統一教会と出会ってから

 霊的な現象というか神秘体験を たくさん見聞きしました。

離教してから一体あれは何だったんだろう?

と考える事があります。


以下に3つの実例を上げてみます。

<ケース1 : 私の場合>

私は直接 霊が見えたり、声が聞こえる体質ではありませんが
直観的に何となく感じたり、時々 正夢(予知夢)を見る事があります。

伝道されて半年ぐらい経った頃、初めての祈祷で

「神様!この宗教団体の主張している教理が真理であるならば

 虹を3回、私に見せて下さい。」


と祈ったら、1週間の間に虹を3回 見ました。


それで 「やはり、これは真理だ!」 と思い込んでしまいました。

でも、今になって考えると

私自身が心の奥底(潜在意識?)で

 統一教会の教理が真理であってほしいと

強く願っていたからなのかな?という気もします。

 


<ケース2 : Aさんの場合>

彼女の実家は代々ある宗教を熱心に信じていた家系で

幼い頃から霊が見えたり、その声が聞こえていたそうです。
 

現役当時の彼女には文鮮明氏が金色の大きな球体に見えたり
清平で祈祷すれば、その答えが声として聞こえていたそうです。
又、清平での按手の際にも

霊が体から抜けていくのが見えたりしたそうです。

 


<ケース3:Bさんの場合>


彼女は統一教会に入教以前 学生時代に 

家族全員で、ある宗教団体に入信していたそうです。


その時も手をかざすと、熱を感じたり神秘的な体験をしたそうです。

統一教会の4日間の修練会に参加して  

この道を行くべきかどうか悩んだ時に  

前方から大きな光が現れ、その光に包まれる神秘体験をして

 「これは間違いない!」と思ったそうです。  


この他にも、実際に知人が清平で難病が治ったり 

霊的な現象を体験した事例を かなり見聞きしました。




私は元々 霊現象とか、占いとか

そういう類の話が大好きな人間でした。 


幼い頃から、お正月に親戚が集まると、そういう話をよく聞きましたし

私の母や、親戚の中にも、そういう体験をした人が多くいました。


高校時代のクラスメイトの中にも

霊媒体質な人がいて、よく話を聞いていました。

そのせいか、霊界があるかどうかと聞かれれば

あると信じている…

 というより、逆に霊界がないと主張する友達がいると  

「へぇ~ そんな人もいるんだ…」

と不思議に思う程でした。


そういう状況で統一教会と出会い

創造原理の霊界に関する講義を聞き

今まで漠然と感じてきた事に対して

理論的に納得できて とても感銘を受けました。

そのような理論的な面で感動すると共に

不思議な体験をしたり、予知夢を見たり

シック達の霊的体験の証(話)を聞いたりすることで  

統一教会の教理が正しいという確信が

どんどん強まっていったように感じます。


そんな私も、今年の春、ネットの情報に触れることによって

具体的には7男さんの六マリアの発言を契機として調べ始め  

教祖サマと教理を完全に否定し離教しましたが  

よもや、私が生きている間に離教する事になろうとは

 夢にも思いませんでした。


現在は、神様に対しては半信半疑です。

 

でも、霊界というか、目に見えない世界については

 あるのではないかと思っています。  


でも、今のところ宗教団体には所属したくないと思っています。




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以下は離教後、霊的な現象について

私なりに整理してみた内容です。

 

(あくまでも個人的な考えです。)



1)断食や敬礼、その他の行、睡眠不足の状態や

熱心な祈祷などにより神秘体験をする確率が高くなる?



2)祈祷、精誠を尽くす場所には

想念の「場」のようなものが形成され

神秘体験をする確率が高くなる?

3)人間の求める想念が強かったり、たくさん集まると
  4次元以上の世界にある、相対する存在が引き寄せられ

 見えたり、聞こえたりする?
  或いは、実際ないものも、想念の実体として具現化する?
 



4)「堕天使」や「悪霊」と呼ばれるような邪悪な存在が

 善の仮面を被り、騙す為に近づいてきて  

  最初は誰も知らない真実を告げたり、驚異的な現象を体験させ

 完全に信じた時点から、徐々に利用、搾取する方向に導いて行く?

