」
「おれの勝手だ!」
高ぶる感情に任せ、椅子に掛けてある上着を荒々しく引き掴んだそのとき。
カシャン───
乾いた音が、鼓膜を突いた。
大理石の床には、
あっけなくその姿を変えた天馬が横たわっている。
折れた片翼が床を滑る微かな音でさえ、無慈悲なその事実を告げるように耳に響いた。
すべての音が消えても、テリィはそこに立ち尽くすことしかできずにいた。
足元に散らばるクリスタルの破片が、散り散りに千切れていく自身の心の様相にも重なる…。
ふと、彼女の瞳の色を映した深緑のガラスの一欠片が、涙の粒のように床の上で光った…。
───キャンディ……
テリィはデスクの上に残されていた空箱を無造作に掴むと、部屋を飛び出していった。
その背中に、父は声を張り上げた。
「いいかテリュース!海を渡ることは絶対に許さん!」
重く沈んだ部屋に、その声だけが虚しく響いた…。 *
「心配するな。おれはもう、あの頃とは違う。父のことも…それなりに理解したつもりだ」
最後にそう言って、穏やかに微笑む。
「ええ、わかってるわ…」
テリィは肩で息をするように、深く息を吸い込んだ。
父に対する蟠りは、すべてが消えたわけじゃない。それでもあの頃の比ではないほどに、角が削ぎ落とされたことも確かだ。
結局自分も、一度は父と同じような生き方を選んだ。皮肉にもその経験が、父への理解に繋がることになるなんて…。
そしてあの日最後に聞いた、父の怒号…。
それがその僅かのちの決断となる渡米にも、真逆の意味で背中を押されていたのかもしれない、とさえ感じている。
だから今は。
運命的な出会いと別れ、愛を知った喜びと、耐え難いほどの胸の痛み…。
そのすべての過去にも意味があったのだと、そう思いたい。
テリィはテーブルの上の箱を持ち上げ、その手触りを確かめるように指でなぞった。
『この箱に残っている希望は、わたしに預けてくれる?』
おれは気づいていたはずだ。
彼女の手の中の箱に希望が生まれたわけではなく。
本当は、彼女そのものが希望だったのだと。
あまりにも眩しい光を放つ、そして、心を惹き付けてやまない希望…。
けれどあの瞬間にも、嘘はなかった。
いつか、その光を失ってしまったなら…。そんな不確かな怖れに揺れていた弱い自分も。
そしてキャンディという光を、手に入れたいと強く願った刹那──怖れよりも彼女への愛しさが勝っていたことも。
「ありがとう、キャンディ…」
それはあの時、声には出さなかった言葉だ。
それでも今、どうしても伝えておきたいと思った。
息を詰めたまま、胸の前で指を組んでいたキャンディが顔を上げる。
「あの日のきみは、不完全だったおれの心を慰め、傷を治してくれた…」
キャンディは何も言わずに指をほどき、あの日と同じようにそっと彼の手を握った。
あの時、彼の口から零れた声が、耳の奥で鳴った…。
『本当は、怖いんだ…』
普段の彼なら、滅多に見せない弱さだった。
きっかけはほんの些細な事だったとしても…。
その奥にある、誰にも触れられなかった孤独と脆さが、そう言わせたのかもしれない。
しかし言い換えれば、それはキャンディだけが触れることができる、彼自身の一部でもあるのだ。
沈黙のあと、キャンディは潤む目を上げた。
「あれはきっと、始まりだったのよね?…希望って、終わりじゃなくて──。ふたりでもう一度この箱を開ける、未来の……」
「始まり…か。ああそうだな。失くしたと思っていた希望は、消えずにまだここにある…」
キャンディがふわりと微笑む。
「この箱の底にある小さな希望…。これからはふたりで、大きく育てていきましょう?」
その言葉が、真っ直ぐに心に落ちていく。
「…ああ勿論。きみとなら……」
テリィは手の中にある箱を見つめた。
この箱は空っぽだったけれど…。
あの時ふたりの間には、確かに新しい何かが生まれていたのだ。
きっとそれは。
開けてしまったパンドラの箱の底で、ずっと消さずに灯していた想い…希望という光───
* おわり *
**パンドラの箱**
~はじまりの光~
微かに冬の名残を孕んだ風が、長く垂れ下がるハシバミの花穂を優しく揺すった。
「少し、寒くはないか?」
「平気よ。だってあなたが、すぐそばにいるもの」
