世の中には「私は過去は振り返らない」という人がいる。個人的な経験からいえば、そういうことを言う人には、だいたい、正直で素直な人が多いようだ。


正直な人は過去を振り返る必要がない。何故なら、その人が行動したことに対する結果がどうであれ、そこには何のやましいことも存在していないのだから。


しかし、うそつきな人は同じことを言うことが出来ない。うそつきな人は、うそをつくたびに、それを自分の心の中に塗りこめて生きている。うそというものは、どんなにひどいものでも、その場でばれなければ、一見うまくいっているように見えるものだ。しかし、そうやって自分の心の中に塗りこめたうそをそのまま放っておけば、いずれは不発弾のように突然爆発を起こしたりすることもある。


例えば、ある人がお店で万引きをしたとしよう。そのとき、もしつかまってしまったら、その人は運が悪かったと思うだろう。しかし、僕は、つかまらないで済んでしまった方が、よほど運が悪いと思う。何故なら、働いた不正がばれないですんでしまうということは、それがいつまでたっても心の中において闇として残ってしまうことを意味するからだ。それはとても苦しかろう。万引きした商品の価格と比べてみても、わりに合うまい。



ある人は自分にうそをつく。そして、そのうそを正当化しようとして、理屈を立てる。うその上に立てられた理屈を、我々は屁理屈と言う。世の中にはこの屁理屈にしがみついて暮らしている人が案外に多い。屁理屈というものは、放っておけば、いずれは肥大化して、その人の心をまるごと飲み込んでしまう。そうなれば、その人は生きる屍にならざるを得ない。何故なら、他人を納得させることに明け暮れている人生は、もはや自分の人生ではないからだ。それでは、生きていて面白くないだろう。



だから、僕は、うそつきな人はときどき過去を振り返って、自分のことを反省した方がいいと思う。やってみると分かるが、不思議なもので、どんなに心の奥深くに塗りこめてしまったうそであっても、歳月が経てば、わりと客観的に見つめることが出来たりするものだ。そして、それを取り除くのは、案外、難しい作業ではない。


僕は、しばしば自分の過去を振り返って、心の中を掃除する。うそがいっぱい出てくる。それらに目を向けるのはとても不愉快な作業だけれども、勇気を出してやってみると、案外、簡単に取り除くことが出来たりする。すると、心の中がひとつすっきりする。そして、僕はそれまでよりもひとつ正直に生きていくことが出来るようになる。


僕は、今、この日記を書きながら、毎晩、自分の心の中の膿を吐き出している。それはとても苦しいことではあるけれども、ひとつ大きな膿が取り出せるたびに、僕はとてもよい気持ちになる。やってよかったと思う。


ただ、僕は、その際に、この日記を読んだ人の気分を害さないように気をつけなければならない。僕は、頭の中でどんなに自分の過去を追及しても、それを文章にして発表する際には、なるべく露骨にならないように気をつけているつもりだ。ときどき尻尾が出てしまったりするけれども。


(別のブログからの再録)