許せないということと、許さないということについて、以下の二つの例を考えてみる。あるところに、Aさんという人とBさんという人がいた。あるとき、BさんがAさんの機嫌を損ねることをした。そこで、Aさんが言った。
「俺はBの奴を許せない!」

あるところに、A’さんという人とB’さんという人がいた。あるとき、B’さんがA’さんの機嫌を損ねることをした。そこで、A’さんが言った。
「俺はB’の奴を許さない!」

上の二つの例を考えてみると、一つの疑問が浮かぶ。Aさんの言う「許せない」とA’さんの言う「許さない」はどう違うのだろうか。私には両者の区別がつかないのだが。もちろん言葉の上での違いはある。Aさんは「許したくても許せない」と言いたそうだ。しかし、本当に許せない理由はあるのだろうか。実は許せるのだけれども、許したくないだけなのではないか。結局のところ、「許したくないのだけれども許してやる寛容さ」がAさんにはないのではないか。一方、A’さんは「許そうと思えば許せるが、あえて許さない」と言いたそうだ。しかし、本当に許そうと思えば許せるのだろうか。実は許そうとしても、許せないだけなのではないか。結局のところ、「許そうと思えば許せるから許してやる寛容さ」がA’さんにはないのではないか。そう考えてみると、結局のところ、上の二つの言葉は同じものだ。

「許せない」のではなくて、「許さない」のだ、あなたの狭量ゆえに。
「許さない」のではなくて、「許せない」のだ、あなたの狭量ゆえに。

なお、上と同じことは、例えば、「諦められない」と「諦めない」においても言える。

「諦められない」のではなくて、「諦めない」のだ。
「諦めない」のではなくて、「諦められない」のだ。