あるスポーツの開会式に出た。

東北関東大震災の後であり、開催をも憂慮された。

しかし、総てを控えめに、質素にと言う事で行われた。

全員での黙祷と、会長の挨拶のみ。

来賓はお断りしたが、祝電が届いた。

その披露も止めた・・・何故?

電文は「○○××・・」写真の通りである。

平時なら、非常に温かいメッセージであり、うれしい。

しかし、この時期、お祝いだけでいいだろうか?

あえて言うなら、

「未曾有の大災害の中、スポーツの出来る事に感謝し

 スポーツを通して、勇気と希望が届けられるよう

 皆さんの、力一杯のプレーを期待致します」

ではないだろうか?

「心は見えないが、心使いは見える」

と、この所、TVは言い続けていた。

頼まれたから、毎年の事だからと機械的に届く電報に“心”はあるか?

見る人は見、聴く人はちゃんと聴いている。

折角の行為が裏目に出ては、逆効果で無意味だ。

折角いただいた祝電に、難癖をつけるなよ!

こんな事言っちゃ、次回から来ねぇなぁ・・・。

ご免なさい!

晴天の下、みんなで義援金を出してから、元気に戦った。

                      一言多い 寅次郎
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