釈迦如来


詰まらないブログにお越し頂きまして、


在り難う御座います。


お陰様で在ります。


感謝で在ります。


人は、頭の上に重石を置かないと、

駄目な人に為ってしますます。


神様、仏様、親、尊敬する人、


を頭の上に置かないと、馬鹿に為って

仕舞、とんでもない事を為出かすので

在ります。

先日、大阪で在りましたか、車が小学生

の列に突っ込む事件が在りましたが、

怪我をした子供は出て仕舞ましたが幸い

に、亡くなった子供は居なかった様で在

り、幾らか救われるので在りましたが、

事件を起こした、青年は、人生に自暴自

棄となり、誰でもいいから殺したかった

との事の様ですが、

現代社会の、現象を表す事件で在りまし

たね。

人間、生きて居れば、色々在ります。

良く無い事では在りますが、その様にも

想って仕舞う時在ります。

然し、想っても遣っては駄目なので在り

ますよね。

なのに何故?

自分の頭の上に、重しが無いからで在り

ます。

重しが在れば、思い留まった事と想いま

すよ、


お母さんの顔が頭の上に在れば、

想いとどまったので在りましょうが、


自分を抑えЛ、重石、箍が無いと人は

時として、その様な行動に出て仕舞うの

で在ります。

戦後教育の間違いで在ります。

世の中皆同じ、平等では在りません❗

皆、其々違うので在り、だから想い遣り

の心も生まれるので在ります。

皆、生きて行く条件が違いますので無論

立場も違うので在ります。

自分より強く者も居れば、弱い者も居ま

す。其の立場の違いが判らない、認め無

いから、想い遣りも無くなって仕舞ので

す。


然し、命だけは、皆同じ平等で在りすの

で、奪う事は出来ません❗

何故ならば、

平等即ち同じで在りますから他人の命を

奪う事は、自分の命を奪う事でも在りま

す。


全ては因果応報で在ります。

嫌な事は、過去の自分がした事の

表れで在ります。

皆、他人に迷惑を掛けて、失敗し

怒られ、反省し、心の栄養に成り

魂が成長するので在ります。


其れが此の世界に生きる事で在り、

過去に犯した事を悟る為に、今居る

ので在ります。

過去に遣り残した宿題を今お浚いし

て居るので在り、お浚い出来る事に

前向きに感謝する事で、

其の宿題から解放され、楽しい事が

遣って来るので在りますよ、


其の為には、頭の上に重石を置く、

此の人に、絶対に頭が上がらない

と心から想う対象、例えば、神様、

仏様、母、父、偉大な先人、を頭

の上に置く、大切な事で在ります

ね。

尊敬は、愛で在り、愛は慈悲で在

ります。


然し、怒りを否定して居るのでは

在りません。


時としてで在ります。


只、想い付きで怒りを行動で表すと

とんでもない間違いを起こしてしま

うからで在り、人間、生きて居れば

怒り、怒る事も在ります。

仏教でも禅宗等は徹頭徹尾、師匠か

ら否定、罵倒され、下手すれば、鉄

扇で頭を割られ殺され仕舞ます。

仏教の真髄を極める為で在り、死は

宇宙との一体化と捉える教えで在り

般若心経は其の事を説いて居る、

お釈迦様の仏教思想で在ります。

最後の章では、彼岸へ行こう、

彼岸へ行こうと説いて居られます。

彼岸とは、彼の世で在ります。


出家とは、本来死んだ事で在り、

彼岸へ行く事で在ります。

肉体は死んでも魂は死にません。

ですから、

大切なのは魂で在り、肉体は器で在

り消滅する物で在り、物質でしか在

りません。


魂は宇宙の波動で在り不滅で在ります。

魂は自由で在ります。

肉体、物質は有限で在りますが、

魂は無限で在ります。

魂は、永遠に精進で在ります。

何故ならば、終わりが無いからで在り

ます。

満たされたら、終わりで在ります。



話しが逸れましたが、

頭の上の重石は、己を戒める為の

石で在りますね。



皆さん、

詰まらないブログにお越し頂きまして、

在り難う御座いました。


又、宜しくお願い致します。


誤字、脱字、意味不明、

纏まりの無い文章を

お赦し下さいませ、


失礼致します。




合掌




孤の仏教修験者




鴉天狗👺より