この記事は再掲記事(抜粋)です。

過去記事とコメントは こちら ↓

私が離教した経緯(補足)聖書の物語とメシヤの必要性
https://ameblo.jp/toraji-j/theme-10097280312.html

 


<前略>

 

家庭連合(旧・統一教会)では

人間の罪の根は性関係だったと教えています。

 

祝福を受ける(教祖サマに決められた人と結婚する)前も、純潔、純潔…

 

祝福を受けた後も、聖別、聖別(禁欲生活)…

 

家庭出発した後も、見ざる聞かざる触れざる… 

 

相手がどんな人でも離婚はご法度…

 

教理で罪の原因が性関係だったと教えられている上に
その後も、ずっと、純潔、禁欲生活、不倫すれば地獄…

みたいな内容を聞かされるので

特に未婚の状態で入教した方は性に対して抵抗を感じたり

積極的になれない…

というか嫌悪感すら感じていた方も、いらっしゃるのではないかと思います。

 

 

引用した文中の斎藤一人さんの言葉に、ハッ! としました。

 

SEXが悪いモノだとしたら、その行為から生まれたオレたちは

みんな悪いモノになっちゃう。
それって、ちがうよな。

 

この部分を読んで、私が離教した経緯は

前々回の記事で最終回だと言っておきながら
書き忘れていた事があったのを思い出したので

補足として書く事にしました。

 

統一教会の教理(堕落論)としては、人類始祖が時ならぬ時(未成年)に
性行為をしてしまった事が、全人類に罪を繁殖させる原因となった…
と主張しています。

 

聖書の失楽園の物語を 「事実」 としたうえでの

理論を展開している訳ですが

その聖書自体も最近の研究で、それ自体が改ざんされた事や

抹消された部分も、あった事が明らかにされてきています。

(イエスキリストの妻の福音書が発見されたり…)

 

私が離教を決意できたのは、そういう部分を知った事も大きかったです。 

 

話を戻して、斎藤一人さんの言葉の中にもありますが
統一教会の堕落論を一旦、信じてしまえば

その行為から生まれたオレたちは、みんな悪いモノになっちゃう

訳です!

 

1.聖書は神様の啓示を受けて書かれた書物で

  比喩で表現されているが、全て事実である。

        ダウン         

2.「取って食べてはならない」 というのは
  未成年期に性行為をしてはいけないという神様の戒めの比喩だった。

  (統一教会独自の解釈)
       ダウン         
3.人間始祖は神様の言いつけを守らず、性行為で堕落した。

       ダウン

4.人間始祖の堕落により原罪は全人類に綿々と受け継がれた。 

  全ての人が罪人、私も家族も友達も、み~んな罪人。

         ダウン

5.原罪を持ったままでは、天国に行ける人は一人もいない。

  おまけに連帯罪、遺伝罪、自犯罪なんていうのも、あるらしい。

         ダウン

7.さて、困った! どうする、どうする?(不安)
        ダウン
8.「安心して下さい! ジャジャジャジャーン! 
   ここに神の一人子、メシヤがいらっしゃいます。

   2千年前に十字架に掛けられたイエスキリストの

   果たせなかった使命を持って誕生された再臨のメシヤです!
   この方は神様と霊界に精通されていて

   宇宙の真理をご存じの方です!

   再臨のメシヤの指示の通りに生きれば

   あなたも天国に行けるのです!

   同じく罪人の家族と知人を伝道しましょう!」

        ダウン

9.「そうだったの!? 知らなかった! 何て有り難い!

  世界平和と地上天国建設の為に奉仕と伝道、献金、頑張りますッ!!」

 

全ての信者さんが、こういう流れではないかもしれませんが
大体、こういう過程を通って

家庭連合(旧・統一教会)の信者になっていくのではないかと思います。

 

でも…

 

今、9番の位置にいる方も、ゆっくり遡ってみて下さい。

 

ずーっと、ずーっと遡って、1番まで遡ってみて下さい。

 

1.聖書は神様の啓示を受けて書かれた書物で

  比喩で表現されているが、全て事実である。

 

本当に、そうなんでしょうか…?  

 

もし、その内容が事実ではないとしたら?

 

この理論体系は、土台から崩壊してしまうのです!

 

30~40年前には、あやふやだった事も
現在は科学の発達により、考古学の分野でも

新しい事実が次々と解明されてきています。

 

自分は、本当に視野の狭い井の中の蛙で

浦島オバサンだったなぁ~と

離教してから、つくづく実感し恥ずかしく思いました。

 

入教した当時の30年前の理論体系を

その後の発達した科学的な分野から再び検証する事もなく

惰性的に、ずっと信じ続けていたのです…

 

「科学と宗教を統一する!」 

と主張している統一教会に在籍していたにも関わらず!です。

 

以下、原理講論の総序の内容です。

hitosatoさんのブログより転用させて頂きました。

「原理講論は自らの言葉で自らの首を絞めるように作られている」http://blogs.yahoo.co.jp/yondewanaranai/12108675.html

 

