・・・葬儀式での挨拶から・・・
故人、母・花子は大正7年、郡上市白鳥で生を受けました。
22歳で、正三と結婚し、岐阜市で生活を開始。
27歳の時、岐阜の大空襲に遭遇。
全てを焼き尽くされ、郷里白鳥に戻りました。
極貧の中、和裁で生計を助けながら、父と共に四人の子供を育ててくれました。
62歳の時、夫・正三は66才で先立ち。
その後は、詩吟、大正琴を趣味とする傍ら、法華経も学びました。
80歳を過ぎた頃、新聞、テレビに多く出てくるカタカナが解らない、
それの解る外来語辞典がほしいと言い出す。
加えて、読書家でもあり、知識欲は老いても、旺盛。
90歳を過ぎる頃から、記憶力に衰えが感じられました。
昔の歌は良く覚えていて、童謡や軍歌を得意げに歌う。
地元に伝わるHな民謡も歌い、みんなと楽しんでいました。
一週間ほど前には「学校に行きたい」と言い出しびっくり!
「何しに行くの」と聞けば「そら勉強やがな!」とまともな答え。
また一方では「弱った、弱った」と口走りました。
「何が弱ったの?」と聞きますと、
「米がないので弱った!」と真剣に言っていました。
人の認識は出来なくなりましたが、昔覚えた歌や、
貧しかった頃の記憶は、頭の片隅に残っていたようです。
楽しい反面、甦る苦しかった記憶に、淋しさを覚えました。
父と母の二人から始まった家族は42人となりました。
大正、昭和、平成と、激動の96年7ヶ月。
最後は自宅で、曾孫の手を握り締め、眠るが如くの大往生でした。
お世話になりました皆様に深く感謝申し上げます。
残りました手前共は、頂きましたご恩に報いるべく、努力を重ねてまいる所存です。
変わらぬご厚情をお願い申し上げ、お礼の言葉とさせていただきます。
有難うございました。
“寒ながら 涼しげな顔 永久の旅”
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