よく、前向きに生きることを人生の指針として唱える人がおるね。ポジティブ思考っちゅうんかのう。

それはええんじゃけど、気になるんは、「何事も前向きに取り組む」って言う人。


わしゃ思うんじゃけど、長い人生において、「何事も前向きに取り組む」っちゅうのは無理があるんじゃないかのう。


わしの個人的な経験から言うたら、あることに前向きになったら、それと正反対のことに対しては、後ろ向きにならざるをえんような気がするんじゃが。


キリストが「神と富」について、言うとるね。


「誰も2人の主人に仕えるこたあ、出来んので。

そがあなことをしよったら、一方を憎んで、他方を愛することになるで。

ほいじゃなかったら、一方に傅(かしず)いて、他方を甘う見ることになるで。

あんたらあ、神と富とに仕えるこたあ、出来んので。」

(マタイによる福音書 6 24)
http://ameblo.jp/toraji-com/entry-10039099113.html


富に使えることに前向きになったら、神に仕えることに対して後ろ向きにならざるをえんし、

神に仕えることに前向きになったら、富に使えることに対して後ろ向きにならざるをえんっちゅうことじゃのう。


善いことを前向きにやれば、なおのこと善うなるし、悪いことを前向きにやれば、なおのこと悪うなってしまうわのう。


また、悪いことじゃのうても、あんまりええことではないことに夢中になっておったら、善いことをする時間がなくなるよのう。例えば、ある人が仕事をほっぽり出して、株の売買やら、ギャンブルやらに夢中になっておったら、本業がおろそかになるじゃろう。


ついでに言うておくと、世の中において、私利私欲に絡んだことっちゅうのは、わりと前向きに取り組みやすいもんなんじゃ。逆に、必ずしも、自分の儲けにはならんけど、世のため、人のためになることっちゅうのは、なかなかやりにくいもんなんじゃ。少なくとも、それが軌道に乗るまではのう。


ほいじゃけん、ある人が、ポジティブにやることを前提にして、やりたいことを探しとったら、ご本人も知らんうちに、いつの間にか私利私欲に絡んだことばっかりやっとったっちゅうことになったりせんかのう、って心配するんじゃ。


ほいじゃけん、「前向きになる」っちゅうのは、あくまでもやり方の問題で、それ自体に善悪があるわけではないんじゃろうっちゅうって思うわけじゃ。



なんで、上のようなことを言うたんかっちゅうと、どうも、わしゃ、以前から、「前向きに生きる」っちゅうことをポリシーにしとるポジティブな人ほど、何をやりたいのかがはっきりしておらんような気がして、気になっておるんじゃ。


で、そういう人を見とったら、この人は、一度、立ち止まって、『自分が何をしたいのか、自分の人生において何をするべきなのか』を、じっくりと考えてみたほうがええんじゃないかのう、っちゅうて思ったりするんじゃ。


つまり、「何に対して前向きになるべきか」っちゅうことを考えるのを、ちったあ、前向きに考えてみたらええんじゃないかのうっちゅうて思うわけなんじゃ。


まあ、考えてばっかりおってもいけんけどのう。



結局のところ、人間っちゅうもんは、世のため、人のためになることを一生懸命やるのが、長い目で見たら一番ええんじゃなかろうか。これはわしが今日まで生きてきてのこの頃の実感じゃ。



まあ、そがあなことを今日は言いたかったんじゃ。



じゃあの。(`ω′)!


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