「無告を虐げず」(舜 書経 大禹謨)

私は日本人と在日韓国人の混血である。小さい頃、私はその事実を知らなかった。小学校高学年の頃、たまたまおばたちが話をしているのを聞いて、初めて知ったのである。その後、私は自分の心の中で何度も考えたことがある。それはもし自分が上の事実を知らないで生きていたら、今頃、どんな人間になっていたのだろうかということである。
何年か前に、嫌韓本というものが流行った。韓国という国がいかにひどい国で憎むべき国であるかを憎念いっぱいに書いた本である。私は本屋でその本を見かけたが、表紙を見て、手に取り、パラパラと流して見ただけで溢れるその憎念にむせ返ってしまった。人はここまで手軽に人を憎むことが出来るのか、私はそう思った。
その本が流行っていた頃に、私は一つの話を考えた。それは自分自身の心の疑問をぶつけたものだった。実のところ、私の心の中には、そういった私ひとりしか観たことがない「心の映画」が何本かある。といっても、私はプロの映画監督でもなければ脚本家でもない。また、プライバシーの関係もあるので、それらの心の映画のほとんどは、今日まで一度も他人に対して上映したことがない。それで私はいつも心の中でそれらを上映してはひとりで鑑賞しているのだ。しかし、それらの心の映画のうちのいくつかについては、そのあらすじだけでも書き記しておきたいとずっと考えていた。それで今回はこの文章を書くことにした。
これはもうひとりの私、その肖像画である。


【原作】Fool To Cry  もうひとりの私

「人間は自由の刑に処せられている」(J・P・サルトル)

山本准一は19歳である。高校を卒業したものの、就職もしないでぶらぶらしている。彼の母は山本幸子という。結婚してしばらくして夫を亡くし、普段は道路工事の現場で警備員の仕事をしている。母親は晩婚だったために息子とはかなり歳が離れている。また、亡くなった父親がそれ以上に歳が離れていたため、准一はしばしば「何であんな年寄りと結婚したんだ」と母親を責めていた。母は就職しないでぶらぶらしている息子の将来を案じて、やんわりと就職を勧めてたりしているが、准一はあれこれ理想を述べては母親のすねをかじり、日雇いのアルバイトで小遣いを稼いではその日暮らしをするばかりである。


ある日、いつものように母親がやんわりと就職のことを切り出すと、准一はかっとなって母親を怒鳴りつけた。
「俺だって言われなくたって分かってんだよ。でも、しょうがねえじゃねえか。世の中不景気で全然就職なんかありゃしないんだから。お袋の若い頃は高度経済成長期でよかったかもしれないけれどよお。」
「そうだね。ほんとにお前の世代は気の毒だよね。母さんもそう思うよ。だけど、母さんもいつまでも生きていられないからね。なんとか、お前に就職してもらって、安定した生活をしてもらいたいんだよ。」
「わかってるよ。今だって、こうして就職情報誌を読んでんだよ。今にまともな会社に就職して、お袋を驚かせてやるからよ。」
「そうしてくれると、母さん、うれしいよ。じゃあ、仕事に行ってくるからね。今日も夜中の仕事だから、明日の朝まで帰って来れないよ。これで何か適当に食べておくれよ。」
そう言って、母親は准一に千円札を手渡した。

そんな悶々とするある日、准一はバイトをサボって、自宅でインターネットをしていると、たまたま北朝鮮拉致事件のニュースが目に付いた。
「気に入らねえな。」
そうして、准一がその記事をスクロールしてみていると、その下に匿名のコメントがたくさん書き込まれていた。
別に准一はそれまで在日の問題にも北朝鮮拉致問題にも関心があったわけではなかったが、それらのコメントを読んでいると、自分が日ごろから感じている人生の不満や疑問によく似た書き込みがたくさん見つかった。そこで、准一もなんとなく書き込みをしてみた。
「在日は日本から出て行け!北朝鮮をぶっ潰せ!・・・」
すると、准一は自分の胸がすっとして、何かすがすがしい気持ちになるのを覚えた。
しかし、書き込み後、しばらくして怖くなってきた。もしかすると在日の人間がこのサイトに不正アクセスをして、自分の身元を突き止めて、そのうちネットで公開したり、自宅に押しかけてきたりするのではないか。そう思った准一は慌てて、書き込みを削除しようとして、もう一度そのニュースサイトを開いてみた。すると、予想に反して、そういった様子は見られず、それどころか、むしろ自分と同じ日本人と思われる連中から共感を寄せるコメントがいくつか付いていた。准一はそれらのコメントを読んでうれしくなってきた。このとき、准一は、自分が思い悩んできたこと、気に入らなくて我慢していたことを、こうしてネットで吐き出せば、同じような思いをしている、名も知らない連中から支持を得られることを知り、その喜びで胸がいっぱいになった。自分にも心の通う仲間がいる、そう思うと、准一はうれしくてたまらなくなってきた。

