3年が過ぎた。
今年はテレビの前で黙祷を捧げた。
気仙沼の第18共徳丸が消えた。
震災一カ月後、気仙沼に入り信じられないモノ沢山見た。
取り分け、この船に大きなショックを受けた。
友達と二人で行き、しばしその場を動けなかった。
ある人が、そばに寄ってきた。
我々が作業服姿だったせいか、声をかけて来た。
「この船を早く始末してくれ」と言う。
「この船の下は、俺の家があった所なんだ」と。
我々を解体屋と見込んだようだった。
その後も、気仙沼に行く度に、この船に出会ってきた。
五度目に行った時、解体が決まり、周囲は白いフェンスに囲まれていた。
周囲の景色が変わってゆく中で、この船だけは変わらなかった。
気仙沼市はこの一帯を記念公園にして残すと言っていたのに。
しかし、この次来る時は、もういないのか・・・。
訳もなく、もの凄く淋しかった。
“忘れてほしくない”と言いながら、震災遺構が消えてゆく。
“思い出したくないから”と言いながら、忘れてほしくない、と言う矛盾。
つらい思いをする人達は、今を生きている人達だ。
不謹慎なモノ言いかもしれないが、
命尽きれば、その思いも消えてなくなるだろう。
それと同時に、全てが忘却されては、あまりにも淋しい。
遺構を残せば、500年、1000年先までも記憶に留まらないだろうか。
部外者が、深い痛みも解らずに、とお叱りは覚悟の上だ。
何の災害遺構もなくなり、新しい街だけが出来ても・・・。
そこへは、訪れる意味も薄らぐ。
手を合わせる対象物もなくなり、穏やかな海を見るだけだ。
今は、本当に辛いかも知れない。
でも、もう少し先を見て下さい。
連綿と命を繋ぐ子孫に、思いを馳せて・・・。
亡くなられた方々に酬いる為にも。
そして、忘れない為にも・・・。
にほんブログ村 上をクリックして寅のランキングUPにご協力ください!



