「子曰く、富にして求めべくんば、執鞭の士といえども、吾またこれをなさん。もし求めべからずんば、吾が好むところに従わん。」(述而)
孔子は、「富というものを望んで得られるのであれば、鞭を振るって執鞭のような下級の仕事でもこだわらずにその職に就き、富を得る努力をする。しかし、富というものは天命によるもので、自分から求めて必ずしも得られるものではない。だから、自分の好きな仕事をしたい。」と言った。
(これを受けて)渋沢栄一は、「私は富を求めようとして世に立ったのではないから、現在富んでいないのは当然である。富を求めないのに来るはずがない。富を求めて世に立った人が富を得たのもこれまた当然である。これは仁者が仁を求めて仁を得たのと異なるところはない。だが、いかに富を求めても、その器でなければ富はけっして得られるものでもない。」
富と求めれば富が来るのは当然であると渋沢栄一氏は言っている。
私も長年富を求めているのであるが、現在富んでいない。
渋沢栄一が正しいのであれば、私はまだその器ではないということか?
うーん。
皆さんはどう思いますか?