元中日ドラゴンズのエース河村保彦が旅立った。
わが青春の譜に、立ちはだかった男の一人である。
昭和33年夏、夏の高校野球岐阜県予選。
準決勝は、強豪岐阜商業。
この時、高木守道はセカンドで、すでに華麗であった。
しかし、我が岐阜工業はそれを蹴散らした。
強豪を破った事で、甲子園は九分九厘と思った。
決勝の相手は、河村を擁する多治見工業。
決勝初日は延長15回、0:0で、翌日再試合。
再試合は2:0で我が方は涙。
当時、無名の多治見を甘く見て、甲子園は夢幻と消えた。
寅は入学時に体調を崩し、野球を続けられなかった。
体調を崩したのは、勉強のし過ぎという説もありやなしや。
その後は、適当に青春を謳歌していた。
3年生の時、応援団長に祭り上げられた。
野球の出来ないつらさを、スタンドで爆発。
憎きは、甲子園行きを遮った、多治見の河村保彦!
終生、忘れる事の出来ない男だったが、一昨日、旅立った。
もう一人は、高山市のシニアソフトボールの牛丸 稔選手。
これも同じ年である。
この10年、互いに、老骨に鞭打ち、戦ってきた仲である。
亡くなる二週間前には、会議で今年の抱負を語りあったのに。
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