それ以来、准一はバイトもぷっつりと止めて、家に引きこもるようになった。そうして、ニュースサイトや掲示板を見つけては、手当たり次第に北朝鮮や在日を批判するコメントを書いて回るようになった。
しかし、ある日、准一が思いつきで適当に書いたコメントに対して「史的事実に反する」という手厳しい反論のコメントが付いた。そのコメントを書いた者は准一の無知を見抜き、それを馬鹿にしていた。准一はその反論のコメントを読んで、一瞬かっとなった。そして、売り言葉に買い言葉で言い返してやろうとしたが、先方の言っていることはあまりにも具体的過ぎて、無知な准一は何も言い返すことが出来なかった。悔しくなった准一は、その後、いっそうネットでいろいろな情報を集めるようになり、本をあれこれと買い込んできては読み漁るようになった。
また、その頃から、地元に住む二人の男たちと知り合いになった。二人はともに嫌韓を自称しており、准一よりも数歳年上だった。准一はいつの間にかその二人を兄貴分として慕うようになり、いろいろと教えを請うた。三人はやがて、実際に顔を合わせるようになり、勉強会と称して居酒屋で語り合うようになった。最初はまじめに歴史認識や北朝鮮の拉致問題などを話し合っていたが、やがて過激な方向に進んでいくようになった。

さて、そんな毎日が続くうちに、やがて母親が不審に思い、准一の部屋を訪ねると、准一はおらず、部屋の中には嫌韓本が落ちており、似たような本がたくさん本棚に並んでいるのに気が付いた。同じ頃から、一緒にテレビを見ながら夕食を食べていると、国際政治ニュースに対して、准一が怒りをあらわにすることが多くなってきた。母親は心配して、准一に尋ねた。
「准一。お前、最近、政治に興味があるみたいだけど、大丈夫かね。何やら過激な本を読んでるみたいだけど。」
すると准一はかっとなって怒鳴った。
「うるせえな。そんなの俺の勝手だろ。母さんは学がないから分からんだろうけど、今、日本は大変な状況に置かれてるんだ。北朝鮮の拉致事件とか、知ってるだろ。日本人として、許しておけないよ。在日の連中だってそうさ。あいつら、北朝鮮に手を貸してるスパイなんだ。ひとり残らずこの国から、叩き出してやればいいんだ。」
「そうかい。母さん、政治の難しいことはよく分からないけど、在日の人も何かしら理由があって、この国で生活しているんだろ。それを叩き出せなんて。」
「いいんだよ、母さんは黙ってりゃ。だいたい、在日の連中は、この国で暮らしたかったら帰化すればいいんだよ。それが嫌だったら、自分の国に帰ったらいいだろ。こっちはむしろ出てってもらいたいぐらいなんだから。母さん、知ってるかい。在日の連中は強制連行で日本に連れてこられたなんていってる奴がいるけど、本当はほとんどが自分の意志で来て、戦後も自分たちの意志でこの国に居座ってるんだよ。偉い先生たちもそう言ってるし、本にも書いてあるんだから。読んでみれば分かるよ。
まあ、俺がこの国の首相だったら、特別法案を提出して、在日の連中に帰化か帰国かの決断をさせるね。」
母親はため息をつきながら息子に言った。
「そんなことより、母さん、お前が無事に就職して、ステキな女性と結婚して幸せに暮らしてくれたら、それが一番うれしいよ。」
准一は横を向いて答えなかった。

