69年前の今朝、焼跡に立ちつくしていた。

昭和20年7月10日の朝、この記憶は鮮明である。

家の玄関に畳が20畳ほど積んであった。

それが、積んだままの姿で、灰になっていた。

これを見て、ああ此処が玄関だったのかと判った。

それ以外は全て燃え尽きた、焼け野原。

10万人が家を失い、900人が死亡している。

我々は何とか生き残ったが、家は勿論、全てを失った。

一昨日の新聞に、岐阜市の建物疎開の話が載っていた。

空襲時に、延焼を防ぐ意味で建物を強制的に破壊した。

これは岐阜に限らず、東京、名古屋等でも行われた。

これは、何の効果もなく、全てが焼き尽くされた。

敵の実力を知らない、何とも愚かしい政策である。

江戸時代の鳶の火消し程度の発想である

何故、焼かれる前に、戦争を止めようとしなかったのか?

 今一つの話題は、親友がある疎開の資料をくれた。

それは京都東本願寺が所有する法寶物を疎開させた話。

トランク八個分を、我が白鳥町のある檀家に預けられた。

これには昭和20年6月7日付けの保管契約書が見られる。

この頃は、沖縄が壊滅状態になる時である。

京都も時間の問題と思われ、各地に貴重な品や文書を疎開させた様だ。

これは戦後3年程して、無事に帰還された様だ。

前記、家屋の立ち退き破壊による疎開とは、次元が違う気がする。

権力を振りかざす政治家に比し、宗教家の冷静さが感じられる。

あれから69年を経た今、何かキナ臭いモノを感じる。

成長戦略に、軍事産業を絡め、国民を騙そうとしていないか?

成長一辺倒のアベノミクスにイエローカードを出したい。

戦後の素晴らしい成長の陰に、大事なモノを忘れて来た。

それを取り戻しに、いつか来た道に戻る事は許されない。

取り戻す為には、新たな道を模索せねば・・・。

         灰の畳の記憶が消えない 寅次郎

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