僕は文学が好きだといいながら、実はあまり小説って読まないんですよね。特に長編小説は苦手で。

でも、その僕が昔とても愛読した作家が2人いて、1人が太宰治で、もう1人が稲垣足穂です。特に大学時代だったんですけど、この2人の書籍を、僕は大学にも行かず、毎日のように家にこもって読んでいました。

最初に読み始めたのは太宰治で、高校3年ぐらいからではなかったですかね。で、太宰は大学の中ごろぐらいまで毎日読んでいました。「東京八景」とか、「人間失格」とか、ほとんど暗誦するほど読んでました。

足穂は最初に読んだのが高校の最後ぐらいで、本格的に読み始めたのは大学に入ってからですね。で、足穂にのめり込んでいくに連れて、太宰の方はだんだん読まなくなっていきました。

ただ、両者ともに、その著作のほとんどを最低3回以上は読みました。


おそらく、日本人の僕が足穂に、朝鮮人の僕が太宰に反応したのではないかと自己分析しているのですけれどね。


そんな訳で、僕が文章を書くと、わりと、太宰風の文体か、足穂風の文体になってしまうんですよね。影響って怖いですね。
でも、僕は、ある程度、この2つの文体を使い分けられるんですよ。

(これは、もちろん、スタイルの似た文章をかけるというだけの話で、同レベルの文章が書けるという話ではありませんよ。念のため。)


で、このブログを始めたとき、最初は足穂風の文章だけを書こうと思っていたんですよね。何でかというと、正直に言って、今の僕が太宰のことを昔ほど高く評価していないので。僕はもう10年以上彼の本を読んでいないし、今ではそんなに熱心な愛読者でもないので。

ところが、不思議なことに、今、僕が、実際に両者の作風に似た文章を書いてみると、圧倒的に太宰風の文章を書くほうが楽しいんですよ。で、今、僕はすっかりそっちに傾いてしまっています。


ただ、太宰の小説を読んだことがある人なら知っていると思うのですけど、太宰の文章、というより、彼の思想って、賛否両論が激しいんですよね。ある人は心酔するほど好感を持つのだけれど、別のある人は吐き気を覚えるほどの嫌悪感を感じたりするんですね。まあ、それだけ、太宰には人の心を捉える力があるということなんでしょうけれど。


その上で、僕が、今、とても心配するのは、僕の足穂的な部分を期待して僕の文章を読んでくれている人が、僕の文章の中に、太宰的な部分を見つけて、不快に思ったり、裏切られたような気持ちになったりしないかなあということです。なお、その逆のケースはあまり心配していませんね、僕が足穂のように少年愛モノの文章でも書かない限り。


思い出したのですが、大学に入学した頃に、足穂の写真を使った勧誘のポスターを見て、僕は現代詩研究会に入ったんですよね。で、あるときに先輩に好きな作家はと聞かれて、足穂や他の作家の名前を挙げると、その反応はよかったんですけど、その中で太宰の名前を挙げたときだけ、その先輩の表情が曇ったんですよね。「君は太宰なんか読むのか?」みたいな返事をされたのを覚えています。



太宰と足穂って一見何の関係もなさそうですけど、佐藤春夫を師事していたり、案外接点はあるような気がします。その接点の中で一番大きなものは三島由紀夫ではないでしょうか。

彼は、太宰のことが大嫌いだったんですが、その一方で足穂のことはとても尊敬していましたね。


三島が太宰を批判した著作としては「私の遍歴時代」がとても有名ですね。

ちょっと長いですけど、引用してみましょう。


「 私は以前に、古本屋で、「虚構の彷徨」を求め、その三部作や「ダス・ゲマイネ」などを読んでいたが、太宰氏のものを読みはじめるには、私にとって最悪の選択であったかもしれない。それらの自己戯画化は、生来私のもっともきらいなものであったし、作品の裏にちらつく文壇意識や、笈を負って上京した少年の田舎くさい野心のごときものは、私にとって最もやりきれないものであった。

もちろん私は氏の希有の才能は認めるが、最初からこれほど私に生理的反撥を感じさせた作家もめずらしいのは、あるいは愛憎の法則によって、氏は私の最も隠したがっていた部分を故意に露出する型の作家であったためかもしれない。従って、多くの文学青年が氏の文学の中に、自分の肖像画を発見して喜ぶ同じ時点で、私はあわてて顔を背けたのかもしれないのである。しかし今にいたるまで、私には、都会育ちの人間の依怙地な偏見があって、「笈を負って上京した少年の田舎くさい野心」を思わせるものに少しでも出会うと、鼻をつままずにはいられないのである。これはその後に現れた幾多の、一見都会派らしきハイカラな新進作家の中にも、私がいちはやく嗅ぎつけて閉口した臭気である。」


三島は太宰の弱さ、言い換えれば『自己憐憫』みたいなものを非常に嫌っていたわけですが、それは、結局、彼自身の心の中にある、そういう要素に対する自己嫌悪の裏返しだったのだろうと僕は思っています。結局、他人の心の問題は自分の心の問題なんですよね。

