懺悔文
無始よりこのかた貪瞋痴
の煩悩にまつわれて身と
口と意(こころ)とに造る
ところのもろもろのつみ
とがをみな悉く懺悔し
たてまつる
我昔所造諸悪業
皆由無始貪瞋痴
従身語意之所生
一切我今皆懺悔
人から煩悩を取って
しまう何も無くなって
しまう❗
どんな人も煩悩の塊で
在りますよ❗
どんなに、
偉そうで在っても
又鴉の様に、
何の変哲も無い愚か者で
在ってもですよ❗❗❗
其の心(意)の中に、
煩悩は、隠れて居る
ので在りますよ❗
否、身体其の物が、
全て煩悩で出来て居る
ので在りますね!!
幾ら装っても無駄で
在りますのでね❗
其れが人と云う生き物で
在りますよと、
お釈迦様は仰って
居りますのでね❗
仏の教えは、
自分を知る事から
始まります❗
自分の心(意)を
よく見る事を説いて
居られます❗
仏教は、法鏡で
在りますのでね❗
仏教を通して、
自分の眞の心(意)知る事が、
教えの基本なので
在りますよ❗
自分の心(意)を知る事
で、業(カルマ、行い)
を変える゙事が出来る様に
、成りますのでね❗
其の結果、
悪い種を蒔く事を
防ぐ事が出来るので
在りますよ❗
そうする事で、
悪縁を防ぐ事が出来、
因果道理も良い方向へ
向かって行きますので
ね❗
三毒、
百八在るとされる煩悩
の中でも、特に煩悩の
中の煩悩が、三業(三毒)
で、在りまして、
業とは、カルマで在り
、行いで在りますよ❗
此の行い業(カルマ)が
毒 なので在りますよ
❗
何故毒なのか?
此れからお話し致し
ますよ❗
人の煩悩が造り出す処
の三毒とは、
「身と口と心(意)つくり
出すもろもろの罪咎を
懺悔したてまつる❗」
三毒の中でも、心(意)で
想い、考えた事が身や口
に、表れますのでね❗
身に、表れた事は、
時として大変な事に、
成ってしまう事も在り
ましてね。
相手を傷付けて、
しまったり時として
死に、至らしめ犯罪者
と成ってしまったり等
、罪を犯してしまう
場合もで在りますよね
!?
口は口で在りましてね
❗
人に、悪口雑言を吐き
罵倒し傷付ける大きな
災いを造ってしまうの
で在りますよね❗
場合に因っては、自分の
人生を駄目のしてしまう
事に、成ってしまいます
よね❗
口は、災いの元で
在りますのでね❗
其の身の口から造る
ところの罪咎は、心(意)
が想い考えた事の成れの
果てで在りますのでね❗
其れ程心(意)は、
自分自身の生き方を
左右してしまうので
在りましてね❗
で在りますから゙、
仏教では、心(意)と
云うものの重要性を
説いて居るので在り
ますよ❗
慢心は、人を粗末し自分
をも粗末にします❗
慢心には、謙虚さが
在りません❗
下らない慢の心(エゴ)に
支配された弱い心が、
造り出す悪因で在ります
よ❗
詰まらない拘り等捨てる
事で在りますよ❗
比較するから゙、拘るので
在りますよ❗
そんなものは、
全て死ぬ時は、持って
行く事を出来ない
下らんもんで在ります
よ❗
金やものも同じで
在りますよ❗
地位も名誉そんなもの
もで在りますよ❗
拘るから、
心(意)が弱い侭なの
で在りますよ❗
拘るから、怒る❗
怒るの゙は、
心(意)が弱いから
で在りますよ❗
拘りを捨てれば心(意)
が軽く成り、
幸せに成るので在り
ますよ❗
心意が軽く成る、
此れこそが幸せでは❗
お釈迦様は、
般若心経で、拘る事
なかれと
説いて居られますよ❗
善人の家には、争いが
絶えない❗
悪人の家には、争いは
無い❗
何故か、
お判り為りますか??
善人は、
己を己が判って
居ないので在ります❗
悪人は、
己を己が判って
居るので在ります❗
自分を善人だと、
想う人は心(意)が
慢なので在ります❗
自分を悪人だと想う
人は心(意)謙虚なので
在ります❗
そんな偉そうな事を
ほざく鴉は、慢の塊
で在りますよ❗笑笑笑
今日は、
煩悩の中でも全ての
人に在る煩悩三毒に
付いてお話しさせて
頂きました。
お釈迦様の教え、
仏教は、自分を知る
事が基本で在ると
説いて居られます。
釈迦如来
真言
なうまくさんまんたぼだなんばく
皆さん、
お読み頂きまして、
在り難う御座います。
お陰様で在ります。
感謝で在ります。
誤字脱字、意味不明、
纏まりの無い文章、
そして又、足り無い処
をお赦し下さいませ、
其れでは又、
宜しくお願い致します。
失礼致します。
合掌
鴉天狗👺