5)脳機能科学的な面から分析した場合、そのような現象は、全て

 脳の一部の機能から起こる現象として説明できる?  

  (これについては、まだ勉強中)



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霊的な世界や来世といったものを追求していくと

 

その分野での精神的な安心感や満足感に酔って
現実的な感覚が鈍るような気がします。


統一教会の現役時代に、よく引用されたミコトバは

 

「信仰が大きくなれば、現実が小さくなる。

 現実が大きくなれば、信仰が小さくなる。」 でした。  

 

実際、私自身も このミコトバで よく自分自身を鼓舞していました。



教会の中では、困難な現実を否定して(乗り越えて?)

 献金した人が表彰されたり、褒められたりします。

その反対に、現実的な環境を優先する人や

自分の考えを主張する人は、信仰がないと非難されたり  

時には大勢の信者さんの前で、怒られたりします。



このように、非現実的な行動をとる人は称賛され

現実的な人は叱責され  

上の指示に従う、教会にとって都合のいい人が

「信仰のある人」として認められる雰囲気が造成されていました。

そのような環境に順応した人程、自分の頭で考えることをしなくなり

 「上からの命令を従順に受け入れ、現実を捨てる事こそが信仰だ!」  

という信仰感と、依存的な思考回路に陥って

現実的な感覚が、だんだんと薄れていくような気がします。



以前、米本さんの「火の粉を払え」ブログのコメント欄で

 ある方が現役信者さんの事を、ロボットのようだと書かれていましたが  

統一教会という組織に順応して、上に登りつめた方達ほど

 そうなるのも、ある意味、仕方のない事なのかなと思います。

話が随分、ずれました。主題に戻します。

 
統一教会だけでなく、他の宗教団体や、霊的な集団を見ても  

霊的な体験(神秘体験)は数多く見られます。


座禅をしたまま、空中に浮かぶとか、

亡くなった方と会話ができるとか…



実際、現在、分派として騒がれている  

7男(文享進氏)派の方達のブログを見ても、夢を見たとか
そういう証が、とても多いように見受けられます。


しかし、神秘体験をしたから、霊的な体験をしたから

 その方の主張や思想、或いは、その団体の教理や、方針が  

100%正しいとか、絶対的に正しいと結論を下すのは、どうでしょうか?


統一教会だけではなく、他の宗教団体にしても、そうだと思います。


神様も、亡くなったご先祖様も、お金を必要とはしていません。  


必要としているのは、生きている人間です。


 

 

献金の一部は慈善事業などに使われ

 社会に還元される事もあるでしょうが  

それよりも優先的に、公職者のお給料や、建物の維持費

 関連会社の経営等に、使われているのではないでしょうか?

会員や信者に対して、明確な収支報告のない

 慈善団体や宗教団体ほど怪しいと思います。


私は決して霊的体験を否定しているわけではありません。


ただ、私達が現在、生きている世界は、

霊界でも、来世でもなく現実世界です。


愛する家族が住んでいる世界も現実世界です。

若い時は、自分の老後の事とか

親の介護とか、子供の将来とか

 想像できないかもしれませんが

それは避けられない現実として

 いつかやってきます。

例え、ものすごい霊的体験をしたとしても

家族の生活が困窮するまで献金したり

借金までして献金するのは如何なものでしょうか?

420代までの名前も知らないご先祖様を解怨して差し上げたとして

子供や孫、後孫が苦しんで生活しているのをご覧になって  

ご先祖様が心底、喜ばれるのでしょうか?


私が、もし、あの世にいる先祖だとしたら

子供や孫達が楽しく笑いながら

幸せを満喫して生きて欲しいと思います。


今、自分の半生を振り返って見て、若かったとはいえ

 

「霊的な体験=真理」 と

 

あまりにも短絡的な思考で結論づけて

その思想のみが絶対的に正しいと思い込み

他の意見を聞こうとしなかった 

視野狭窄に陥っていた自分自身を恥ずかしく思う

今日この頃です。


気付いたのが遅すぎた感はありますが

夢見る夢子ちゃんは卒業して

 地に足をつけて、現実を見据えて生きていきたいです。



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