稀に電車に乗ります。

殆どが、高崎線です。都内の電車は複雑過ぎて明るく有りません。

電車に乗ると車窓から外が見えます。

人は何故、己の見知った建物が車窓から見えると気持ちが高まるのでしょうか?こっからあの店見えるんだね!とかあれ俺んち俺んち!ってそりゃ建物は動かねえから何時でも其処にあるでしょうに。

熊谷~鴻巣あたりまでは長閑な風景ですが、そこから都心部へ向けては、ひたすら住宅地になります。

当たり前ですが…色んな家があり、その各お家には家の数だけ家族、もしくは一人もんが暮らして居り、皆さんそれぞれの生活をしていらっしゃる。

洗濯物が干してあり、庭の梅の木がほころんで居る家。パンジーって長持ちする花ですよね。

その洗濯物の種類でも、何となく家族構成が計り知れたりします。電車から室内が見えてしまう路線沿いのアパルトメント。少し切ないです。

庭にキタナイ犬が居る家、あっ、その犬の鼻先を野良猫が歩いてる。

家族のクルマが全部ミニバンの家…ロードスターとジムニーにすれば良いのになあ。


踏み切りで、電車の通過を待つ時、人々は大抵不景気そうな顔をして居るのは何故か?やはり損した気分になりますか?なりますね。

そして私は、はたと気付く。数十分、小一時間の電車の車窓から見える数多くの人物、家屋、物象と、移動している私は多分一生涯、金輪際、一ミリも触れ合う機会は無いと言う、この当たり前な事実に!…ふと、私の胸中には一抹の寂寥が去来致します…熊谷~赤羽間・センチメンタルジャーニー。

いつか、当てもなく駅を下りて、フラリと何時も車窓から見掛けるあのお店に入ってみたい!!あの赤羽の焼鳥屋か床屋に!!

でも多分行かねえな。


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