統一教会の教理本の原理講論には
「個性真理体」 という言葉がある。


簡単に言うと、一人一人の人間は
神様の性質の一部分を具現化した存在であり
個性のある、かけがえのない存在だという教えである。


私は、この概念が大好きだった。 そして、今も好きだ。


みんな、それぞれが個性と、違った能力を持っている。
だから、それを発揮して、それぞれの分野で
世界平和と社会の為に貢献できたらいいなと思っていた。





それから、「超宗教、超教派」 という概念も大好きだった。


18歳で統一教会に入教する以前にも
いろいろな宗教団体に誘われたのだが、話を聞いてみると
ご利益信仰的なところに嫌悪感を感じて、入信する事はなかった。


でも、(その当時の)統一教会は違っていた。
自分の幸せを追求するご利益信仰ではなく
自分を犠牲にしてでも、世界平和の為に尽力しようという教えだった。
そして、私は、そんな教理に感動した。


宗教間での違いを認め、宗教や教派、人種や国境を越えて
人類が一つになって幸せに生きる世界。
そんな世界を夢見て、私は入教した。





それが、いつ頃だったか、家庭盟誓の中に
「絶対服従」
という言葉が入ってきた。

その時、私は強い違和感と反発心を感じた。

でも、その時点では、まだ教祖様の事をメシヤだと信じていたから
その違和感を深く追及せずに、なおざりにしてしまった。



実は統一教会に対して感じる違和感は、
献身して、約1ヶ月後から始まっていた。

まるで、出口のない迷路に入り込んだように
深い霧の中をさまよった29年間だった。

しかし、目覚めてからは、霧が晴れて、はっきりと見えるようになった。
そして、気が付くと同じ所をグルグル回っていた迷路は
実は、よく出来たホログラム(立体画像)であった事に気づき
私を引き留めていた鎖も、迷路と共に消えてしまった。


いつもの事だが、又、話がずれてしまった(笑)


「絶対服従」


この言葉に現役の方達も、分派の方達も違和感を感じられないだろうか?


何か一つの思想に固執して
それが絶対的に正しいと無条件に服従させるのは
「個性真理体」というミコトバや
「超教派・超宗教」という概念と矛盾するのではないか?



そして、このミコトバは、今も現役の方や、分派の方達が
メシヤと信じてやまない故・文鮮明氏の存命中に
指示された内容なのである!





本当に、正しい事は、一つだろうか?




そして、それは絶対的に正しく
全ての人が、違った考えを持つ事も、異議を唱える事も許されず
無条件に従順に服従しなければならない100%完璧なものなのだろうか?


もし、そうだとするならば、世界中に五万とある宗教と思想を
包括することはできないだろう。


自分の考えだけが正しいと主張し、他の主張を排除するところに平和はない。
あるのは、分裂と闘争と独裁だ。


それは、
世界的にみれば取るに足らない宗教団体である統一教会の分裂状態と
統一ブログ村の戦々恐々とした様を見れば一目瞭然だ。



文鮮明氏という、人並外れたカリスマ性を持った方が他界された今
統一シック達も、各自が自分の考えを持って
自分の足で、それぞれの道を歩き始める時が来たのだ。



人生の岐路に立たされた今
いい面も、悪い面も、様々な情報や、多様な価値観に触れて
賢明な選択をして頂きたいと心から願う。



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槇原敬之さんの「世界に一つだけの花」
動画はKIMTSING TSHUAさんから、お借りしました。ありがとうございます^^