薄く紅色がさした頬を緩め、キャンディが笑う。
朝の光の中で見るその笑顔は、反則だ…。
「まったく、きみってやつは...」
「どうしたの?わたしなら、本当に寒くな…ぃ──」
塞がれた唇はまだぎこちなくそれを受け入れ、しかし確かに、同じ熱を返した。
「なんだか、まだ夢を見ているみたい…」
「夢じゃない。ほら…」
更に赤くなった彼女の頬っぺたを軽くつねり、
「うん。こうすると益々…」
言いかけて、くっと笑いを堪える。
「…益々、なに?」
「…いや。美人度が増すかな、って……」
摘まんでいた頬と丸い小鼻が、同時に膨らむ。
テリィはとうとう笑いだした。
「そんなわけないでしょ!」
振り上げた拳を軽々と捕まえ、ふわりと抱き寄せる。
──仕方がないじゃないか。きみのそんな顔も、堪らなく可愛い…。そう思うのは、つまり…惚れたなんとか、ってやつで…
思い切り照れながらのそんな呟きが耳をかすめ、クスッと声が漏れる。
「……今、笑ったか?」
「ううん。笑ってなんて──ふふっ」
「おいっ!やっぱり笑っただろっ////」
「それはだから、…やっぱり仕方がないのよ」
「なんでだよ?」
「だってわたしも、そんなあなたが……」
そう呟いたとき、心の奥で、何かがカチリと音を立てた。
(今の、この感じ…ずっと以前にも……)
「どうしたんだい?」
急に黙りこんだキャンディの顔を窺い見たテリィと、目が合う。
そしてそれは唐突に、鮮明な映像となって頭の中に浮かび上がってきた。
さっき聞こえたと思ったのは、長い間封じこめられていた記憶の蓋が開く音だったのだ。
「テリィ……」
「どうか、したのか?…おれはただ、きみには嘘はつけないと──」
キャンディの手が、彼の上着の袖口をきゅっと掴んだ。
「…ん?」
そしてテリィを見つめたまま、瞳を輝かせて言った。
「あなたに見せたいものがあるの」
───あった…!
居間に戻り、荷解きしたばかりの自分の持ち物の中から、それを手に取る。
「これ、なんだかわかる?」
キャンディが目の前に差し出したのは、手の中に納まるほどの大きさの、古ぼけた紙箱…。
テリィは不思議そうに片眉を上げ、それをじっと眺めた。
「ただの箱、に見えるけど…。…!」
そしてそのあとすぐにテリィが口にしたのは。
「あのいつかの…パンドラの箱じゃないか!?」
「そう!よく覚えてたわね」
「きみこそ、そんなものをまだ持ってたなんて…」
「そんなものじゃないわ。これはあなたから預かった…大切な宝物なんだから」
「宝物…。ああ、そうだったな…」
そう呟きながら、さっき庭で感じた奇妙な感覚が腑に落ちていた。
見えたような気がしたのは、あの木洩れ日の中の景色だったのかもしれない。
それはキャンディの声が、あまりにも優しく胸の奥を撫でたから…。
そっと目を閉じ、記憶の糸を手繰り寄せてい
く…。
──あれはまだ学生の頃だった。
秋の深まりを告げる風が、学院の森にも吹き始めた日のことだ。
その日の風は、いつもよりも冷たく感じた。
胸の奥のざわつきは落ち着かなく、世界が歪んで見えていた。
それでもおれは、逸る歩みを止めなかった。
あの場所に行けば、あいつに会える───
* そこは小高い茂みにある、ふたりだけの秘密基地。通称『にせポニーの丘』…。
キャンディはナラの木の根元に、膝を抱えて座っていた。
すん…と、息が楽になっていくのを感じながらも、口から出たのは、かえって不自然なほどに軽い調子の声だった。
「やあ、待たせたかい?」
ふたつに結んだ金色の髪を揺らし、彼女が振り返った。
「そうね。少し…」
口元をほころばせ、はにかんだように笑うキャンディの隣に腰をおろす。
しかしその横顔はどこか儚げで、足元に落ちる木洩れ日を見つめたまま動かなかった。
「…今日のあなた、なんだかいつもと違う顔してる」
「そうかな…。いったいどんな顔──」
言いながら、何気なく触れた上着のポケットの膨らみに手が止まった。
「……」
キャンディの視線が、自然とそこに向く。
「なあにそれ?まさか煙草、じゃないわよね?」
訝しげに覗き込むキャンディに、観念したように苦笑ってそれを取り出す。
「ほら、これが煙草に見えるかい?」
