もう耳にタコが出来る程言われていますが、一種の奇跡の様なクルマがユーノス・ロードスター
でした。
 
80年代に生き残る事が出来なかった、主に英国製だったライトウエイト・スポーツカー。
 
出来るだけ軽く、小さく。そして屋根が無く、フロントエンジン、リアドライブのそれらは
ある種のクルマ好き(クルマを運転するのに喜びを感じる人々、更に言うと、現実的な速度で
のリアル感や、屈曲路をイメージ通りに駆け抜ける事に喜びを感じる人々)には永遠のアイテム
でした。 
 
信頼性の高い、日本メーカーの新しい技術でそんなクルマを出してくれないかな・・・。
 
20年前のクルマ好き同志が集まると必ず出た、そんな話題。ホンダが一番やりそうでしたが
実際やったのはマツダ。 
 
当時(80年代)世の中の市販車メーカーの新車には、小型軽量のFRオープンカーなんてありません 
でした。マーケティング的に言うと、「市場が無い」と言う事になるらしく(ボンクラですよね)
市場が無い所に数百億の新車開発コストをかける、っていえば、会社のお財布握ってるヒトから
すれば、「寝言言ってんな!」と言う話ですよね。 
 
そして紆余曲折があり、89年9月1日に「ユーノス・ロードスター」発売の運びとなるわけ  
ですが、矢張りスゴイと感じるのが当時の平井 敏彦主査の「対人折衝能力」です。
 
ユーノス・ロードスターの凄さは、平井さんの「諦めない力」「前進する力」です。
 
ユーノス・ロードスターは色々な部署の社内基準を大分変えたそうです。 

(これって、組織人なら分かる事ですが、容易な事では無いですよね、現実的な話よりメンツの
問題にすりかわる傾向がありますから)
 
同じ会社と言えど、大きな組織になると組織内の縄張り意識が強くなります。
 
自分も組織に居た頃感じましたが、やはり面倒臭い仕事は自分トコじゃやりたく無いのが本音。
 
デザイン屋、設計屋、造り屋、検査屋、売り屋が皆バラバラの主張をしてきますから。大概。 
 
クルマ屋なら、お客が喜ぶクルマを造るのが使命であり、従業員の喜びでなくてはいけないのに、
なかなか現実はそうはうまく行かない事が多い。 
 
しかも市場が無いと言われている、言わばアソビの仕事ですね。陰口もあるわけですよ、
「アイツらアソビに会社へ来てる」なんて。
 
そこを丹念に、相手の理解を得て、自分の本当に大事な信念は曲げず、仕事を進めて行く。 

「骨のあるヤツは話せば解る」 

と平井さんは仰っていましたが、これは大変な労力だったんじゃあないですかね・・・。
 
出来上がったクルマは、量販メーカーのモノとは思えない程、造り手の顔が見えるクルマでした。

(ただし、発売当初、自動車マスコミからは辛辣な意見も多かった。そして欧米で絶賛される
と、手の平を返した様に、「日本の誇りだ!」と言い始めてた記憶が・・・) 
 
出来上がったクルマも素晴らしいけれど、造ったヒト達の仕事への姿勢はもっと素晴らしい。 
 
私がユーノス・ロードスターから学んだ大きなモノのひとつですね。