6回目の月命日。

 

私の愛する伴侶猫が旅立って

もう半年も経ってしまった。

 

今朝はカーネーションとカスミ草の花を飾り、

大好きだったちゅーるとクリスピーキッスを備えて

線香をたてて泣きながら般若心経を唱えた。

 

 

亡くなったであろう時間はやはりとても苦しかった。

 

 

だいたい半年までは

飼い主の傍にいるって教えてもらったから、

トラの魂もいよいよ私から離れる時期。

まだいるかなぁ・・・

もういったかなぁ・・・

 

結局半年経っても、悲しみを乗り越えることなんてできなかった。

毎日トラを思い涙している。

 

執着といわれても仕方ない。

私だってなんとかしなきゃとは思っている。

そして私なりの努力もしている。

 

なんの努力かといえばそれは

“死”を理解することだ。

 

生きるということ、死ぬということ、

肉体とは何か、魂とは何か、

この世のこと、あの世のこと・・・。

 

自分がいつか迎える“死”は

トラの死によって

恐怖や不安だったものが

逆に楽しみになった。


だが“今”私は生きている。

いつかくる自分の死を受け入れるのと

愛する者の死を受け入れるのは

全く別の話なのだ。

 

だから今ひたすら“死”に関する本を読みまくり、

また話を聞きに出向いている。

 

霊的世界に詳しい有識者をはじめ、

心理学者や物理学者、哲学者、倫理学者、脳科学者。

臨死体験者や医師や僧侶等、

様々な観点からの“死”。

 

 

死を理解することで

トラの死を諦めることができるのかもしれないと思ったけど

 

今のところは・・・

 

“死”というものが

益々怖くなくなっただけ。笑

 

結局はグリーフに関しては自分の心の在り方次第なのかなと感じている。

 

 

だからといって死を理解することが意味がなかったということではない。

 

これからも真面目にもっと死についての知を深めていくつもりだ。

 

 

トラを亡くして最初の頃は

確かに悪い意味で

後を追って毎日いつでも死にたくて

呼吸するのが苦しかった。

 

うまく伝わらないかもしれないが、

今は1分後死んでもいいと思いながら

生きていることで

呼吸が楽になった。

 

これは私にとってはあくまで『いい意味』での成長なのだ。

 

 

 

前にも書いたが私は一生ペットロス、

立ち直るつもりも乗り越えるつもりもないのが本音だ。

私が生きている限り、トラへの想いは変わることはない。

ただ決めているわけではない。

私が死ぬその瞬間まで

トラを想って涙することはやめないし、

悲しみと共に生きていきたいと思っている。

勿論、感謝も忘れずに。

 

 

 

ありがとう、トラ。

いつまでも大好きよ。