2025年10月某日、久しぶりに倉賀野浅間山古墳の墳丘まで行ってみた。散歩がてらの訪問でカメラも持参していない。この古墳は墳丘全体が私有地であり、立ち入り禁止区域です。一部は畑として利用されているので高崎市役所の名前で立入禁止の看板を立てられている。おそらく所有者からの設置依頼があるのでしょう。それだけ墳丘に無断で登る人が絶えないという事だと思います。
↑彩色土器の検出場所
訪問した日は、田んぼのあぜ道を伝わって前方後円墳のくびれ部南西側まで行ってみた。墳丘の周囲では埴輪のかけらをたまに見かける事がある。当日も5個ほど拾いました。おそらく墳丘の上部に設置してあった円筒埴輪が崩れて落ち、周囲に散乱しているのだと思います。拾った土器片を自宅に持ち帰り、後日、歯ブラシで洗浄してみた。その結果、5個のうちの2個に採色が有る事が分かりました。しかもハケ跡もはっきりと残っています。水に濡れると鮮やかな赤茶色が浮かび上がってくる。この古墳では過去にも埴輪片を拾っているが、採色埴輪を見つけたのは初めてです。
↑手前2個に赤色彩色とハケ跡がある(クリック拡大)
↑彩色のある部分の断面と表裏(クリック拡大)
補足:彩色のある土器片2個の彩色面の下部は何れも黒い色している層がある。さらにその下部には通常の土器色である明るい色の層がある。これは彩色された部分は通常の粘土の上に特殊な粘土を重ねた上で、彩色を施したと推定できる。もう一つの可能性は黒い部分はすべて顔料が焼成されたときの色である可能性もあるか。顔料は焼成するときの温度や粒度によって色が変化するという。ただ、そう考えても表面は現に赤色に発色しているので疑問が残る。そもそも顔料はどのくらいの厚みで施されたのかという点も分からない。また、このような出土事例について調べてみたが情報は得られなかった。知識のある方がいたらご教授頂きたい。
ところで、彩色に使われた顔料はなんだろうか? 赤い色は神聖な色として、旧石器時代、縄文時代から土器や木製品の表面に塗られたり、墓に埋葬するときに上から振りかけたりしたという。古墳時代までの赤色顔料として知られているのは、①辰砂(朱)、②ベンガラ、 ③鉛丹の三種類がある。だが、鉛丹は主に奈良時代以降であり、古墳時代前期の古墳出土品では考えられない。西日本では弥生時代の終わり頃から赤色の顔料として辰砂が多く使われるようになる。古墳時代はじめには辰砂が古墳の石室に多く振りまかれるようになった。奈良県の大和天神山古墳の竪穴式石室には41kgの辰砂が使われていたのは有名です。一方の東国では辰砂の使用例はそれ程多くはない。辰砂を産出する場所が少なかったのかも知れない。群馬県富岡市の丹生地域には辰砂の産出跡がある。「丹生」という地名は水銀を産出したことに由来し、日本では各地にあるようだ。西日本では多用されているが、主に石室の内部に使われており、当時としても貴重品であったことが想定できる。
補足:辰砂(朱)とは赤色の由来となる主成分が硫化第二水銀であるものを指す。少し暗めだが鮮やかな赤色であることが特徴。顔料の色はまずその成分で決まるが、顔料粒子の粒度や形状によっても変化するという。朱は特に粒度により色が変化する代表的な顔料である。
古墳を装飾する円筒埴輪は大量に設置されており、彩色する顔料は希少品ではなく、もっと手ごろに入手可能な顔料であったはずです。その顔料として可能性が高いのはベンガラです。「弁柄」や「紅殻」とも表記します。ベンガラとは、土中の酸化第二鉄を主成分とする赤色の無機顔料のことです。天然では赤鉄鉱として産出されている。インドのベンガル地方で良質なものが産出することから、日本ではベンガラと呼ばれるようになったと言う。鮮やかな赤色ではなく、少し茶色っぽい落ち着きのある色合いが特徴。赤褐色とか赤銅色とも呼ばれます。しかし、ベンガラは燃焼温度と調合により、黄、黒、緑、紫といった様々な色合いをつくることもできるそうです。また、ベンガラは空気中でも安定的な酸化状態で、化学変化が起こりにくく、耐熱性、耐水性、耐光性、耐酸性のいずれにも優れている。経年変化にも強く、日光による褪色がほとんど無い。つまり先の画像の色は造られて当時とあまり変わっていないという事です。
群馬県渋川市の金井東裏遺跡では大量のベンガラが出土している。この遺跡は5世紀代の集落跡で、西暦495年榛名山の古墳時代一回目の噴火による火砕流・火山灰に埋もれて終焉している。祭祀の最中に火砕流に埋もれてしまった「甲(よろい)を着た古墳人」が発見された事は記憶に新しい。彼は渡来系形質を持つこと、歯のエナメル質分析から長野県伊那谷で幼時を過ごした可能性があることも判明している。
この遺跡で発見されたベンガラの形態は直径10㎝くらいの玉に固められているので赤玉と呼ばれています。赤玉は酸化鉄を含んだ土をこねて丸めたもので焼成されていない。使うときは水に溶かして使用されたらしい。金井東裏遺跡では120個もの赤玉が出土している。
↑赤玉出土状況(群馬県金井東裏遺跡)
↑赤玉の大きさ
↑博物館に展示されている赤玉(群馬県埋蔵文化財調査センター発掘情報館)
以下は埴輪をベンガラで赤く彩色した事例です。私が倉賀野浅間山古墳で拾った埴輪片と色合いがそっくりです。なお、倉賀野地区の遺跡では赤玉は発見されていない。この古墳は金井東裏遺跡よりも100~150年ほど時代が遡るので、当時、赤玉として顔料を保管していたのか定かではない。
↑赤い彩色のある円筒埴輪破片(三重県飛塚古墳)
↑赤い彩色のある家形埴輪(三重県飛塚古墳)
↑赤い彩色のある人物埴輪(群馬県上芝古墳)
このように知識の上ではベンガラの使用実績は証明されているが、実際に身近にある古墳で手にしてみると、当時の人々の色に対する憧れやこだわりが感じられて感慨深いものがあります。人工的な構造物が非常に少ない当時において、大古墳の墳丘表面に立ち並ぶ色鮮やかな彩色埴輪群はさぞかし壮観であった事でしょう。
↑保渡田八幡塚古墳5世紀後半築造(復元形)クリック拡大
了
【参考・引用】
■高崎市ホームページ 浅間山古墳
■群馬県埋蔵文化財調査事業団ホームページ
金井東裏遺跡 甲(よろい)を着た古墳人だより第2~6号 PDF
■東京国立博物館1089ブログ はにわにも色がある!
■三重県埋蔵文化財調査報告355 飛塚古墳発掘調査報告 PDF
■カミノブログ 「ベンガラってなに?」



























































































