昔、竹下登は田中派にあって、創政会を立ち上げた。
角栄が後継者を決めないので、立ち上がったのだ。
竹下は雲州出身だが、戦国時代は毛利の支配下であった。
毛利家は元来、藩主は象徴的な存在であった由。
その流れを毛利敬親は汲んでいた。
従って、部下の具申には大抵“そうせい”となったらしい。
敬親は若者の意見にも耳を傾けたようだ。
殿様がダメだ、ダメだ!と言う人じゃない。
だから若者の新しい考えや意見も盛んに出て来た。
こうゆう風土だから、有能で果敢な若者が出て来たのだ。
桂小五郎、高杉晋作、吉田松陰、久坂玄瑞、伊藤博文等々。
翻って、竹下登を見ると、毛利の形が見える。
自分が派閥の長に納まった時、有能な部下がいた。
竹下七奉行と言われた人達。
橋本竜太郎、小渕恵三、梶山静六、小沢一郎、羽田孜、奥田敬和、渡部恒三。
この内、3人が総理大臣になっている。
これ等を育てたのだ。
師の田中角栄とは違った、リーダーだった。
竹下は、毛利敬親の“そうせい”を手本に創政会を作った。
竹下の国会での演説はある意味で有名だった。
“言語明瞭意味不明”
自分を象徴的な存在へと昇華させた?
毛利敬親とよく似ている。
多くの人材を輩出した点なども共通項だ。
昔は派閥があり、そこが男を磨く場であった。
今も派閥はあるが、形だけのもの。
全員が総理の顔色をうかがっている。
従って、安倍の次が見当たらない。
切磋琢磨する環境が無いのだ。
ゴマ擂り、茶坊主体制とでも言うのか。
一人位、俺は安倍を倒すと言ってみろ!
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