テリィが見せたものは、しっかりとした質感のある、パステルグリーンの紙箱だった。
「お菓子…?」
「ハズレ。それに、残念だが中身は空っぽだ」
テリィは小さく肩をすくめると、それをキャンディの手のひらの上に置いた。
明らかに空だとわかるその軽さに、わけもなく胸の奥がざわりと疼く。
「綺麗な箱…。でも、どうして空の箱なんて持っているの?」
「どうして、か…」
次に口から出た言葉は、別段用意していたものではなかった。
「…パンドラの箱、って知ってるかい?開けてしまうと、あらゆる不幸が飛び出すってやつ」
「ええ知ってるわ。これがそうだっていうの?」
「さあどうかな。試しに開けてみるといい。…きみなら、できるよな?」
キャンディは目を瞬かせた。
またいつもの冗談のようで、しかしテリィの声は真面目にも聞こえる。
「別に、わざわざ言うほどの事じゃない。けど……」
キャンディは言葉の続きを待つように静かに耳を傾け、じっとテリィを見つめた。
その柔らかく真っ直ぐな瞳は、まるで心の深い部分にまで触れてくるようだった。
だから、つい──
「本当は、怖いんだ…」
心の奥に閉じ込めていたものが、零れおちた。
「誰かを大切に思えば思うほど、それを失うことが、怖くて堪らなくなる…」
声が、少しだけ震えていた。
それを誤魔化すように、深く息を吸い込む。
キャンディは心臓をぎゅっと掴まれたような苦しさを覚え、息を飲んだ。
不意に、テリィは真剣な眼差しを向けた。
「こうしてきみに会うと……」
ゆっくりと伸ばされた長い指が、キャンディの指先にそっと触れる。
「そんな怖さよりも、きみに触れたい…。そう思う気持ちが、大きくなるんだ」
「テリィ……」
胸が熱くなり、キャンディは何も言えなかった。
返す言葉を探そうとすると、涙がこぼれそうになる。
もっと触れて。わたしに───
喉元まで突き上げてきたその言葉の代わりに、軽く触れていただけの彼の手を取り、想いを込めてキュッと握った。
ほんの一瞬だけ、世界が止まったような静寂に包まれた。
やがてそのあたたかい手から、彼女の想いが、春風のように心の中に吹き込んでくる。
「…駄目だな、おれは」
ポツリと呟いて可笑しそうに笑うと、少しだけ目を伏せて続けた。
「あんなこと、言うつもりはなかったんだ。なのに…きみの前だと、隠してたつもりのものが全部出てきちまう…。まるでパンドラの箱みたいに、さ」
キャンディはその箱を胸の前に持ち上げ、すべてを理解したように微笑んだ。
「ね、テリィ…。確かパンドラの箱には、希望だけが残されていたのよね?」
「ああ、その通りだ」
「それなら…。この箱に残っている希望は、わたしに預けてくれる?」
テリィが目を見開く。
「……そうすれば何が起きても、ずっとそばにいられるような、そんな気がするの」
言ってから、キャンディは恥ずかしそうに睫毛を伏せた。
けれどその声には、少しも迷いがなかった。
──ありがとう、キャンディ…。きみがそう言ってくれるのなら、信じられる。
テリィは繋がれた手を、殊更強く握り返した。
「確かに、きみに預けたからな」
風がそよぎ、ふたりの足元で落ち葉が音を立てて舞った。
キャンディは空の箱をそのまま胸に抱き締め、そっと呟いた。
「この箱はね、空っぽなんかじゃないわ。だって…あなたが希望を預けてくれたんだもの」
その瞬間、空っぽだったはずの小さな箱に、微かな光が灯ったような気がした── *
あの頃はまだ、大人の愛になる前の希望だったのかもしれない。
それはふたりだけが知る、静かで、それでいて確かな想いを宿した、はじまりの光…。
第三部へと続きます💫
パンパかパッカ~ん![]()
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今度こそっ キッ…タ━(゚∀゚)━!!!!
いっち❶にぃ➋の ヤー❽!でぇの……
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Happy Birthday Terry!![]()
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はいっ、というわけで早速!
