円光大師法然源空

浄土宗開宗 850年

輪廻転生を数え切れ
無い程繰り返し来て
も、その苦しみから
救われる事が出来無
い多くの凡夫を救わ
んが為に善導大師の
書、觀無量寿経疏と
出会いで、
凡夫もお念仏により
浄土への往生が叶う
事に確信を得るので
在りますね❗





阿弥陀如来座像
私の基本は密教で在りますので❗

今回お話しさせて頂きます。
浄土宗では座像では無く
立像で在りますので
誤解の無い様お願い致します❗

因みに、立像は衆生を救わんする佛様、
座像はどの様衆生を導こうかと思案する 
佛様で在ります❗



法然源空上人と
浄土宗❗

阿弥陀如来根本陀羅尼

(掲載して居ります陀羅尼は、
密教の陀羅尼で在ります❗
浄土宗の陀羅尼は少し言葉に
違いが在ります❗)


なうぼう あらたんなう
とらやや なうまく
ありやみたばや たたきゃたや
あらかていさんみやくさんぼだや
たにゃた おんあみーと
あみーとどはんばべい
あみーとさんばんべい
あみーとぎゃるべい
あみーとしっでい 
あみーとていせい
あみーとびきらんてい
あみーとびきらんた
ぎゃみねいあみーと
ぎゃぎゃなうきちきゃれい
あみーと どんどびそばれい
さらばらたさだねい
さらばきゃらまきれいしゃ
きしゃやう きゃれい そわか


南無阿弥陀仏
十念 


合掌



法然さんとは、

武士が台当し戦乱が多く起こった
平安後期。
法然上人はその様な時代のさなか
長承2年(1133年)美作國久米
南条稲岡庄(現在の岡山県久米郡
久米南町)で生まれまして、
父親の漆間時国は此の地の豪族で
諜反人、犯罪者を捕える事を任務
とする押領使。母は秦氏君 
(はたのうじのきみ)と云いました。

法然上人は幼い頃勢至丸と呼ばれ
漆間家の後継ぎとして育てられま
したが、
勢至丸が9歳時に、事件が起こり
ます。当時父、時国は中央領主の
意を受け荘園と管理して居た明石
定明と対立関係にあり、その夜討
ちを受けてしまいます。
この戦いで深手を負った時国は、
亡くなる直前、
勢至丸に遺言をしたのです。
敵を恨んではならない。
仇討ちをすれば、其の物の子が、
お前を恨んで同じ事を繰り返される。
出家して父の菩提を弔い、そして
又、己の幸せの道を探すのだと
言い遺し、
息を引き取るので在り在りました❗

勢至丸は母方の血縁を頼って、
現在の岡山県と鳥取県の県境付近に
在る菩提寺と謂う寺に預けられ、
叔父にあたる勧覚と云う僧侶のもと
で仏教を学ぶ事になります。

勧覚のもとで修行を゙していた勢至丸
は、その才能を゙見出され、15歳の
時、多くの僧侶が修行を゙して居た
当時の仏教の中心地、比叡山延暦寺
へ送り出されました。
そして、持宝房源光と云う僧侶のもと
で勉学を始めますが、その能力の高さ
を認められ、天台宗の教えに通じた僧
・皇円のもとへ、そこで髪を剃り落と
し、仏教者が守るべき生活規範(戒律)
を授けられ、正式に出家し、天台宗の
僧侶となりました。

勢至丸の理解力の高さには、皇円も驚き
、僧侶としての地位を高め指導者を目指
す事を勧めます。然し勢至丸は父の供養
をし、静かに仏教を学ぶと云う初心を
貫くため、その元を去り比叡山の奥まっ
た西塔黒谷と云う処へ行き、
慈眼付房叡空に師事します。
若くして栄達の道を捨て仏道を究める道
を自然と選んだ勢至丸に感銘を受けた
叡空は「法然道理あるがままの姿」から
「法然」、そして師で在った源光と叡空
から一文字をとって「源空」と命名しま
した。

