個人的な金儲けに夢中になっている人は、小さい頃、テーブルを拭いたりしたときに、「あら偉いわね」と言ってもらえなかった人なのではないか。


つまり、「『自分にとって有用ではなくても、社会的には有用なこと』をする喜び」を知らないのだ。




「正論」から「意味」を汲み取るのは簡単だが、正論から「価値」を汲み取るのは難しい。


人間は、相手の意図を、音声や映像の形で、目や耳から受け取る。


音声や映像は頭に送られ、文字情報に変換される。


変換された文字情報から、意味が汲み取られ、心に回される。


心は、回された意味から、さらに価値を取り出す。


ここで、文字情報が正論の場合、この最後の処理が機能しないのだ。


正論を聞かされた人は、正論から意味を取り出すと、「それはそうですね」と言って話を終えてしまう。


彼はその正論から価値が取り出せなかったのだ。


なお、優れた詩は意味をすべて取り出さなくても、価値を取り出すことが出来る。


だから、優れた詩は、意味がよく分からなくても、感動することがある。




強気な個人主義者と弱気な博愛主義者


個人主義者は自分のことしかしないから、いつも強気である。


博愛主義者は自分以外のことをあれこれしようとして手が回らないから、いつも弱気である。




稲垣足穂だったか、


「男は本当のことを言い、女は相手の喜ぶことを言う。」


AさんがBさんに本音を言うとき、本音はAさんのものである。


AさんがBさんに喜ばれることを言うとき、それはBさんのものである。


本音は、聞き手のものではないから、聞き手にはその温もりが伝わらない。


つまり、本音は相手の心を暖めない。


女性、たとえば私の母は、いつも暖かい。




親しい人とは建前で付き合い、面識のない人とは本音で付き合う。




価値のある人は、価値論を道徳論より優先する。


だから、価値のある人は、道徳についてまったくの音痴である。




見切るのと見切りをつけるのは違う。


僕は君を見切ったが、見切りをつけてはいない。


君には更なる努力を希望する。




愛(アイ)は外国語(中国語)である、について。


今、あなたの目の前に、以下の英語の問題があるとしよう。


【問】 "I love you."を日本語に訳せ。


そのとき、あなたは何と訳すだろうか。


ある人はこう訳すかもしれない。


【答】「私はあなたを愛しています。」


すなわち、直訳である。


ところで、実際に、恋人に向かって「あなたを愛しています」という人が何人いるのだろうか。


実のところ、「愛しています」は言いにくい。


本来のやまとことばではないからだろう。


「人類愛」や「隣人愛」が、日常会話において、ぴんと来ないのも、同じ理由であろう。


なお、愛の訓読みは「いと(おしい)」である。




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【断片】日々、気付き、しばらく考えては、消えていくこと その3

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【断片】日々、気付き、しばらく考えては、消えていくこと その5

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