6月30日、朝日カルチャーくずは教室で

ピーと磯前順一氏の対談形式の講座があり
友人と参加しました。
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テーマは

瞳みのる『裏切らない確かなもの』について語る

聞き手は国際日本文化研究センター教授磯前順一先生です。

 

くずは教室の受付にはピーのサインの色紙

老虎隊 2024.6.30
 
<歴代の色紙>

 

 

2016.11.15 老虎再来 

 

2018.3.18 老虎再来

 

2019.2.3節分 老虎再再来

 

2020.10.25 老虎隊 Ro♪ck Do♪wn

 

2022.3.6 老虎再来

 

2023.3.5 来来来 老虎再来

 

2024.3.24 老虎乐队 
※老虎の後の二文字がわからなくて

講座の最後の質問コーナーで

質問されてる方がいました。

ピーの答えは中国語の略字だったと…。

それを手掛かりにネット検索。

意味…楽隊、楽団、バンド

 

聞き手の磯前(いそざき)先生のリードがよくて脱線する事なく確信にも迫るような

突っ込んだ質問もあり、私達ファン目線の進行もありで参加して良かったです。

時間の経過と共に記憶が薄れてくるので印象に残っている事を書き留めます。

 

1967年2月に♪「僕のマリー」でデビューしたザ・タイガースは

1971年1月24日に武道館でビューティフルコンサートを行い解散。

そのコンサートでピーが♪「ヘンリー8世君」を歌っていた時に

「これが僕の生涯で最後の舞台です」と言いましたね。

当時、小学生だった磯前先生はすごく印象的だったそうです。

私も思い出します。すごく切なく、寂しく、辛かったです。

 

ピーが、そういう気持ちになったのにはザ・タイガースとして活動した約4年間の間にいろんな心の動きがあった

のですね。そんな事も、磯前先生はひも解くように聞いてくださいました。

 

六本木のイタリアンレストラン・キャンティは、言わずと知れた文化人の集まるサロンのような場所。

内田裕也さんにキャンティに連れて行ってもらったときのメンバーの反応も様々。

かつみは入りびたりになった。ピーは料理が好き。他のメンバーはそれほどでもなかった。

そのキャンティでピーは柴田錬三郎さんと知り合ったんですね。

柴田錬三郎さんはピー達のいる芸能界は虚像だとおっしゃった。

ピーも、地に足がついてない生活だと思うようになった。

このまま芸能界に居つづけたらダメになってしまう。

何が欠けてるのか?順を追って勉強してこなかった。

 

年端もいかない若者たちが、魅惑だらけの芸能界で自分を見失わずに生きる事の難しさを、私も想像します。

一緒にいるのが楽しくて、想いだけで飛び込んだ芸能界。

そこには普通の若者では体験できない夢のような世界があった。

当時、雑誌で「得たものも多いけれど、失ったものも多い」―

そんな記事を読んだ記憶があります。

ピーもメンバーも、よくぞ自分を見失わずにいてくれたと思います。

 

そしてザ・タイガースは解散し、

ピーは勉強をし直そうと思ったのですね。

ピーが頑張れたのは『ザ・タイガース』の誇りというような事をおっしゃってました。ザ・タイガースの名に恥じないように。

 

解散後、ジュリーが歌番組に出た時に司会者の方に『元ザ・タイガース』というような紹介をされるのを嫌がっていた記憶があります。違う形で、ジュリーも『ザ・タイガース』を大切に思い、その肩書に押しつぶされないように必死だったのかな…と今は思えます。

 

ピーは人のタイプもわかりやすく説明してくれました。

後退する人間、

停滞する人間(たまには前進し、たまには後退する)

前進する人間

これをメンバーに当てはめると非常にわかりやすい(^^)

 

磯前先生はLP「ヒューマンルネッサンス」も

高く評価されてて、「ヒューマンルネッサンス 2」を作る話も、当時あったのではないか?

とピーに聞かれていましたが、結局どうだったんだろ…。

 

1971年1月24日のままで終わらずに

雪解けがあって友情が復活して良かったと思います❣

講座はもっと色々な話題がありましたが省略(^^ゞ

当時のピーの気持ちを少しでも深く理解できたような

私も大人になったもんね。前進する人間になりたいです。

 

帰宅後、「ザ・タイガース世界はボクらを待っていた」

を本棚から取り出してみました。

磯前先生のサインをもらっていたようです。記憶曖昧(^^ゞ

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買った時 一気に読みました。

今回の講座を受け、もう一度読み直したいと思いました。