ちなみに、三島の小説は太宰の小説とかなり異なりますが、案外、三島が若者向けの雑誌などに書いたエッセイは、特にそのユーモアセンスなんかは、太宰のものによく似ていますね。


で、三島は太宰嫌いをまわりに触れ回るわけですが、そのまわりの人たちの中には太宰信奉者が少なからずいて、そういう人たちがついに彼を太宰の下に連れて行くのですよ。ちなみに、太宰と三島は世代が違います。太宰が全盛期に、三島はまだ無名な文学青年でした。


三島は同じ文章の中で、そのときの、その場の雰囲気を以下のように述べています。


「(前略)これは私の悪い先入主もあったろうけれど、ひどく甘ったれた空気が漂っていたことも確かだと思う。一口に「甘ったれた」といっても、現在の若い者の甘ったれ方とはまたちがい、あの時代特有の、いかにもパセティックな、一方、自分たちが時代病を代表しているという自負に充ちた、ほの暗く、叙情的な、・・・・・つまり、あまりにも「太宰的な」それであった。」


で、彼は一大決心をして、太宰の前に進み出てこういうんですよ。


「僕は太宰さんの文学はきらいなんです」


すると太宰は軽く身を引き、次のように答えたそうなんですよね。


「そんなことを言ったって、こうして来てるんだから、やっぱり好きなんだよな。なあ、やっぱり好きなんだ」

(ただこれについては、当時太宰の編集者をしていた野原一夫なんかは違う証言をしていたと思ったんですけどね。)


その後、太宰は玉川上水に入水自殺し、三島は大作家になりました。で、いつの間にか、三島自身も同じような目に遭うようになったそうです。

彼はこう書いています。


「思いがけない場所で、思いがけない時に、一人の未知の青年が近づいてきて、口は微笑に歪み、顔は緊張のために青ざめ、自分の誠実さの証明の機会をのがさぬために、突如として、「あなたの文学はきらいです。大きらいです」というのに会うことがある。こういう文学上の刺客に会うのは、文学者の宿命のようなものだ。もちろん私はこんな青年を愛さない。こんな青臭さの全部を許さない。私は大人っぽく笑ってすりぬけるか、きこえないふりをするだろう。」



逆に、三島は足穂については、澁澤龍彦との対談である「タルホの世界」の中で、以下の、あまりにも有名な発言をしていますね。


「僕はこれからの人生で何か愚行を演ずるかもしれない。そして日本中の人がばかにして、もの笑いの種にするかもしれない。まったく蓋然性だけの問題で、それが政治上のことか、私的なことか、そんなことはわからないけれども、僕は自分の中にそういう要素があると思っている。ただ、もしそういうことをしても、日本じゅうが笑った場合に、たった一人わかってくれる人が稲垣さんだという確信が、ぼくはあるんだ。」


で、この対談のすぐあと、彼は市谷の自衛隊に乗り込んでいって、切腹しました。



彼は、生前、太宰的なものを非難しては、若者たちに対して、体を鍛えろ、日光浴をしろ、健康に暮らせ、そうすれば、太宰みたいにならなくて済むんだ、とさんざん力説していたんですけど、結局、彼もまた自分から死に飛びついてしまった。


ちなみに、この事件後、たった一人わかってくれる人であったはずの足穂は「三島星堕つ」という文章を書きました。それは三島にとっては散々な内容だったのかもしれませんが、私が思うに、極めて的を得たものだと思います。皮肉なことですが、足穂はある意味で一番三島のことをわかっていたのかもしれませんね。


で、僕の個人的な経験から言えば、世の中には、この三島由紀夫的な性格の人が少なからずいます。で、僕がいつも困るのは、このタイプの人に対する接し方です。

このタイプの人は、僕が足穂的な面を見せると喜ぶんですけど、太宰的な面を見せるととても不愉快そうにするので、僕はその人の前では不用意にキャラを切り替えられないんですよ。なお、誤解のないように言うと、向こうは太宰的な僕を嫌なのかもしれないですけど、反対に僕は三島由紀夫的な性格の人ってそんなに嫌いでもないです。ただ、先方がこちらに対して極端な拒絶反応を示した場合に、どう接してあげたらいいのかを悩むのですよ。僕はその人の頭を撫でて、その額にキスをしてあげたいのですけどね。



余談ですが、西洋哲学におけるルソーはなんとなく日本文学における太宰に似ていますね。彼の著作である「告白」とか「孤独な散歩者の夢想」は、とても太宰的だと思います。特に、他人が隠したがっている部分を故意に露出したがるあたりは。ルソーについて知りたい人には、僕はEクレッチュマーの「天才の心理学」第2部第11章「予言者」を読むことをお勧めします。読んでごらん。

また、このルソーが大嫌いだったニーチェはなんとなく三島由紀夫に似ているように思います。ついでに言えば、足穂が好きだったカントがルソーを敬愛していたというのもなんだか皮肉な感じがしますね。

どんなに偉い作家や哲学者であっても、自分自身の性格的な影響ってどうしても抜けられないのかもしれませんね。

そんなことを考えつつ、今後、自分がどんな文章を書いていこうか、検討中なのです。


(別のブログの再掲)