今年の猛暑は本当にダメだった。毎日毎日苦手なエアコン漬けでじわじわ体を壊された。ようやく涼しくなって息を吹き返してきてるけど。今週は仕事があまり捗らなかった。
この夏、食欲と睡眠欲がなくなった。
さっき濃い野菜ジュースを一気飲みして水を2杯飲んでセブンイレブンの玉子サンドを頑張って二口食べた。
最近体温調節ができなくなってて、寒くて仕方がない。今日はお休みで助かった。ずっと横になってる。
冬用の羽毛布団と夏用の羽毛布団とタオルケットを頻繁に取り替えている。掛ける位置も頻繁に変える。
シャツもタンクトップ、半袖、長袖を何度も着替える。さっきは厚手の半袖に着替えた。それでもやっぱり寒いので、探してたら薄手の長袖の肌着が出てきた。これがちょうどいいみたい。
例年はエアコンをつけないで過ごしていてその分夏に着る薄手の長袖のシャツって持ってないんですよ。一枚あって助かった。そういえば、ポロシャツなら長袖が沢山あるな。通気性もいいし。
食が細くなってよかったのはビールを一気飲みしなくなったこと。普通開けたら全部飲み切るじゃないですか。でも飲み切れなくて冷蔵庫に戻すんだけど、やってみると意外に悪くない。すぐには痛まないし、冷たいと開缶後もそんなに炭酸も抜けない。ちびちび何度も飲んで気がついたら1缶しか飲んでない。
若い頃いろいろなことで悩んでいたのだけど、一番キツかったのは音楽でも何でも自分がこれはいいなと惚れ込んだものがあって、周囲の級友にCDなどを貸すとスカッと素通りされるんですよね。あれっていつも首を傾げてた。他人と楽しいおしゃべりが全然盛り上がらないんですよね。あれはじわじわ辛かったな。
他人からしたら私の趣味が悪いのかもしれないけど、そういう作品って概してマニアックな評価が高くて中古レコードが高いものが多かった。売れてないのに評価が高いから奪い合いになるんですよね。
私は日本料理も韓国料理も好きなんだけど、正直ある種の日本料理が苦手だった。例えば酢の物とかなますとか塩辛とか。小さい頃は何でわざわざこんなものを作るんだろうかと思ってた。酢の物のワカメや胡瓜やちりめんはそれぞれ嫌いじゃないのに何であんな味付けになるんだろうかと。給食で出るといつも一気食いして飲み込んでた。母が在日韓国人でそういうものを作らないから馴染めなかったのかもしれない。東京に出てきて20年前に赤坂に引っ越してよく銀座のいい料亭で土曜ランチを食べてた。四千円ぐらいの懐石料理が千円台で食べられた。ようやくそれらの美味しさがわかった。
そろそろ秋だな。秋になると千葉の白井あたりで梨の収穫が始まるね。
茨城県にばんどうたろうという和食レストランがあるんだ。鍋焼きうどんが名物で寿司とかも美味しい。夏にはそうめんが出る。ある時期よく霞ヶ浦を歩いてて、そのお店を知ったのだけど、一番近いのが西白井の店舗なのね。
このばんどうたろうに一時期はまって毎週通ってたんだけど途中に梨畑と直売所があるんだね。母の生前これを買って送ってた。我孫子の手賀沼のほとりに満天の湯というスーパー銭湯があるのだけれどもその隣にもあってね。めちゃでかい一番高い梨を送った。両親で食べてくれただろうか。
前にも何度か言ったけど、私の母は在日で一人で日本人社会に入ってきて、韓国朝鮮的なものを一切隠してた。私自身小学生の終わりぐらいまで母が在日韓国人だと知らなかった。それも不意に気づいただけ。
結婚したときに写真をほぼ全て親戚に譲って処分したから私は生まれる前の母や一族の写真をほとんど見たことがない。それでも数枚残ってた。
うちには高麗人参や母が祖母にもらった絹の生地があった。ほうれん草、もやし、わらびの和物も今考えればナムルだし母が茶碗蒸しだと言ってたのはケランチムだ。
母のケランチムは正直少し醤油辛かった。正直私はこの母のケランチムがあまり好きではなかった。安い卵がたくさん食べられただけ。40数年前の話。