その翌日、准一が部屋のベットで横になっていると、母親がやってきた。そして、なんでもない話をしながら、切り出した。
「ねえ、准一、ちょっと母さん、お前に聞いて欲しい話があるんだけれどね。」
すると准一はまたあれこれ言われるのをわずらわしく思い、追い払った。
「母さん、俺、今、気分が悪いんだ。後にしてくれないか。母さんは鬱陶しくてしかたがないよ。」
すると、母親は「そうかい。じゃあ、また機嫌がいいときにでもね。母さん、仕事に行ってくるよ」と言って、仕事に出かけて行った。

それからしばらくして、いつもの「勉強会」で、リーダー格の男が酒に酔った勢いで「北朝鮮に協力する在日の奴らはけしからん。やってしまえ」と言い出した。すると、もうひとりが冗談半分で「やろう、やろう」と同調し、准一も酒が入った勢いで「そうだ、そうだ」と話をあわせた。しかし、准一は、内心では、どうせ冗談だろう、明日になればみな忘れてしまうだろうと思っていた。しかし、それから、だんだん本当にやるという話になってきた。准一は当初は驚いたが、いろいろと話をするうちに、腹が据わってきて、自分たちがやらなければならないという気持ちになってきた。
「自分たちが在日の連中をやっつけて、この国から追い払うのだ。そうして、国民を目覚めさせ、弱腰の政府の尻を叩き、北朝鮮とのパイプを断ち、拉致された人たちを取り戻すのだ。そのための呼び水になるのだから、少々過激な行為をするのも、それで犠牲者が出るのもやむをえない。」
そんなことを考えながら、准一も思いを強くするようになった。季節は冬になっていた。

それと同じ頃、准一は、政治の勉強と両立させながら、母親に内緒でアルバイトを再開していた。短い時間のバイトばかりだったが、そのうちのいくらかをこつこつと貯めていた。そして、ある日、准一は街に行って、白い高価なカシミアのショールを買ってきた。そして、ある日、母親が夜の仕事に行こうとしたときに、それを手渡した。
「俺さ、最近、またバイトしてんだ。でさ、バイトの金、貯めてたんだ。お袋にショールでも買うかと思ってさ。」
すると母親は本当に喜んだ。
「ありがとうよ。お前がまた働き出したって聞いて、母さん、うれしいよ。こうしてプレゼントまで買ってくれて。お前は本当に優しい子だね。これから寒くなるから、助かるよ。ありがとうね。」
そうして、母親はうれしそうにそのショールを大げさに巻いて、仕事に出て行った。


それから数日が過ぎた寒い冬の夜。三人はかねてから話し合っていた計画を実行に移すことにした。在日の施設に待ち伏せし、そこから出てきた在日の人間を三人で闇討ちするのである。そんなことをすれば、自分たちが悪者になってしまうことは明らかだったが、これで平和ボケした日本人の目を覚まさせ、北朝鮮やそれに協力する在日に対する批判の呼び水になるのであればかまわないと三人は考えていた。

ところが、現場に行くと、リーダー格の男が准一に対して、「お前は遠く離れたところから見張っていろ」と言い出した。准一はこれに強く反対して、自分も加わると主張したが、リーダー格の男は「現場は見通しが悪く、どうしても見張りをつけておかなければならない」と主張した。そこで、准一はやむを得ず、真っ暗な夜道で遠くから二人のことを見守っていた。日が暮れて、外は寒く、准一は遠くで見張りながら、がくがく震えていた。

月の出ていない暗闇で、准一が遠くから施設の出入り口を見ていると、体格のいい男が出てきた。いよいよ襲いかかるのかと思ってみていると、何事もなくその男は行き過ぎてしまった。その後もうひとりの人間が通り過ぎていった。その様子を見ていて、准一はいらだってきた。また、その頃から、ちらちらと雪が降り始めた。

