柳宗悦の著作「手仕事の日本」を読んで深く感銘致しました。

この本は、大正末期から昭和初期にかけて柳宗悦が日本中をその足で取材して、各地の郷土色豊かな、名も無い職人達の丁寧な手仕事を紹介しています。

柳宗悦は「名の在る芸術家が作った美術品よりも名も無い職人が作る工芸品の方が簡素で健康的な美しさが在る」と、この時代に初めて説いたのです。只の湯呑み茶碗にこそ実用の美、質素な物の中にこそ美しさが内包されて居る、と。

俺は、この柳宗悦が普段使いの工芸品に見出だした感覚を、鮒とかそこらに居る生き物にいつも感じて居ました。

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観賞用に作られた錦鯉や金魚には無い、野生の理屈に叶った、静かな迫力、生命力、嘘偽りの無い存在感があると思うのです。

そんな魚を見ながら何時間もぼんやりしたくて釣りに出掛けて居るのです。溜め池に居ると5時間位はあっと言う間に過ぎます。バカですねえ。

先日、いつもの溜め池で野鯉を掛けて、S根崎先生頂いた魂のロッド「天空SP」を折ってしまって以降、家にあった振り出し竿で釣りを続けてますが、これが重くて柔らかくて使いづらい(;´д`)

もうボヨンボヨンで、延びたうどんを竿にして釣りしてるみたいで疲れるのです。

折れてしまった「天空SP」は長さ450センチでしたが、540センチのも在るんですね。5メーター40バージョンが在るんじゃよ(´д`)

それを買えば90センチ程、長さが延長出来ますので、その分だけ広範囲にポイントを探る事が出来ますが、その分だけ人間(俺)が優位に立つ事になります。

釣りに関して言えば、原則として俺は不利な所に自分を置いておきたい。それが俺の現在の信条です。

基本的に釣り人は陸から竿を出す。船で釣り人が魚の住み家の中心部まで出張るのも微妙。自然を制圧する様な、徹底的に、完膚無きまでにポイントをあらゆる手段で叩きまくる様な釣り方は勿論違和感を覚えますし、俺の現在の価値観とは異なります。まあ溜め池のふな釣りはのんびりなんで金輪際関係無いか(笑)

しかしです、この知ってしまった「天空SP」の540センチバージョン……(;´д`)

どうしよう。買うならどっちだろうか悩み中……。レベルの低い悩みやな……