バースデーイヴでの告知にもありましたように。
ここからは物語の世界をお楽しみください。
主となる背景は、穏やかな早春の気配を纏った、新しい一日の始まり。
三部構成でのお届けとなります。
(その実状は…。まだ完全には仕上がっておりません![]()
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**パンドラの箱**
~光の庭~
頬杖をついたまま、彼女はそっと視線だけを上げた。
その向こうで、あのひとが新聞に目を落としている…。しかしその口元は微笑んでいるようにも見える。
「少し、待っててね」
彼女は微笑んでカーディガンを羽織ると、吸い寄せられるようにテラスへと歩み出た。
使い込まれた木の床は、まだひんやりとした朝の空気を纏っている。
だがそこに落ちる陽の光はすっかり春の温度を宿し、肌に触れる風にも、凛とした春の息吹きが感じられた。
手すりに手を掛けて眩しそうに目を細めたとき、再びあの香りが鼻腔を抜けていった。
ふと思い立ち、彼女は突然スリッパを脱ぎ捨てた。
一段、二段…
階段を軋ませ、そのまま庭へと降り立つ。
「……冷たいっ」
思わず声を漏らし、肩をすくめた。が…
彼女は躊躇うことなくスカートの裾を持ち上げ、もう片方の足も地面におろした。
湿り気を帯びた土の冷気と、春の陽光に温められた草の柔らかな感触が足裏をくすぐり、小さく笑い声を立てる。
それから摘まんでいた裾を下ろすと、そっと足を踏み出した…。
次はもっと大胆に、その次はしっかりと大地を踏みしめるように───
朝露に濡れた光の庭を、彼女は素足のままで歩いた。
その様子を、居間のテーブルから穏やかに見守る視線があった。
読みかけの新聞を畳み、ふっと口角を上げる。
「そんなに急いで春を探しに行かなくても、逃げやしないよ」
開け放たれたままのテラスの窓から、よく通る声が届いた。
彼女が振り返ると、彼は椅子を引き、ゆっくりと立ち上がった。
「風はまだ冷たいのに、裸足で歩くなんて」
口ではそう言いながらも、その足取りはどこか楽しげで、迷わず彼女がいる光の中へと足を踏み入れた。
歩みを止め、彼女が柔らかく微笑む。
「こうして風を感じるとね。…生きてる、って感じるの」
「きみらしい、いい答えだ」
彼は納得したように笑みを返し、彼女の隣に立った。
「ねえ、見て…」
彼女が指差した先、白い蕾をつけた木蓮の下方へと目をやる。
そこには、可憐な紫色の花が身を寄せ合うようにして咲いていた。
「あれは…スミレだね」
「そう、スイートバイオレットっていうの」
その手前まで行って、並んで腰をかがめる。
「うん…。甘いな」
「いつだったか、あなたは好きな花の話を聞かせてくれたわよね?清楚で甘いこの匂いが、恋する気持ちを高めてくれるって」
「そう、だったかな?おれが言ったのは確か…妖精パックが使った惚れ薬が、スミレの花から作られたものだからって…」
互いの顔を真顔で眺めた後、ぷっと笑い合う。
「まあ結局、どっちも同じようなもんだ」
「でもだから葉っぱも、ハートの形をしているのね、きっと」
楽しげに笑っていた彼女の唇から、不意に艶っぽい囁きがこぼれた。
「You occupy my thoughts(あなたのことで頭がいっぱい)……」
彼は小さく瞬きをして、彼女を見た。
「紫色のスミレには、そんな花言葉もあるって、知ってる?」
「え?ああ…今、知った。いや……」
──それは、ずっとおれ自身の中にもあった言葉だ。
ふたりの視線が交わり、熱く溶けあう。
「こんな朝を、これからも何度でも迎えたい…。きみとなら、きっと歳をとることさえ愛しく思えるんだろうな」
優しく言いながら、彼女の肩を包み込むように抱いた。
彼のあたたかな胸に頭を預け、そっと呟く。
「わたしも…。あなたと出会い直したこの奇跡を、大切にしたい。この先も、ずっとよ…」
肩を抱く手に、思わず力がこもった。
──あの苦しかった日々の中に、後悔はなかった。そう言えば嘘になるのかもしれない…。
事実おれには、現実を置き去りにして逃げ出したこともあったのだから…。