「ちきしょう、何やってんだよ。あいつら、ホントにやる気あんのか。それにしても、寒いや。今度出てきたやつを見逃したら、俺が行ってやってやる。」

そう思って、見ていると、それまでよりも小柄な人間が出てきた。

その瞬間、二つの黒い影が忍び寄り、バットが振り下ろされるのが見えた。鈍い音がして、ただひたすら殴り続けているのが遠くから見えた。それからしばらくして、二つの黒い影がこちらに向かって走ってきた。
「やったぜ、やった。」
「とうとうやっちまった。」
二人の服には返り血がついていた。
「何やってたんだよ。冷や冷やしたぜ。やる気あんのかと思ったぜ。」
「しょうがねえだろ。最初に出て来た奴は格闘技か何かやってんじゃねえか。ありゃは無理だと思って、もっと弱いのが出てくるのを待ってたんだ。まあ、作戦成功だ。」
「やったのはどんなやつだった?」
「分からん。年寄りじゃないか。とにかく逃げるんだ。」
三人は興奮して、暗闇を走り去った。

そして、准一は真っ暗な家に帰ってくると、シャワーを浴びた。シャワーを浴びていると、自分に返り血がついているような気がして、准一は何度も体を洗い流した。それから、ベッドに入ると、そのままぐっすりと眠り込んでしまった。


次の日、准一が寝ていると、電話が鳴った。准一は無視していると、電話が何度でも鳴り続けた。それでも無視していると、電話がかかってこなくなり、安心して寝ていると、今度は玄関のチャイムの音が鳴った。
「なんだよ、朝っぱらから。もう少し寝かせてくれよ。」
准一が無視して寝ようとすると、チャイムはいつまでも鳴り止まなかった。しかたがなく、准一は起き上がった。しかし、廊下を歩いているうちに昨夜のことを思い出した。
「もしかすると、警察じゃないのか。あいつら、まさか捕まったんじゃないだろうな。」
そう思って、ためらったが、いつまでもチャイムがなるので、玄関に出た。
すると、見慣れない男が二人立っていた。
「警察の者ですが。何度かお電話を差し上げたのですが・・・。」
二人は刑事だった。
「あの、その、警察が何か。」
准一は慌てた。

しかし、その次の瞬間、准一の目の前の刑事は予想外のことを言った。
「あなたのお母様のことについてなのですが。」
「お袋?お袋がどうかしたんですか。」
准一はびっくりした。
「そのご様子だと、まだご存じないようですが・・・。」
顔を見合わせる刑事の二人。一人が頷き、もう一人が切り出した。
「実は、あなたのお母様、朴幸子(パク・さちこ)さんが昨夜、在日の施設から出てきたところを何者かに襲われ、今日未明、亡くなりました。死因は脳挫傷ならびに打撲・裂傷による大量出血です。」
准一は呆然とした。
「ちょっと待てよ。何の話だよ。何でお袋が殺されなきゃならないんだ。朴って何だよ。何でお袋が在日の施設から出て来きて殺されなきゃならないんだ。訳分かんねえよ。」
准一は刑事に詰め寄った。刑事たちがお互いに顔を見合わせると、もうひとりの刑事が二人の間に入って、准一をなだめた。
手前の刑事は落ち着いて、話を続けた。
「そのご様子だと、もしかして、とは思いますが、あなたは、お母様が在日朝鮮人であることをご存じなかったんですか。」
唖然とする准一。


その後、准一はパトカーに乗せられ、警察署に向かった。
車内で准一の頭の中には、刑事から聞かされた話が鳴り響いていた。
「あなたのお母様、朴幸子さんは戦後生まれの在日韓国人二世でした。失礼ですが、この際ですから申し上げますが、こちらで調べたところ、お母様は離婚歴がありますね。若い頃、同じ在日朝鮮人の男性と結婚しています。で、この男性がいわゆるヤクザの幹部だったようです。その後、ある事件を起こして、二人は逮捕されています。夫は強制送還される一歩手前だったようです。その後、二人は離婚し、お母様はあなたの日本人のお父様と再婚されたようです。しかし、その後、日本国籍への帰化はしないまま、今日まで暮らしていたようです。」
別の刑事は言った。
「それで、お母様が在日の施設を訪れた理由ですが、どうも帰化申請についての相談に行っていたようです。『自分にはヤクザの前夫との離婚歴と逮捕歴があり、今の夫と結婚する前に帰化申請を試みたことがあるがうまくいかなかった。今でも帰化申請は難しいかもしれないが、何とか帰化したい。相談に乗って欲しい』と仰っていたようです。」
さらにまた、最初の刑事が言った。
「しかし、分からないのは、お母様の最近の心境の変化です。これまで20年以上、お母様は在日の人間との接触は一切なかったようですし、施設への出入りもなかったようです。それなのに、どうして急に帰化申請についての相談に出向いたのか。そこが分かりません。それが何か事件と関係あるような気がしているのですが。最近、お母様に、何か、心境の変化になるようなことはありませんでしたか。」
呆然として俯き、答えない准一。母親との会話が思い出される。

