私が個人的に当てはまっていると感じるところだけ
引用したので、全文を読みたい方は↑をクリックして下さいね^^
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(1) 父親が常に理想である
父親を早くに亡くしていたり、離婚していたりで父親に対する気持ちが「憧れ」になっていると
ファザコンの場合があります。
特に男性に対しては自分を無条件に愛してくれて
(3 )男性には内面の格好良さを求める
しかも外見ではなく中身が重視です。
特にしぶめの落ち着いた男性が好きで
とにかく落ち着いた男性が好きで
いつでもはしゃいだりすることなく、静かに本を読んだり、
いつでもそばにいてくれて
(8) 相手に依存する度合いが高くやきもちやき
ですから恋愛をしたときも、相手に対する依存度がとても高くなり
連絡はこまめにとれないと寂しいですし
また、やきもちもすごく激しく、相手を束縛したがる傾向もあります。
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私の場合、このファザコンの対象が
統一教会に伝道されてから そのまま 「神様」 に
置き換わった感じでした。
私は、30年間、神様に恋をしていたような感覚があります。
18歳の時、神様への祈りがきかれた!と思い込んだ私は
神様との両想いになったと勘違いし
それから ずっと疑似恋愛に溺れていたような気がするのです。
先日、宗教とエロスについて検索していたら
以下のような文章があり、妙に納得してしまいました。
「宗教とエロス」
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Akiko/5151/link_2104.html
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5.宗教とエロス
2003.3.26
『神の姿は目に見えないものであり、
われわれ人間が神に触れることはできない。
人間が神に近づくことは畏れおおいことだ。
われわれは決して、神の姿を見ることはできないし、
それを絵に表したり、像に表したりすることは、宗教を汚すものだ。』
このような偶像崇拝の禁止という考え方は
実は多くの宗教に見られる。
そこには、神に対する人間の敬虔さを維持するための、
一つの知恵がある。
それはまた同時に、見たことのないものを創造していく
イマジネーションを掻き立ててきた。
ところがこれは、エロスにもあてはまることである。
われわれの性的機能は、
見たこともない女性の恥部を想い描くことによって、
無限のエロティシズムを掻き立てられる。
そのことが人間の創造性に及ぼす影響は限りなく大きい。
(中略)
性は本来動物的なものである。
その動物的なものを人間的なものに高めたのは、
イマジネーションの力である。
見たこともないものを創造していくイマジネーションの力である。
そこには無限の芸術性へと通じるものがある。
「かんのん様」という隠語は、女性の隠しどころを指した。
それは単なる例え以上の、アナロジーを含んでいる。
エロスの中に隠された宗教性をこそ、読み取るべきではないのか。
昔の人は、「かんのん様」という隠語から、
直感的にそのことを感じ取っていたのだろう。
【追記】 2008.6.1
一神教にはもともと神像はなかった。
一神教の典型であるイスラム教には今もアッラーの神の像はない。黙って拝むのみである。
このように人間の宗教的イマジネーションというのは
抽象的なものである。
決して神像を刻めるほど具体的なものではない。
キリスト教国の東ローマ帝国(ビザンツ帝国)も
聖像禁止令(726年)を出して、神の抽象性を維持しようとしたが、
ローマ教会はこれに反対し神の像を刻んでいくようになる。
しかし人間の宗教的イマジネーションというものは
目に見えなければ見えないほど逆にかき立てられていく
という性格をもっている。
古代ギリシア人にとってエロスとはほんらいそういうものであった。
古代ギリシア人のエロスから性的興奮を意味するエロスへと
意味は変わったとはいえ、現代人にとってのエロスにも
そういう側面は受け継がれている。(後略)
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宗教やスピリチュアルを求める人ほど 実はエロい?(笑)
昔、この歌が流行っていた頃の寺尾さんよりも
この動画に出てくる寺尾さんの方が、私は ずっと素敵に感じます!!
カッコ良すぎて クラクラします(笑)
動画は、marks6338さんから お借りしました。 ありがとうございます^^