<引用始め>

『人間は、あくまでも論理的であると同時に、
実証的なもの、すなわち科学的なものでなければ、
真に認識するということはできないので、
結局、宗教も科学的なものでない限り、
よく知ってそれから信ずるということが不可能となり、
宗教の目的を達成することはできないという結論に到達するのである。
このように、内的真理にも論証的な解明が必要となり
宗教は長い歴史の期間を通じて、
それ自体が科学的に解明できる時代を追求してきたのである。』
 
『それでは、その新しい真理は、いかなる使命を
果たさなければならないのであろうか。
この真理はまず、既に論じたように、
宗教が探し求めてきた内的真理と科学が探し求めてきた外的真理とを、
統一された一つの課題として解決し、
それによってすべての人々が、内外両面の無知を完全に克服し、
内外両面の知に至ることができるようなものでなければならない。』
 
このように総序は、新しい真理として登場した統一原理こそは、
論証的な解明が為された外的真理と内的真理の
両面知を持ったものだと言ってのけたのである。
しかもご丁寧に、基督教を現代の宗教の代表例にあげて、
如何に救いの摂理において無能化しているかを指摘し、
その原因が『科学的な解明が全面的に欠如している』からだと
切って捨てたのである。次の一連の文章がそれだ。
 
『今日のキリスト教が、そのような世代の激流の中で、混乱し、分裂し、
背倫の渦の中に巻きこまれていこうとする数多くの命に対して、
手を束ねたまま何らの対策をも立てることができないというこの現実は、いったい何を意味するのであろうか。
それは、従来のキリスト教が、現代の人類に対する救いの摂理において、いかに無能な立場に立っているかという事実を
如実に証明するものと見なければならないのである。』
 
『宗教が、このような運命の道をたどるようになったのには、
更にもう一つの重要な原因があるのである。
それは、科学の発達に伴い、人間の知性が最高度に啓発された結果
現代人はすべての事物に対して
科学的な認識を必要とするようになったにもかかわらず、
旧態依然たる宗教の教理には、科学的な解明が全面的に欠如している
という事実である。
すなわち、既に述べたように、内的な真理と外的な真理とが、
いまだに一致点に到達できていないというところに、
その原因があるのである』
<引用終わり>
 
改めて読むと、ものすごく矛盾していた事に気付きます… 
 
従来のキリスト教や他宗教の教理には、
科学的な解明が全面的に欠如している! 無能だ!
とボロクソに批判しながら、
非科学的な聖書の失楽園の物語を基盤にして
統一教会独自の理論体系を構築し、
絶対的な真理として教えているのです…
 
修練会や礼拝の説教でも、聖書の聖句を、たくさん引用していました。
 
科学の発達に伴い、人間の知性が最高度に啓発された結果
現代人はすべての事物に対して
科学的な認識を必要とするようになったにもかかわらず
ネットでの情報は見るなと言う…(笑)
 

いつに間にか、教祖サマと教会の指示に従う生活に明け暮れて

惰性で信じて、科学的な面から追求する姿勢を

忘れてしまっている自分がいました。

 

もう、統一教会で結婚して韓国まで来てしまった… 

子供もいる… 後戻りはできない… 

という想いが、違和感や疑問を追求することに対して

無意識に蓋をしてしまっていたのかもしれません。

 

離教後、

「今まで、どうして、あんな骨董無形な事を真理だと信じて来たんだろう?」
と、時々、過去を振り返って、

狐につままれたような感覚を感じることがあります。

 

文家の7男さんの発言を聞いてから、

統一教会批判・告発カテゴリーのブログを読むようになった私は

聖書やイエス様の実在性に対しても

興味を持って調べるようになりました。

 

隠されていた教祖サマの実生活

(多くの女性と性関係を持っていた事)を知って

文鮮明氏のメシヤ性を否定しただけに留まらず

聖書の不確実なおとぎ話に対する信仰と

その上に構築された統一教会の理論体系が一気に崩壊する事によって

メシヤの必要性さえも消え失せてしまった

という事も 私にとっては、

レリジャスハラスメントから脱却できた要因の一つでした。

 

聖書に対する考古学的な研究資料などから

科学的に事実を認識していく作業も
レリジャスハラスメントの呪縛から解放される一つの鍵になると思います。

 

 

以下、私が、考え方を転換できたブログなどの資料を添付しておきます。

有益な情報をアップして下さり、ありがとうございます。 感謝です!!

 

文教祖はアンチ イエス様です (goutさんのブログより)

http://ameblo.jp/5200043/entry-11994500348.html

 

イエスキリストは実在したのか? (上記のブログで紹介されていた記事)

http://diamond.jp/articles/-/63202

 

【原理講論】聖書は真理それ自体ではなく、 ←聖書は真理の教科書と言えるものではありませんが。

(ホトトギスの里さんのブログより) http://ameblo.jp/hototogisunosato/entry-12092194485.html

 

アダムとエバは架空の存在 (ホトトギスの里さんのブログより)

http://ameblo.jp/hototogisunosato/themeentrylist-10088080050.html

 

イエスキリストには妻がいたのか?

http://gigazine.net/news/20160617-jesus-have-wife/

 

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