『在日の連中だってそうさ。あいつら、北朝鮮に手を貸してるスパイなんだ。ひとり残らずこの国から、叩き出してやればいいんだ。』
『そうかい。母さん、政治の難しいことはよく分からないけど、在日の人も何かしら理由があって、この国で生活しているんだろ。それを叩き出せなんて。』

『ねえ、准一、ちょっと母さん、お前に聞いて欲しい話があるんだけれどね。』
『母さん、俺、今、気分が悪いんだ。後にしてくれないか。母さんは鬱陶しくてしかたがないよ。』
『そうかい。じゃあ、また機嫌がいいときにでもね。母さん、仕事に行ってくるよ。』


警察署に到着した准一は変わり果てた母親の遺体と対面した。遺体のそばには血で真っ赤に染まった白いショールが置かれている。刑事が准一に言った。
「発見されたとき、お母様はこのショールに身を包むようにして丸くなっていたそうです。冬の真夜中に路上に放置され、出血多量で、よほど寒かったんでしょうね。」
そのとき、准一には母親の声が聞こえた。

『ありがとうよ。お前がまた働き出したって聞いて、母さん、うれしいよ。こうしてプレゼントまで買ってくれて。お前は本当に優しい子だね。これから寒くなるから、助かるよ。ありがとうね。』

「准一さん、どうか気を落とさないで下さい。劣悪非道な犯人は必ず我々が捕まえます。」
「どんな思想信条があるのか知らんが、こんなお年寄りを闇討ちするなど、言語道断。必ず捕まえて、司法の場に引きずり出し、しかるべき制裁を加えてやります。」


やがて、事態は急展開し、嵐のような報道がなされる。
「哀れ 在日の母、嫌韓の息子に撲殺される」
「盗人を捕らえてみれば、我が子なり」
「【社説】 ネット社会の闇 嫌韓で連帯感 寂しい日本の若者たち」
「【現代を斬る】 今回の事件と北朝鮮拉致問題は別物 民間の事件と政治問題を安易に比較することは許されない」
「嫌韓ブーム 溢れる他虐」

時を同じくして、准一の自供で連行される共犯の二名。自宅から手錠をかけられてパトカーに移送されるシーンが続けて報道される。


その後、時が経ち、丸坊主になり、刑務所で軽作業をする准一。魂が抜けて、人形のように突っ立っている。

『母さん、お前が無事に就職して、ステキな女性と結婚して幸せに暮らしてくれたら、それが一番うれしいよ。』



後記:

「書経」の「大禹謨」において、伝説の皇帝舜は、前の皇帝堯の政治を称えて以下のように述べた。
「衆に稽(かんが)へ、己を捨てて人に従い、無告を虐げず、困窮を廃せざるは、惟(こ)れ帝(てい)時(こ)れ克(よ)くす。」
(人の上に立つものとして、衆人の考えをきくようにし、私の非を棄てて人の善に従い、訴え所もない民を虐待することなく、困窮しているものを見捨てることをしない、こういうことは帝堯なればこそよくできることなのだ。(小野沢精一訳))
「無告を虐げず」、「無告の民」という言葉はここから出た。告げるところの無い人を虐げるものではないというのは、東アジアにおいては太古の昔から知られている考え方である。


