皆様、こんにちは~~ラブラブ お元気ですか~~?

韓国の私の住んでいる地域では、昨日から雨が降っています。
この季節は、日本のコインランドリーが慕わしいです~ラブラブ





私は統一教会の信者だった頃、キリスト教的な考え方が好きだったのもあって
人類は神様を中心とした兄弟姉妹であると思っていたし
特に教会内の信者さん達は、血を分けた家族よりも近い兄弟姉妹であると思っていました。


昨今の統一教会の分裂していく様は
「許せ!愛せ!団結せよ!」 とか 「兄弟姉妹」 という精神は感じられず
椅子取りゲームのように、残った信者の取り合い合戦をしているように見えます。

でも、それも、表面上、現れていなかった性質が
教祖サマの他界によって、あらわになってきただけなのかもしれません。

それを感じたのは、教会に通わなくなった頃からでした。

特に離教してからは、自分が勘違いをして
思い込んでいただけだったのだと思うようになりました。

教会では、本音で少しでもカイン的(教会の方針に対する否定的、批判的)な発言を
信者同士でしていれば、「悪の授受作用をしている!」とか注意されたし
話していた、その相手からアベルや責任者に告げ口される事もありました。

でも、告げ口している本人は
信仰生活指導でされている 「ホウレンソウ(報告、連絡、相談)」だと
思ってしているわけです。


韓国に来て家庭出発した頃の所属教会の教会長夫妻(特に奥様)は
日本人女性をガッチリ主管されるタイプの方でしたが、こんな事がありました。

その頃は、日曜日と、平日の中間の曜日と、特別な活動がある時だけ
日本人は教会に集まっていました。

それ以外は、日本人同士で会ってもいけないと言われていました。

でも、私と数人の友達が、それに納得できなくて、教会には内緒で
ある土曜日、7~8人の日本人で材料を持ち寄って日本食を食べる集まりを企画しました。

お好み焼きや、たこ焼きを焼いたり、おしゃべりをしたり
本当に久しぶりに楽しい時間を過ごしました。

そこに参加した人達(3万双+36万双)には、誘った時点から全員に
「この事は教会には内緒だよ。」と念を押しておきました。

でも、次の日、教会に行って洗い物をしていると
教会長夫人が、私のそばにやって来て、そっと耳打ちしました。

「お前は、私が何も知らないと思ってるだろう?
 教会に報告しないで集まったら、そこには神様はいない。
 その場はサタンが主管するんだよ…
 日本人だけで教会を抜きにして集まってはいけない。分かったね?」

驚いて、何も答えられなくなった私を見て
教会長夫人はフッと冷たく笑って立ち去りましたが
その冷たい笑みを見ながら、私はゾッとしました。

集まりに参加したうちの誰かが、「報告」 したのでしょうね。



そんな事があった後も、私と数人の友人は、懲りずに
「友達を絶対に裏切らない。告げ口しない。友達に不利になる事を口外しない。」
という了解の元、日曜日の午後や、平日に秘密裏に集まっていました。

たぶん、男性の方が聞けばドン引きの毒舌三昧の本音トークの女子会でした(笑)

そして今は、それが、そのまま元信のオフ会に変わりました~音譜


でも、よくよく考えてみると
「裏切らない。告げ口しない。その人に不利になる事を口外しない。」
などという内容は、一般社会では信頼関係を築く上で当たり前の事だったんですよね。

その当たり前の事が悪とされて、裏切りや密告する事が善とされていた
あの団体って一体、何だったんだろう?と、今では、とても異様に感じるのです。

そんな中で、仲間を信じる事もできず、本音で話す事もできない人間関係なんて
はっきり言って友達以下だったと今は思います。

それなのに、口では 
「神様と真の御父母様を中心とする兄弟姉妹」
と綺麗ごとを言っていたわけです。

兄弟姉妹って友達以上の強い信頼関係で結ばれた間柄だと思います。
実際の行動は友達以下の事をしているのに、兄弟姉妹だと、のたまうのは
矛盾しているし、偽善だと思います。

だから、教会に通わなくなった途端に知らんぷりしたり
分派に行くとか離教したら、サタン扱いして
汚らわしいモノでも見るように蔑み、排他する事ができるのでしょう。


離教してから、今までの教会の人間関係が整理されていくにつれて
兄弟姉妹だと思っていたのは幻想だったと思うようになりました。




まるで、砂漠に見える蜃気楼のオアシスのように
自分の足元の砂を見ることなく理想を追い求めて走り続けた30年でした。

もう少し、もう少し頑張れば、あのオアシスに辿り着けるのではないかと
自分に鞭打ってきましたが、やっと自分の足元の砂に気が付きました。

現役の信者の皆さんも、そろそろ足元を見てみませんか?

この摂理献金を勝利すれば! 祝福を受ければ! 家庭出発すれば!
罪のない2世が生まれれば! 基元節が来れば! … 2020年が来れば? …

地上天国ができて、幸せになれるはず、この苦労も終わるはず…
と思って走ってきませんでしたか?

そして、その地点に到達した時、そこに実際にオアシスは、ありましたか?

じっくり振り返ってみて下さい。

そこに到達したと思ったら、又、オアシスは遠くに見えませんでしたか?

以前よりも、もっと喉の渇きを覚え、疲れを感じませんでしたか?

蜃気楼を追いかけるのは、ほどほどにして、立ち止まり
自分の足元に種を植え、水を蒔きませんか?

蜃気楼は、永遠に蜃気楼のままなんですから。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合(統一教会) 批判・告発へ
にほんブログ村


秦基博さんの 「ひまわりの約束」 です。
動画は、Rajdha Thongsomboonさんからお借りしました。ありがとうございます^^