新約聖書の中に

「終わりの日には

上の者が下になり(先の者が後になり)

下の者が上になる(後の者が先になる)であろう。」

というような内容があったように思う。

 

離教してから何度も感じる事の中の一つに

(全てが反対になってしまったなぁ~)

ということがある。

 

昨日、米本さんのブログで

koyomiさんのコメントを読んでいて

「そうそう!!」 と思った。

(読みやすくするため、改行を加えさせて頂きました。)

-----------------< 引用始め >-------------------

さいぞうさんの意見に同意

分派含めて家庭連合全体が嫌いなのですが
カープ(原研)は特に嫌いです。

上から目線でチャーチの人をバカにしてる
(元カープさんのコメントがそれを表してます。)
・・・不思議と脱会後もそうなのですね。

さいぞうさん意見によりますと、献身者も10分の1献金してないから
献身生活が長くなるとおかしくなりますよね。
となると・・・元々旧統一で比較的まともなのは、青年部と壮年信者。

信者時代は献身できない青年部ということでさんざんバカにされ
脱会後も脱会者同士でバカにされたけど・・・
元々まともだったのは、バカにされてた方だったのですね。
 

[2017/04/17 19:13]   koyomi

 

<引用元> 火の粉を払え

http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-827.html

 

------------------< 引用 終わり >-------------------

 

離教してから全てが反対になった。

 

自分が 「信仰」 だと思っていたものは

独りよがりで偽善的な思い込みにすぎなかった…

という感覚が強くなるにつれ

前回の記事にも書いたように

「勲章」 は 「恥」 に変わり

「家宝」 は 「粗大ゴミ」 に姿を変えた。

 

 

私も統一教会の信者時代

「不信仰者」とか 「問題児」 とか

いろいろなレッテルを貼られバカにされ

自分でも そう思い込んでいて自分に自信がなかった。

過去記事:レッテル

http://ameblo.jp/toraji-j/entry-12124003923.html

 

 

又、伝道される前も極貧の母子家庭で育って

本人も金無し、実家も金無し、学歴無し、金持ちとの人脈無し…

の無い無い尽くしだったので

「お金」が一番 大事な統一教会では価値のない人間として扱われ

お金の代わりに労働で奉仕するしか存在価値のない人間だった。

過去記事:一番 最初に感じた違和感

http://ameblo.jp/toraji-j/theme7-10092939446.html

 

でも、離教してから、少しずつではあるけれど

やっと自分に自信が持てるようになってきた。

 

(あんな骨董無形な教理を本気で信じて

外国にまで お嫁に行って

30年も信じていた自分は何て大バカ者だったんだろう…)

 

と後悔する事も度々あるけれど

信者だった頃の昔の事を思い出すと

 

(あの現役信者だった頃、不信仰者だと

さんざんバカにされた私の感覚の方が正常だったんじゃん!)

と感じることも多いからだ。

 

 

 

 

先日、澤田さんという方が

本部教会の前でデモをしている動画を少しだけ見た。

40日断食を何回もしていらっしゃるという方が出てこられて

澤田さんに向かって

「平信徒のくせに!」 みたいな発言をしておられて

(あ~~ 統一教会の内部って こういう雰囲気だったよね~~)

と思い出した。

 

(その平信徒の献金で生活してるのは誰?

もっと檀家さんを大切にしなよ!!) と思った。

 

韓国の教会の公職者(教会長など)も

平信徒達の献金から お給料を貰って生活している。

それなのに上から目線で日本人信者に命令してくる。

 

現役信者だった頃(最後の方)友達に

「ねぇ! おかしいんじゃないの?

だって、あの人たち私達の旦那が一生懸命

働いて稼いだお金で生活してる人達なんだよ?

普通の宗教団体だったら檀家さんって

もっと大切に扱われるんじゃないのかな?

そんな偉そうな態度を取るんだったら 献金しないぞ!

って脅してやってもいいぐらいじゃない?」

と言ったら

「あ! それも そうだねぇ~」 と笑っていた。

 

その当時、公職者の事をボロクソに言っていた私も

何を隠そう祝福(合同結婚式での結婚)を受ける前の6年間

日本の教会で 「献身者」 だった。

 

「自分の事を棚に上げて」 というのは こういう事だ。

公職者(献身者)の事を批判する資格は私には無い。

 

ただ、内部の事情と個人的な体験を綴ることによって

カルト教団の実態を知って頂き、新しい被害を食い止め

今も、そこに留まっている信者さん達が気づいてくれたら…

という思いから 恥を晒してブログを書いている。

 

日本で私が伝道された1985年の頃は

チャーチ(青年部)で伝道された人たちは

企業体で貢献できる特別な技術が無ければ

会社勤めの人は会社を辞めて

猫も杓子も献身する時代だった。

 

私も会社を辞めて献身し

マイクロで数か月 珍味販売をした後、店舗に配属された。

その後、店舗での霊感商法の販売に どうにも納得できなくて

結局、内務(食当や保育)に回された。

過去記事:店舗の思い出(2)印鑑販売の出発式
http://ameblo.jp/toraji-j/entry-12125041367.html

 

公職者(献身者)は、私も含めて

視野が狭いというか、思い込みが強いというか

自分とは違う立場の人たちに配慮したり想いを馳せる事ができず

自分の立場でしか考えられない人が多かったような気がする。

 

確かに少ない睡眠時間で労働(献身生活)して

昔は1万5千円のお小遣いしかもらえなかったけれど

その他にも電気光熱費や食費、家賃などの生活費が掛かっている。

そのお金は一体どこから出ていたのか?

 

内部の会計事情をよく知らなかったので

はっきりした内容を確認することはできないが

あの優しかった壮年や実践婦人達の献金から

仲の良かった勤青(勤労青年)達の献金から

まかなわれていたのではないか?

 

生活費を切り詰め

家や年金を担保にしてまで借金して献金した

壮年・壮婦・勤労青年の方たちの

血と汗と涙の献金からまかなわれていたのだろう…

と思うと今更ながら胸が痛む。

 

そういう方達に養われていた分際で

「世界平和のために生きている!」

と自己陶酔していた青二才の自分が恥ずかしい。

 

「若気の至り」 と言ってしまえば それまでだが

この年になって申し訳なく思う。

 

本当にごめんなさい… ご迷惑をおかけしました。

 

 

 

あの頃の実践婦人達は、元気に暮らしておられるだろうか?

 

せめて私よりも ずっと早くに離教されて

幸せに暮らされていることを心から願う。

 

 

 

 

最後に一言

 

今も家庭連合の公職者(献身者)の方々へ

 

「どうか檀家(平信徒)さんを

大切にしてあげて下さい!!」

 


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