私の母は在日韓国人二世である。しかし、冒頭にも述べたように、私は小さい頃母が在日であることを知らなかった。また、知ってからも、母はあまりそういった話をしなかった。特に日本が在日にひどいことをしたというような趣旨の話はほとんど聞いたことがない。
その中で覚えている話が二つある。
ひとつは、祖父が日本に移住する前に、日本の警察が横柄で、人のうちに勝手に上がってきて、食べ物を食べたりするので困っていたという話である。
もう一つは、戦後まもなく朝鮮学校が出来て、二番目の兄が先生をしていたのだが、ある日、学校から出てきたところを何人かの人間に取り囲まれ、殴る蹴るの暴行を受けて半殺しにされたという話である。そのとき、血だらけになって気を失った伯父の口には大量の唐辛子が詰め込まれていたと。どういう経緯でそうなったのか、犯人が日本人なのか同胞なのかなど詳しいことは分からないが、母の話では、伯父は三日三晩生死を彷徨い、祖母が泣きながら看病し、年の離れた小さい母は後ろに座ってじっと見ていたという。伯父は奇跡的に回復したそうだが、それ以来小学校の教師を辞めて引きこもってしまった。母が言うには、伯父はそれ以来伯父は人が変わってしまったと。私はその話の内容もだが、それ以上にそんな大変な話を感情を交えず淡々と語る母の語り口に強い感銘を受けた。


常々思うことだけれども、人の憎悪と当人が主張する憎悪の理由は必ずしも繋がらない。特に政治問題や歴史認識などの大きな問題になるほど、当事者以外の人間の感情的な主張は、どこか説明的で、話のすり替えがあるような気がしてならない。


北朝鮮拉致被害者の一人で横田めぐみさんという方がいる。この方には娘さんがいてキムヘギョンさんと言う。彼女は北朝鮮で生まれ、朝鮮人の父を持ち、自分自身を朝鮮人だと思って育った。つまり、自分の母親が日本人であることを知らなかった。その彼女が、北朝鮮による拉致事件が明らかになり、真相を知らされて、泣きながら記者会見で答えている姿は見ていて、私は気の毒に思った。
また、そのとき、私は上の話と同じことを彼女の身の上についても考えてみた。もし、彼女の母親が失踪しておらず(生きていると願いたい)、例の事件が明るみにならず、彼女が自分の母親が日本人であることを知らずに育ち、反日教育を受けて、その熱心な活動家になっていたとしたら、めぐみさんはどんな気持ちで子供を見ていただろうか。


人は何故、貴重な時間とお金を使ってわざわざ悲劇を見るのだろうか。冷やかしの理由は外した上で、突き詰めて言うと、その理由は2つあるように思う。
1.取り返しのつかないことを疑似体験することで、同じことを人生において起こさないようにするため。つまり、取り返しのつかないことを仕出かす前にそれを取り返すため。
2.恵まれた世の中において日ごろ忘れている可哀想な人を憐れむ心を呼び覚ますため。


このお話は日本人を主人公にして書いているが、別に主人公は他の国の人間でもかまわない。これと本質的に変わらない話はどこの国においても起こりえるからだ。例えば、ドイツ人の青年がネオナチに走り、ユダヤ人を襲撃したら、自分の母親だったということはありえるのではないだろうか。あるいは、中国人の青年が反日感情に走り、日本人を襲撃したら、中国残留孤児の母親だったということはありえるのではないだろうか。


サルトルは「人間は自由の刑に処せられている」と言った。
朝鮮人を襲う者も、日本人を襲う者も、ユダヤ人を襲う者も、黒人を襲う者も、白人を襲う者も、他教徒を襲う者も、皆、自由の刑に処せられている。


先ごろ、アメリカでは黒人のオバマ氏が大統領に選出されたが、早くも暗殺をほのめかす落書きやいたずらが目立っているという。オバマ氏が故キング牧師のように暗殺されないことを祈る。故キング牧師は暗殺される前日、最後の演説 "I see the promised land." において以下のように述べている。
"I may not get there with you."
(私は皆さんとそこに行けないかもしれないが。)
そこ(there)とはすなわち約束の地(the promised land)である。


私にも夢がある。私の夢は私たちの夢である。これについては以前にも書いた。

【説教】私にも夢がある。 R2 Draft1
http://ameblo.jp/toraji-com/entry-10115268849.html
【説教】私にも夢がある。
http://ameblo.jp/toraji-com/entry-10073005330.html


すべてのマイノリティに幸せを。
あなたたちの夢が叶いますように。

すべてのマジョリティに気付きを。
あなたたちが夢から覚められますように。


神は人間に二つの力を与えた。
ひとつは考える力であり、もうひとつは考え直す力である。
人間は正しいものを掴むために考え、間違って掴んだものを手放すために考え直す。
考える人は多いが、考え直す人は少ない。