だが、これだけは胸に刻んで生きてきた。
失うために、愛したんじゃない。
愛したから、失ったわけでもない。
ただ手放すことを、選んだだけ…。
愛したから手放し、想いだけを残した。
それでいい。
そこに、生きる理由があるのなら───
* あの雪の夜から、何度もきみの夢をみた。
そして目が覚めたあとに残るのは、鈍い胸の痛みと、深い喪失感…。
けれど、人生は不思議なものだ。
多くの時間が流れ、取り戻した平坦な日常の中で全てが終わったのだと思ったそのとき…。
ふと、昔交わした手紙の束を手に取っていた。
懐かしい、丸い筆跡。きみの、匂い…。
ターザンそばかす───
きみが再び、風のようにおれの心を揺らした。
おれたちはまだ、終わってはいない…。
そしておれを静かに支えていた生きる理由は、それまでとは異なる意志を持つものへとその姿を変えた。
もう一度、きみに会いたい…。
きみがいる明日が、見たい。
それは、叶うはずもないとわかっていながら、それでもずっと心の奥底に燻っていた、希望だったのかもしれない。
義務でも責任でもない、純粋な“生”への欲望…。
そしておれは、出そうと決めていた手紙を、ようやく書けた。
もしもきみがこの手紙を読むことがあるのなら…。ほんの一度でいい、おれを思い出してほしい。
───ぼくは何も変わっていない。 *
* ───おれは誓った。
あの美しい丘と、黄金色に輝く風の中で…。
おれたちが選んだ愛は、決して間違いではなかった。
同じ位置に立ってその想いを差し出し、そしてもう一度きみと歩きだすために。
スザナのそばで過ごしてきたあの長い月日を、おれは忘れることはないだろう。けれど…
その記憶ごとすべての過去と痛みを抱えたまま、今のきみと未来を生きる覚悟はある。
もう誰にも後ろめたさを抱えず、心のままに…。
だからキャンディ…今度こそおれ自身の手で、きみを幸せにする。
声には出さず、ただ心の中で、何度も繰り返した。
「……さ…ないで」
絞り出すように風の中に放たれた声が、ぎゅっと胸を締め付ける。
「ずっと、そばにいる…」
張り詰めていた彼女の肩から、徐々に力が抜けていくのがわかる。
「キャンディ……」
伸ばした手に、彼女の手がそっと重なる。
差し出された想いを、ひとつに重ねるように。
次に見たのは、決意を滲ませた泣き笑いの笑顔だった。
「もう二度と、この手を離さないんだから」
「ああ、離すもんか。絶対に……」
祈りにも似たその声の響きが、
風を割くように空気を震わせ、身体の奥深くで呼応する…。
魂の共鳴───
風が止まり、ふたりの距離だけが静かに近づいていった。
深い緑色の瞳が、真っ直ぐにおれを捕らえる。
おれだけが映るその瞳には、
過去も、今も、そして未来も──すべてを赦し、受け入れた者だけが持つ、崇高な光が宿っていた… *
あなたが手を差し出してくれたから…
だからわたしはただ、手を重ねただけ…。
それだけで、すべてが始まったの。
その声は福音のように優しく、春の庭にこぼれる光のようにあたたかかった。
第二部へと続きます💫
今年も・・・キタ━(゚∀゚)━!!
(まさかのフライングはスルーで
)
さてさて。
全国のTGファンの皆さま方におかれましては、いよいよ数時間後に迫りました聖なるアニバーサリーを心楽しく待ちわび、また、並々ならぬ特別感でもって迎えられることでしょう。
例に漏れずも、約半世紀におよぶ不動の偏愛を貫いてきたこのあたくしめもまた、然り。
盛大なお祝いの狼煙をひっさげ、この場でドカンと打ち上げる所存でござぃま…す……
えーーっと![]()
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ですので、はい。気持ち的には、ってことです![]()
だがしかし。
拙ブログの現状はといえば。皆さまもよくご承知のとーり、何かと残念なこの有り様でして…
あっ。どうもお久しぶりでございます┏○←え?それ言うの今? ε=┌(;・∀・)┘スタコラ~
そこで今年は…!
