茨城県石岡の義兄(87)が古い写真に句を添えて送ってきた。
70年前の、軍国青年の写真だ。
七つボタンはサクラに錨の予科練である。
石岡の近くに“霞ヶ浦海軍航空隊”があった。
迷うことなく、予科練の門を叩いた。
軍歌“若鷲の歌”
♪若い血潮の予科練の 七つボタンは桜に錨
今日も飛ぶ飛ぶ霞ヶ浦にゃ でっかい希望の雲が湧く-
ここで多くの特攻隊員が養成され、南の空に散って行った。
寅も小学校入学前に、ラジオ放送を真似ていた。
「大本営発表、本日午前八時南太平洋において敵空軍と交戦・・・。
敵機多数撃墜、わが方の損害は軽微なり・・・。」
そして、若鷲の歌も覚えた。
まさか、その霞ヶ浦の近くの娘と結婚するとは露知らず。
そしてその兄が、霞ヶ浦海軍航空隊で特攻出撃を待っていたとは。
兄は今87歳・・・この先を考えたのか?
当時に書いた遺書のコピーを送ってきた。
女房も、こんな兄だったのか・・・始めて知ったと感慨。
この遺書にある歌は、吉田松陰の辞世に事寄せたもの。
その心境たるや、まさに同じだっただろうと思う。
“身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂”松陰
“身はたとい 鹿島の沖に果てるとも 留め置かまし 大和魂”茂男
純粋に、お国の為、死を覚悟していたと思う。
兄は俳句を趣味とし、句集も出している。
そこには、戦争にまつわる句が時折顔を出す。
“敗戦忌 おおかたの兵 八十路超ゆ”
“老兵の 草笛いつも 海征かば”
“帽振りて 夏を別れの 知覧かな”
“わだつみの 声なき声や 終戦忌”
“老兵に 辛き万朶の 桜かな”
この度の、集団的自衛権をどう思うか?
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