これが法然房源空の由来で在りま
す。
黒谷で仏教の教えへの理解を深めた法然
上人でしたが、争いが勃発する荒廃した
時代、疲弊して修行などままならない
人々に、これらの難解な教えはふさわし
いのか、との疑問が生じます。
そこで、24歳の時、自身の学びが正し
いか、京都や奈良の寺院を巡り、各宗の
学僧を訪ねますが、満足する答えは得ら
れません。
比叡山に戻った上人は自身を仏教理解の
乏しい存在「凡夫」とし、あらゆる経典
を纏めた一切経を読みふけりました。
そうした中、中国唐時代の僧・善導大師
(613~681)が著した「觀無量寿経疏」と
謂う書物の中で一心にもっぱら阿弥陀仏
の名をとなえ、いつ如何なることして
居ても、時間の長短関わらず、常にとな
え続けてやめないことを正定の業という
「それは、阿弥陀仏の本願の意趣に適って
居るからで在る」との一文に出会い、
凡夫も念仏により浄土への往生が叶う事に
確信を得ます❗

善導大師の一文に巡り会い非常に感銘
をするので在ります。
尊敬の念を持ち師と、仰ぐ訳で在りよ
ね゙❗

善導大師の一文と出会った直後、
法然上人は、夢を見ます。
夢には善導大師が現れ、
次の様に云われました。
「あなたはお念仏の教えを広め様として
居る。それが尊いのであなたの前に
現れたのだ」。
夢中での此の出会いは「ニ祖対面」と 
呼ばれ、此の時善導しての下半身が、
金色で在ったとの伝承から、浄土宗の
寺院やお仏壇にお祀りする善導大師の
像は、半身が金色になっています。

法然上人は比叡山を下り、お念仏の生活
を送ると共に布教も始めました。
誰もが救われるとする教えは人々の心を
打ち、上人のもとを訪れる人は日事に、
増え行きます❗
それは、他の僧侶にも伝わり、天台の
学僧として活躍して居た顕真と云う僧侶
がその教えを知りたいと、多くの僧侶を 
招き比叡山北西の山麓に在る大原と云う
地で討論会を開き、そこで法然上人は、

「此の世で厳しい修行をして悟りを得る
一般的な教えと、お念仏で往生してから
悟りを目指す浄土宗の教え、内容にこそ
優劣は無いが、今の時代と人の能力を
考えると浄土宗の教えが合って居る」
との立場を示した処、此の答えに納得
した顕真を始めとした僧侶達は一緒に
お念仏をとなえたといい、此れが大原
問答と呼ばれ居るので在ります❗

法然上人の教えは広まりを見せますが、
上人の教えを誤って理解し、
他宗をそしる者が現れた事も在り、
浄土宗と他宗の有力寺院との間に摩擦が
生じ、延暦寺の僧侶は念仏を差し止め事
を同寺のトップで在った真性に申し入れ
、法然上人はその対応の為、弟子達に
行いを改めさせる文章を作り署名を求め
ました。此の出来事は元久の法難と呼ば
れ、然し事態は収まらず、
今度は法然上人の二人の弟子が後鳥羽上皇
に使える待女を勝ってに出家させる事件が
発生し、此れに上皇が怒り二人の弟子は
死罪、法然上人は土佐へ流刑、弟子の
親鸞さんは、越後へ流刑と成りました
法然上人七十五歳親鸞聖人三十九歳で
在りました❗
此の出来事は建永の法難と呼ばれます❗
七十九歳で許され京へ戻るので
在りますが、疲労で寝たきりとなり
建歴二年(1212年)
上人のお念仏の声は次第にかすかに成り
光明十方世界念仏衆生摂取不捨ととなえ
往生を遂げられました❗
享年八十歳(満年齢七八歳)で
在りました❗


 

死後の世界や来世の


【(後生の一大事)

浄土宗の法然さんは、

弥陀の本願を゙説いて

居ります。】


他力本願


阿弥陀如来の本願を

信じて疑わない者は

善悪凡夫全て救われ

ると説いて居られます

先程もお話しさせて

頂きましたが、

法然上人は今の岡山県

にて、豪族の子として

生まれ、九歳の時に、

父が討たれ瀕死の状態

の父に、此の仇は私が 

必ずや討ちますと申し

た処、息を引き取る寸前

の父依り、 

此れは、自業自得で在る

仇を討ってはならない、

仇を討てば、

自分の身に返って来る、

その繰り返しと成り、

救われ事等無いので在る❗

其れ依りもお前は出家をして

此の父の菩提を弔い、

そして本当の幸せを見付けて

欲しいと云われ、

母方の身内叔父で在る

僧侶勧覚の処へを寄せて

仏教を学び、十五歳の時に、

比叡山に入山します❗

非常に素晴らしい人で、

見る見る内に頭角を表し、

皆から、認められる存在と

成りますが、

密教や法華からは、

救いを見い出す事に

至らず、

(密教、法華は修行者や

其れを支える貴族達の

宗派で在り全ての凡夫を

救う教えでは在りません)


