コロナ貧乏、1人親家庭の貧困が話題となる昨今。


ワタクシの20代を思い出します。


保育士1年目で希望に満ちていた頃、

社会人成り立てで、ずるい大人社会の裏なんて知らない頃、

園長、理事長のやりがいの搾取なんてわかるわけもなく

有りがちな、給与に残業代が含まれる、とか、住宅手当と交通費のどちらかしか選べないとか架空名目での控除があったり…


大学の同級生が初任給12万だ、15万だって言ってる時に、ワタクシは手取りで8万でした。


家賃、光熱費等払うと使えるお金は3万円程。

勿論食費込みで。


親からは頼るなと無いものと思えと言われてたので(亡くなる前の父はめちゃめちゃワタクシを頼ってましたが)貯金は必須です。

そちらに5000円程回してしまうともう使えるお金は2万円そこそこ。


幸せボンビーガールのようです(笑)


でも決して幸せには感じられませんでした。


交通費が出ないので、移動手段になんとしてもスクーターは維持しようとしてました。

北海道は交通網が不便なので。


園の先生方との飲み会に1回出るとその後の食費がアウト。

でも月1定例だったので…終いには先輩先生にご馳走になってました💧


今はお米は少量で売ってますが、当時はだいたいが10kg。3000円位する。

お米が買えないので主食はほぼパンか麺。


保育園は給食はおかずのみで主食は持参が通例です。


ワタクシが主食持っていかないので、子供たちに聞かれて、経験値の浅い当時のワタクシはお金が無いからと正直に答えてしまいました。


すると子供たちから親御さんの耳に入り、当時の園の地域は商店街が近く、お店経営のご家庭が多かったので

パン屋の親御さんからパンの耳、食品小売店の親御さんから賞味期限間近の売り物にならない乾麺、お弁当屋さんからは余ったご飯でおにぎり🍙を頂いたりして食い繋ぎました。


計り売りのお米屋さんには3kgで売って頂いたり。


本当にありがたかったです。


当時は世間知らずだったので、本当はお給料の内容や自分の経済状況等を親御さんに話すのは間違いなのもわかっていませんでした。


でも、お陰で保護者さんに助けて頂き、今があります。人の温かみに触れ感謝感激でした。


そんな保育園はおかしい、先生ならもっといい所で働ける、先生が園から居なくなるのは残念だけど、もっと条件のいい保育園に移りなさい、と親御さんに励まされました。


そんな生活が2年半程続いたのち、公務員の保育士試験に合格して正社員に。


お給料も待遇もこんなに違うんだ!と目から鱗でした。


そして、あの園長、理事長の汚ないやり口に腹が立ちました。


でも、そういうのは今も変わらないんですよ、保育園って所は。


保育園は福祉なのに、金儲けを目論む経営者も多いんです。

本来保育士に支払われるべき、保育士処遇改善費を着服する経営者も多くて。


福祉目線でしっかりやっている所には支援金や助成金が少ない。どうなってるの?


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この頃news zeroを見ながらよく思い出すのです。自分の貧乏生活を。


コロナ禍で貧乏生活を余儀なくされている方々、もう少し頑張りましょう!

今は探せばいろんな所が助けてくれます。諦めないで!


と切に思います。