阪神タイガース 優勝 | 縦縞日記。

阪神タイガース 優勝

秋空広がる甲子園のデーゲーム。

小学2年生の私は父とTVにかじりついていた。

9回裏、赤星がサヨナラタイムリーを打ちマジック1になった。

ハイタッチをしようと父の方を向くと、父は声を上げて泣いていた。

初めて見る父の号泣する姿に引いた。

いやそんなん大袈裟やん………はっきり言うて。

父は何で18年も優勝しないチームを応援し続けたのだろうと疑問に思った。

2003年9月15日の出来事だった。





阿部の放ったライナーを金本が掴んだ。

2年振りだった。

父は隣で笑い、私は泣いた。

18年振りの次は2年振りだった。

黄金時代の到来だと思った。

またこの喜びを何度でも味わえると思っていた。

私はまだまだ純粋な小学4年生だった。





小学生から中学生になった。

それでも阪神は優勝しなかった。

中学生から高校生になった。

それでも阪神は優勝しなかった。

高校生から大学生になった。

それでも阪神は優勝しなかった。

成人し球場でビールを飲めるようになった。

それでも阪神は優勝しなかった。

大学生からサラリーマンになった。

それでも阪神は優勝しなかった。

最後の優勝監督、岡田彰布が戻って来た。

それでも………と思っていた。

実に長く、そしてつらかった17年間。

赤星も、矢野も、金本も、桧山も、球児も、鳥谷も…

憧れだった選手たちはみんなグラウンドを去った。

それでも近本が、中野が、大山がー

ドラフトからずっと見てきた同世代の選手がチームの中心となり、掴んだペナントは格別のものだった。 





球児が涙し、驚異的な追い上げを見せるも中日にあと一歩及ばなかった。

2008年、10月の雨の横浜スタジアムで終戦を見届けた。

1ゲーム差で優勝を逃したこともあった。

2015年、夏の東京ドーム3連戦で3連敗し座席から立ち上がれなくなったこともあった。

最後は当時狙ってた女の子と真中監督の胴上げを目に焼き付けた。

開幕から首位を快走しても最後の最後でヤクルトに捲られた。

今年こそはと臨んだシーズンで開幕9連敗をした。

それでも阪神ファンをやめなかった。

やめる気なんてさらさらなかった。

ミスターの言葉を借りるならば、人生そのものだった。

友達と遊んだあと、習い事から帰ったあとはすぐにナイター中継に夢中になった。

勝てば父と六甲おろしを歌い、負ければパワプロで対戦相手をボコボコにした。

部活で試合に行っても終わったらすぐに1球速報を開いた。

講義に行く前に自由席の場所取りをして、終わったら大学から球場に直行した。

サラリーマンになったら会社を出た瞬間、アプリを開いて中継を見ながら電車に乗って帰る日々だった。

声優やアイドルのライブに行こうが、旅行に行こうが、会社の飲み会に巻き込まれようが、隙さえあれば試合の動向をチェックしていた。

18年も優勝しなかったチームをずっと応援していた。





そうか、あれから20年も時間が経ったのか…

2023年9月14日

42のまだまだ元気な白髪混じりのおっさんは、62のジジイになってた。

気が付けば髪の毛は真っ白になっていた。

フライが上がった瞬間、もう目の前は見えなかった。優勝した事だけは分かった。

父と二人でただただ泣いた。

17年分の涙が止まらなかった。





夢と感動をありがとう。

おしまい。