其の為本当の救いを求め

五宗派を周るので在り

ますが、

本当の救いを見い出す

事が出来ずに、比叡山

の黒谷の蔵へ籠もり、

蔵に収めて在る経文、

七千余巻を読み通し

五回読み通しした時に

中国の僧侶、

善導大師の書、

觀無量寿経疏と巡り

会う事で

弥陀の本願を知る

事と為る訳で在りま

して、凡夫を救わん

が為46歳にして、

浄土宗を開く事

為るので在ります❗


浄土宗は、お弟子の

親鸞聖人開祖の

浄土宗真宗に次二番目

に信徒の多い宗派で、

在ります❗



【余談】

私が、神事、勤行させて

頂くのは、至らない己

少しでも正す事が目的で

在りますが、

此れ又、 中々難しい

ので在りますがね❗


済みません。

私、鴉は凡夫の

最たる者で在り

ますので❗




【開経偈の偈とは、

詩を意味する言葉で在り、

お経とは、お釈迦様の

お話し、法話、説法の事

在ります。般若心経は

お釈迦様の説法で在ります

のでお経で在ります。


お釈迦様のお経の中の

三部経と云うお経の中に、 

仏説阿弥陀経そして  

仏説無量寿経と仏説

觀無量寿経と謂う

お経が在りまして、 

法然上人の夢枕に立った

中国浄土教の僧侶

善導大師が遺した著書

観無量寿経疏、その中で、

お釈迦様は、どんな人で

も阿弥陀如来への一念

信じる心(意)を持てば必ず

やお救い下さると説いて

居られます❗】

此の教え智得(会得)して、

後生の一大事を解決する

法を授かるので在ります❗


法然源空さんは、

後に浄土宗開祖と為るので

在ります❗



私は、真言密教の修行者で

在りますが、浄土宗にも

深く関わりが在りますので


四誓偈が毎朝夕唱えさせて

頂いて居ります❗


四誓偈は

浄土宗の根本経典、

三部経の中の無量寿経の

一部で在ります❗

阿弥陀仏が未だ法蔵菩薩

と云う位で修行を続けて

居られた頃、衆生を救わ

ずにはおかないと云う本願

を起こされて、永い修行の

後その本願を成就されて、

阿弥陀仏と為られ、

どの様な者でも阿弥陀様の

御名を称える者は全て浄土

に往生させて頂ける事を

お説きに為った教えで

在ります❗

 



浄土宗(浄土教)


香偈

 

願我身浄如香炉

願我心如知恵火

念念焚焼戒定香

供養十方三世佛

 

三宝礼

 

一心敬礼十方法界常住佛

一心敬礼十方法界常住法

一心敬礼十方法界常住僧

 

四奉請

奉請十方如来入道場散華楽

奉請釈迦如来入道場散華楽

奉請弥陀如来入道場散華楽

奉請觀音勢至諸菩薩入道場

散華楽

 

懺悔偈

我昔所造諸悪業

皆由無始貪瞋癡

従身語意之所生

一切我今皆懺悔

     十念

 

開経偈

無上甚深微妙法

百千万劫難遭遇

我今見聞得受持

願解如来真実義

 

四誓偈

 

我建超世願 必至無上道

斯願不満足 誓不成正覚

我於無量劫 不為大施主

普済諸貧苦 誓不成正覚

我至成佛道 名声超十方

究竟靡所聞 誓不成正覚

離欲深正念 浄恵修梵行

志求無上道 為諸天人師

神力演大光 普照無際土

消除三垢冥 広済衆厄難

開彼知恵眼 滅此昏盲闇

閉塞諸悪道 通達善趣門

功祚成満足 威曜郎十方

日月戢重暉 天光隠不現

為衆開法蔵 広施功徳宝

常於大衆中 説法獅子吼

供養一切佛 具足衆徳本

願恵悉成満 得為三界雄

如佛無礙智 通達靡不照

願我功恵力 等此最勝尊

斯願若尅果 大千応感動

虚空諸天人 当雨珍妙華



本誓偈

弥陀本誓願 極楽之要門

定散等回向 速証無生身

         

南無阿弥陀仏

    十念



合掌


皆さん、

拙いブログを

お読み頂きまして

在り難う御座います。


お陰様で在ります。


感謝で在ります。



誤字脱字、意味不明

纏まりの無い文章、

又足り無い処が在る

と想いますが、

お赦し下さいませ、


孤の仏教修験者


鴉天狗👺