もう十分だ。
燃え尽きそう。
母を受け入れ支えてくれた父のために少しでも頑張りたい。
小池一夫先生と小島剛夕先生の「子連れ狼」は高橋留美子先生の「うる星やつら」と並んで一番好きな漫画だ。その次は山岸凉子先生の「日出処の天子」とか吉田秋生先生の「カリフォルニア物語」。
以前から私はあとせいぜい2、3年で死ぬじゃないかと思ってる。でもそれを周囲に公言すると周囲の人たちに無駄な心配をかけてしまうから、10年後に死ぬんじゃないかと言ったほうがいいなと思ってる。10年先なら誰もそんなに心配しないから。
体調不良は仕方がない何かの前兆なんだろう。
バブル世代の働かないおじさんは本当に重いよね。消費者思考でどうにかしてる。
「誰か俺の代わりにやってよ。やったら俺に報告して。レビューするからやったことを俺にわかるまで説明して。お前の説明が下手だからわからなかった。来週も説明して。軽く揉んでやりました。給料ください。」
80年代の若い頃から日本で一番苦手なのは寄らば大樹のノリ。
日韓ハーフの立場でいつも握りつぶされてきた。握りつぶしてる人たちが全く気がついてなくてね。
最近はこの立場の人たちが少し意識して団結してきた。この国は大丈夫だろうか。
以前からずっと私はあと数年で死ぬのではないかという妄想がある。口に出すと知り合いから無駄に心配されるのではと思って黙っていたのだけどむしろ公言した方がいいのではないかという気がしてきた。大切なことはいかにその数年を少しでも伸ばすかということ。それに前向きに取り組みたい。
失われた30年というけど、経済だけではなく、私は90年ぐらいから記憶がない。80年代までは鮮明に思い出せるのだけど、90年以降何も思い出せない。
私は死ぬじゃないかと思うとき、むしろものすごく生きている気がする。不思議な感じ。若い頃には感じたことがなかった。
昨年死んだ猫たちの猫缶とちゅーるがまだだいぶある。野良猫にでもやろうかと思うのだけど近所にあまりいないんだよね。いるけどお店の前とかであげにくい。氷川神社あたりにいればいいのだけど。そういえば赤坂はあまり公園がないよね。野良猫もいない。
創作の中で特攻隊などで出兵する男性がそれまで好きだった憧れの女性のところに行って、想いを伝え、お守りとしてその女性の恥毛を求めるというお話があるんですよね。私の知識では史実か不明です。
あれは男性としてはよく分かるのだけど、女性にとってはどうなのだろう。
私がずっと利用しているアメブロに書籍化サービスってあるのね。自分の書いたブログ記事を指定した範囲で書籍化してくれるんですけど、昔10年以上前に2回ほど書籍化した。結局mixiとかでフォローしてもらってた人たちにほぼ無料で配っただけなんですけど。中にはわざわざ購入いただいた方もいた。
もう一度やり直してお台場あたりのコミケで売ってみようかしら。ほぼ売れないのだろうけど、わざわざ来てくれた人とどうでもいいおしゃべりをするのも楽しいかもしれない。
最近涼しくなってきて本当によく寝られるようになってきたなあ。
さっきもずっと寝てたけど、よく寝られた。
ただ困ったのは最近楽な仕事をしてる夢を見るんですよね。それがうまく行ってお客様に喜ばれて目が覚めるんだけど、何もやってないの。
でもストレスが解消されるから今はいいかな。
最近台所で寝泊まりしているのだけど、冷蔵庫にたくさんアイスを入れていて適当にちょっとづつ食べる。なんとも贅沢だなあと思うのだけど一日に300円分も食べてない。
幸せは常に過去にあって、不幸になってから味わうものなんだよね。
私はずっと床屋で刈り上げにしてもらってるのだけど、最近、鬢や頸の毛が伸びると気持ちが悪い。気になって何度も触ってしまう。床屋に行きたい。