50数年間生きてきて

どんな時も自分なりに消化して

乗り越えてきた。 


何度も中耳炎で鼓膜を破り

痛い思いをしてきたこと。

人見知りが激しいのに

父がギャンブルの為に毎月家に人を呼び

一晩中うるさく遊んでいた事

大事な三輪車を捨てられては拾いに行ったこと

自分だけいつも違う事させられてきたこと

仲良くしていた幼馴染に仲間はずれにされたこと

母が常に兄貴贔屓だった事

家を引っ越すたびに貧乏になっていったこと

母から体罰を受けていたこと

思春期すぎても自分の部屋がなかったこと

学校で私物を盗まれたり捨てられたりしたこと

行きたい高校に行かせてもらえなかったこと

試験中なのにバカ兄貴のせいで

家族会議に参加させられたこと

母に私物を捨てられ続けたこと

希望する就職がダメだと言われたこと

結婚、出産、離婚の経験

兄の借金、父の借金

仕事の人間関係

母の介護、看取り、兄貴の尻拭い、父の世話


小さな事から、ややこしいことまで

親が面倒事に一切関わりたくない人達やったから

結構自分で乗り越えてきた。


人には恵まれて生きてきたとは思うけど

仕事の人間関係だけは、しんどいことの方が

多かった。

嘘ついたり、誤魔化したり、違反したり

そんな事が大嫌いだから

一生懸命頑張ってきた。


でも、この二十年位の間、

時代の変化、会社の組織の変化が大きく

関わる人の数も増えてくる毎に

ズルい人間が増えてきて

我が愛する会社もとうとう

真面目にやってる人が報われない会社になった。


要領よく、上司に半端しないイエスマンが

引き立てられ出世していく構図となり、

私のように それは違う と

声を上げるものは疎まれるようになった。


その結果、不当な理由で人事を降格させられ

誰にも救って貰えず、1人で組織と向き合った挙句、

面倒臭い奴扱いされ、

さらに、同期からは自分の思い込みが激しい出来事を

自分のプライドを傷つけられたからと、

30分に渡り一方的に私を罵倒してきた。


人生50年近く生きてきて始めて挫折した。

自分がこんなに打たれ弱いとは

思いもしなかった。

今までずっと、

どんな時も自分で自分を納得させてきたのに

今回は何故か無理だった。


今、仕事を休んでいる。

復帰しなければ生活出来ないのに。

働きたいけど、脳と身体が拒否する。

頭がぐるぐるする。

診断書も書いてもらった。


私は人としてこの先楽しく生きて行けるのか?

息子の前では元気でいたいけど

今はそれも無理みたい。

息子が寄り添ってくれてる。

私は弱いので死ぬ勇気はない。


わたしも結局ダメな人間だったなと思う。





明けましておめでとうございます。


仕事の都合で忙しい毎日を過ごしており

今年からはその役割を終え

一会社員となったため

自由な時間が増えるのを気に

不定期にブログの更新を再開しようと思います。


本当に疲れた4年間だった。

一生懸命会社のため、仲間のためと

頑張ってきましたが、

組織ぐるみのでっち上げ、嘘だらけの内容で

不当な扱いを受け降格人事を受け入れざるを得ない

事になりました。

このような事が本当にあるのです。

名前を出せば驚く大企業です。

世間はホワイトだと思っているあの大企業です。


内容はまだ公には出来ないです。

理由はお察し頂きたいです。


プライベートでも、

5年前に母を見送ってから、

一人暮らしのギャンブル依存症の父と

心身ともに病んでいるアルコール依存症の兄貴の

面倒を放っておけないこの地獄。


今年も色々ありそうです。





今日は4年前に亡くなった母の命日。


4年前の今頃、夕方から付き添いしていて

疲れ果てた私は

一旦家に帰り、うたた寝をしていました。


ちょうど今頃です。

病院から

母の血圧が低下しもう時間の問題だから

早く来てくれと電話がありました。


私はとりあえず、

息子に父と母の妹に連絡を取るように伝え

一足先に病院へ向かいました。


こんな時に限って、出くわす

信号という信号には引っかかりながら

何とか母の元へ急ぎましたが

電話の時点で間に合わないと悟りました。


10:20頃スーッと息を引き取ったと思います。


私が病院についたのは電話から

15分後位だったので、病院に到着したのは

亡くなってすぐでした。


病室に案内されると

まだモニターの電気が付いていました。

その時何と声をかけられたかは

もう忘れてしまってますが、

母の体はまだ温かかったです。


涙が目頭に溜まっていました。


母は私が間に合わなかった事を

きっと残念がってはいません。

むしろ、

私に亡くなる瞬間を見せたくは無かったはず。

私にしっかり見送って欲しかったと思います。


2020.6.11 午後11:11が母の死亡確認時刻です。

1並び‥‥なんとも母らしいと思いました。


あの日はたくさん泣いたけど、

母をちゃんと見送りました。

喪主は父で、火葬場の職員さんは

父にボタンを押すように促しましたが

父と一緒にボタンを押しました。


息子が小さい頃 母に、

『ばあちゃんが死んだら骨を

コレクションBOXに入れたい』と言っていました。


母の骨の一部が無いと成仏できないと困るからと

母に骨を少し家に置いておきたいと話しました。


母はもちろん、『いいよ』といいました。


なので、少しだけ母の骨が家にあります。

頭の骨の一部です。

母が生前気に入って使っていた化粧品の容器に

入っています。


まだ4年。もう4年。

母にはもう少しみんなを見守っていてほしいです。

まだ忙しくて、自分の事以外は

何もできないから。


父のことも、兄貴の事も、息子の事も

まだかまってやれる余裕ないから。


今年も見守りよろしくお願いします。