私は頭のいい人から、話が回りくどいと言われる。

それはね、あなたに手短に説明するとあなたがヒューリスティックな認知バイアスを起こしまくって勘違いしまくり、気がついてないからだよ。

「そこまで言ってないだろ」とよく思う。想像を挟み過ぎ。結局頭が悪いんだ。自分がそれで損してないだけ。


「引く」という言葉があるね。

最近だと「ドン引き」するとか。

いかにも相手が悪いみたいだけど、

単にあなたが「イモを引いてる」だけなんじゃないか。


胸に秘めていたことを真面目に言えばいうほど反応がないな、この国では。

他の国ではどうなのだろう。



腹立たしいときや疲れたときは若い頃に考えた断片的なことを思い出して心を落ち着かせる。


「本当に捻くれた奴ってのは、ねじ曲がった針金が捻れ過ぎて、ネジのようにかえって真っ直ぐになってしまうもんだよ。

針金が捻れっぱなしのうちはまだまだ捻くれてるうちには入らんよ。」


結局のところ、「許さない」と「許せない」は同じこと。

「許さない」んじゃないね、

「許せない」んだろうが。

「許せない」んじゃないね、

「許さない」んだろうが。


死んだ母には小さい頃仲良しの友人がいた。

同じ朝鮮人の片腕の女の子で、母と同じように貧しく、ある時期帰還事業で北朝鮮に帰ってしまった。

「帰国したら手紙を送るから」と約束したが、その後二度と連絡はなかった。

私は小さい頃に母が日本人ではないことを知ってから、母が死ぬまで一度も踏み込んだことをこちらから聞いたことがなかった。もっといろいろ聞いておけばよかった。記憶を繋げたかった。

人間が他人と付き合うのはお互いの記憶を繋げるためだ。そうすることで我々は永遠に死ぬことがなくなる。

大学時代のあるとき、ある友人となんとなく喋っていた。

私が幼稚園に上がる前の話をなんでもなくすると、彼はひどく驚いていた。

「なんでそんな小さい頃のことを覚えてるんだ!?」

私は逆に驚いて聞いた。

「じゃあお前はどうなんだ?」

「せいぜい小学生の4、5年ぐらいまでだ。それ以前のことはさっぱり思い出せん。」

「そんなまさか!」

「えっそれが普通だろ!?」

「普通ってなんだ?」


「何十年もかかる本来の道」を何十歳かの人に説いても仕方がない。それは若い人に説くしかない。


今時の人が本を読まず、短い進言を好むのは読解力が落ちたから、時間がないから、というより己のヒューリスティクを過信しすぎてるから。認知バイアスがかかり過ぎて誤解だらけなのだがそれに気がつかない。

それにしても今の世の中は1を聞いて100を知る人が多いな、1しか知らないのに。


「百聞は一見にしかず」というけれど、英語の聞き取りで言えば、一見とはヒアリングであり、百聞とはリスニングだ。

リスニングができない者がどうやってヒアリングだけでその英文を理解をするのだろうか。


声高な人ほど同じようなことを言うね。


私は差別やヘイトには反対だが、実は反差別や反ヘイトのツイートを読んで引き込まれることはあまりない。

何というかもう少し実体験に基づいた話が聞きたい。

記号の組み合わせはいくら正しくても面白みを感じない。

それよりも市井の人たちの日常的な顔が見えてくるようなツイートが読みたい。


虚しいときに限っていい仕事ができるのは何故だろうか。


昨日の検査でこれまで順調だった症状が急に悪くなったっぽいが、ここからが勝負どころだ。自分の意思ではどうにもならんが大丈夫。傷病休職期間が伸びてしまうのは会社に申し訳ないけど。1年以内の2度目の傷病休職期間って基本的に無給になるのだそうだ。その分健康保険から現在の収入の75%程度の保証があるらしいのだけど。入院延長でどうなることやら。


なんだけど、何か面白い私小説の掌編集みないなものばかり書いているツイッタラーっていないもんかしら。


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