ごめんねって思う。
自分の力が相手の人にとって何の役にも立たないとき、ごめんねって思う。
例えば、会社のある同僚がギャンブルにのめりこんでいるとする。
で、その人がギャンブルで負けていらいらしている。
そのとき、僕は彼のために何の役にも立てない。
何故なら、僕はギャンブルに全く興味がなく、同じ気持ちになれないから。
僕がギャンブルをやめることは出来るが、他人にギャンブルをやめさせることは出来ない。
何故なら、「人間は自由の刑に処せられている」(サルトル)のだから。
考えてみると、今の世の中には「ごめんね」が多すぎる。
あまりにも無駄な欲望が溢れすぎている。
それらの欲望に絡まれて悩み苦しんでいる人をたくさん見かける。
助けてあげたいと思う。
しかし、結局、僕たちはその人にその欲望から離れなさいと言うことしか出来ない。
しかし、その人はそれを聞かないだろう。
他人の欲望に悩まされている人を助けることは出来る。
しかし、自分の欲望に悩まされている人を助けることは出来ない。
自分の欲望に悩まされている人に解決策を示すことは出来る。
しかし、その人にそれを受け取らせることは出来ない。
その人が受け取るしかない。
長い目で見守りながら、同じことが何度も繰り返されるのを見続ける。
辛抱強く接しながら、いつも内心で、ごめんねって思う。
君のことを、ごめんねって思う。
愛する君に、ごめんねって思う。
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