きっかけは、ある日のおセンチモード日和に読み返したFinal Story。
久しぶりにどっぷりと浸り、再燃したこのキラキラフレーズ…
✨あのひとはテリュース✨
ここに立ち返ってみた。
でもっての。その信念という名の主張…とやらを、真面目に綴ってみようではないかと。
まあしかしどうなのでしょう。
ちょいとググれば、容易に知ることができる便利な時代。
今もなおネットの海原には、数々のすばらしい諸説・考察といったものが存在しております。
勿論あたくし自身も、その類いのものは過去におおかた読ませていただいており、
その都度に敬意と共感に酔いしれ、より強固な確信を得ることができたものです。
そやのにあんた、今頃になって何言うとんねん┐(-。-;)┌
な、後だし案件であるのは言うまでもなく。
実はこういうのって、あたくし自身、稀な試みでもあり、苦手分野だったりもするわけで。
──とかなんとか散々前置いての。
ここからは一個人の所感…いえ、かなり偏った視点での一沼人の主観的オピニオン を文字にするものであることを十分にご理解のうえで、サラリと受け流していただきたく存じますです。
からの、いよいよもっての本題解禁。
頼んでもないのに(コラコラ‥)わざわざ曖昧にされたことから、様々な論議を呼んだ“あのひと”。
その背景には、それぞれの視点や捉え方、想像力、贔屓のキャラへの強い思い入れ…などによる、十人十色の夢と解釈の違いがあるのかもしれません。
それもまたこの作品の魅力であり、モヤりながらも愛され続けている理由の一つなのだと思います。
では、そこを十分に踏まえていただいた上で。
我が推し人生の永遠のバイブルとしてきたこの10文字。
✨あのひとはテリュース✨
そこにたどり着かんとする葛藤と真理。
それらの心的空間にある感情の余白を、より心象的・物語的に深掘りしていきましょう![]()
まずは一番の泣き所でもあるここから。
別れの重さと、その意味。
これは今に至ってもどろろ~ん
と居座り続ける、テリィファンにとっての積年の鬼門。
その理由は明白。
キャンディとテリィの別れは、単純な恋愛破局ではなく。─愛し合いながらにして、引き裂かれるように別れた─という悲劇的な極限の決断によるものだったからです。
その決断に導いた要因は、云わずと知れたこの方。テリィに激しく横恋慕した女優、スザナ・マーロウ──
彼女の身に起きた悲惨な事故、そして舞台初日にやらかした自殺未遂騒動。しかもキャンディの目の前で…
その直後、ふたりが選んだのは、“人としての義”であり、要するに自分たちの幸せを犠牲にした。とも言えるのです。
昔々の話。この時点ではまだ、当然のように大どんでん返しが待っているのだ。と、勝手に信じていたわけです…ええ少なくともあたくしは。
ですが、そんなものは幻…。
結局ふたりは、律儀にもあの時の選択を貫きとおしたのです。
嗚呼これこそが、少女漫画の常識を覆すレジェンド、となりうる不測の展開と結末![]()
この経験は、ふたりの心にも深い爪痕を残しました。
運命とは時に、なんと残酷なまでの試練を課すものなのでしょう![]()
しかしそれでも彼らは、互いの幸せを願い、前に進むしかなかったのです。
ではこれを、別の愛の形を選ぶしかなかったのだ…。と言い換えてみたいと思います。
ここで言う愛の形の芯となるものは、痛みごと愛することを選ぶ強さ、でしょうか。
このふたりには、物理的なものを抜きにしても、魂の部分で互いの人生を静かに支え続ける、そんな力を感じます。
もう少し捻った捉え方から深読みしていくと。
彼らが選んだ生き方は、決して報われることのない愛し方の上で成り立つものであり、にも拘わらず、その選択を肯定することによって歩き続けてこられた──とも考えられます。
何故なら。
その相手が誰よりも深く愛し、だからこそ手放した唯一のひと、だったから…。
これは非普遍的な愛を語る上での、意識的に美化された捉え方なのかもしれません。
しかしそれでも言いたいのは、これこそがあの未来を引き寄せるための重要な滞在意識でもある、ということ。
いえ。そこは敢えてそう言い切ってやると(おいっ)更に想像の枠も広がります。
その中のひとつの可能性として浮上するのは。そのような限界値の滞在意識の底辺には、わずかな希望が残されていたのではないか…という夢説。
それは自身の意図するところではない、ずっと深いところで、という意味でのものです。
皮肉にも、最も苦しい渦中から生まれたものが希望。あるいは、その光を失わずに灯し続けていた…のだとしたら。
そう仮定したその先には、こんな未来が見えてくるのです。
それぞれが喪失と孤独を乗り越え、再び巡り合う運命に導かれたとき。
それは奇跡とも呼べる愛の再出発となり、つまりは、彼らが選んだ愛の形が、いよいよその真の価値を持つとき、なのです。
シンプルに言うと。
運命の曲がり角の向こうには、
もう一度始められる愛が両手を広げて待っていた──└( ゚∀゚)┘
これらをざっくりとまとめると。
『悲恋から成熟した愛への昇華』
Final Storyで描かれるあのひととの穏やかな日々は、過去の傷を全部抱きしめた末にたどり着いた、成熟した大人の愛の象徴であり。
そして一度は別の愛の形を選んだふたりが、長い時間を経て再び対等な魂として向き合えたことで得た、本当の意味での愛の成就なのだと、そう言えるのではないでしょうか。
因みに。アルバートさんとの関係は確かに深く、信頼と安らぎ、そして穏やかな愛の象徴でもあります。
しかしです。
彼との時系には、Finalに散りばめられた切なくも美しい恋の苦悩──の明確な描写がないのです。(想像枠で言うところの空白部分、例えば養女と養父の壁云々は別物)
一方でテリィはキャンディに、
名前を呟くだけで切なくなるような恋。
言葉にしなくても伝わる想い。
幸せは永遠ではないこと。
自分で人生を選ぶ勇気。
本編でこれらを与えたことからも、最も生身の人間としての恋の相手なのだと、素直にそう読み取れます。
ここで再び漫画の話を引き合いに出させてもらいますと。
(Finalが漫画の続編ではないことを承知の上での発言です)
ロックスタウンでの仄かな期待を残しつつも、あのたたみ掛けるようなラスト回には、それらしきものはどこにも見当たらず(そしてテリィは囚われの身のまま放置?…泣)
最後はタネ明かしと叙情的なモノローグ、そして王子さまとの出会いのシーンの完璧な点描画で締め括られています。
はい?これってもしかしてもしかすると…。
曖昧さの中にも、新たな恋の予感を匂わせる見事な描写にも受け取れるのです。(無垢な子供時分には、残念ながらそのような思考には概ね及びませんでしたけど)
しかもそこに当てはまるテーマは、物語としての美しい終演でもある初恋への回帰。(と言っても。5~6歳の頃の…恋?まあ児童文学としてはありなのかな)
詰まるところ。テリィファンがモヤっとするのは、この漫画のラストに刻まれた印象によるものも大きかったのではないでしょうか(だからかどうかは別としても、Finalではこの辺りの台詞やシチュエーションが微妙に変更されてます)
ならばあたくしは、この期に及んでの大人げのない粗定義(!)で言うところの。
初恋の対象を“当時の王子さま”と“アンソニー”、見た目もそっくりなこのお二方を敢えての同列と捉えてしまおうと思います(おーーい
)
ではこれらを二の矢とするついで談と銘打ちまして。
あくまでもヒロイン側から見た謎のセカンドLOVE神話砲投下(/^^)/⌒●~*
『一度目よりも、二度目の恋の方が深くて尊い』
如何なもんでしょう…|д ̄)
そこにも物語としての芳醇な深みが生まれ、よりドラマチックな大団円への期待も高まるってもんです…よね?![]()
さて最後に。
今年のタイトルに置いた『パンドラの箱』についてを少し。
先に述べておきますと。
ここまでクソ真面目に小難しく長々と垂れ流してきた諸説妄言…。
それらになぞらえてみたものがパンドラの箱、なのです。
これは現代においてしても、予測不可能な困難を秘めたものの比喩として用いられる事もあるものなのだそうですが。
本来はギリシャ神話に由来するもので、あらゆる厄災が詰めこまれているという、なんとも恐ろしげな箱です。
しかしその箱の底には、エルピス?希望だけが残されていた…というではありませんか!
これをC×Tで言うならば。
『馬小屋事件を筆頭に、次々と降りかかる不遇』
『絶望的な状況でも前を向かせる力となる希望』
その二つの側面が込められているものへの例え、としてのイメージ。
…で。これまた変な妄想スイッチON……
![]()
ここまでお読みになられてもうお分かりのように。
くどくどと非常に鬱陶しくなっ…。てかもう、この時点で激しく疲労困憊(知らんがな
)
なのでとりあえずの、前夜祭イントロダクションとして放出。
これが所謂、稀に発症すると厄介だとされるTG症候群の脅威![]()
てなわけで。
引き続きましての妄想劇場編を楽しみにお待ちいただけますと幸いでこざいます┏○
でゎでゎ、これにて一旦引っ込みます![]()





