「今の日本を生きる人ならば、等しく読むべき本」

そう、強く感じました。


最低でも、政治や報道、創作に携わる人には読んでいて欲しい本。



東浩紀,津田大介,和合亮一,藤村龍至,佐々木俊尚,竹熊健太郎,八代嘉美,猪瀬直樹,村上隆,鈴木謙介,福嶋亮大,浅子佳英,石垣のりこ,瀬名秀明,中川恵一,新津保建秀
合同会社コンテクチュアズ
発売日:2011-09-01

絶望を語らない方法で希望を語ろうとしてももう語れない。
そういう状況にいま日本は来ていると思います。



現代日本を代表する論客、東浩紀さん。

その東さんが自ら会社を立ち上げ、出版している思想誌「思想地図β」。

そこに濃密に書かれている豊かな彩りを持った思考・提起・命題の数々は、世界と対峙し続ける我々に鮮烈な衝撃を与えてくれます。
これ程までに多大な知的刺激を齎してくれる本は、現代ではなかなか他にありません。



そんな「思想地図β」の2巻目となる今巻は、先の震災を受けた「震災以後」特集号。

1冊あたり635円の義捐金になるという事で、恭しく購入させて頂きました。




震災の後、マスメディアでも様々な報道は為されます。

それでも、これ程真摯に震災を捉え、考え尽くされた内容が詰まったものはないでしょう。


どういう現実があるのか。どういう未来があるのか。


作家が、詩人が、芸術家が、副知事が、オタクが、建築家が、ジャーナリストが、アナウンサーが、社会学者が、生物学者が、東京大学病院放射線科医師が。



今を生きる上では避けては通れないテーマに対し、様々な視点から研ぎ澄まされた思考と珠玉の言葉で以て凄絶に繰り広げた格闘の軌跡。

必読、という言葉が相応しい一冊です。






以下に個別のパート毎の雑感を書きます。




まず、巻頭の東さんの


震災でぼくたちはばらばらになってしまった。


という文言から始まる、圧倒的に熱の篭った言葉から揺さぶられます。

苦悩しもがき抜いた末に搾り出される、一切の虚飾や妥協を排した一人の人間のリアルな魂の叫びと祈りがそこに感じられました。




そして、詩人である和合亮一さんがツイッターで呟いた「詩の礫」を、被災地の写真と共に編纂したもの。

圧倒的な無情と絶望に支配されながらも、最後の一行に仄かに垣間見えます。



藤村龍至さんが建築家という立場から書いた「震災と建築」。

「リトルフクシマ」構想や、「列島改造論2.0」など、「復興計画β」は一読の価値があります。




ジャーナリスト津田大介さんの独自取材によるルポルタージュ「ソーシャルメディアは東北を再生可能か」

ツイッター等が果たした役割の分析もさる事ながら、自ら被災地で行った取材を基にした「メディアで伝えられない避難所の問題」が心に残りました。曰く、避難所ではソーシャルキャピタルを多く持つ「良い人」から居なくなる。結果として避難所は殺伐とし「不公平」を許さぬ空気が形成される。その為、全員に行き渡らない炊き出しや物資は廃棄するか受け入れ拒否をせざるを得ないという現実。


「震災で言葉に何ができたか」「震災復興とGov2.0、そしてプラットフォーム化する世界」でも触れられている問題です。

「公平性」という概念について考えさせられた問題です。

公平性から生まれる連帯感が現場で艱難辛苦を堪えて行く為には必要、されど極限状態の現場の人にしてみればそんな机上の論理は意味を為さない状況。


今までの震災とは大きく異なる状況下での、被災地に於ける大小数多の温度差。それらを解消、或いはそのまま担保して行えるような、復興の在り方。

こういったミクロな視点とマクロな視点が入り交じった多角的で深く突き詰めた内容の復興論は、他のマスメディアでは目に掛かった事がありません。こういったレベルの議論を政治の場でももっと行って欲しいと願います。




東さん、猪瀬直樹さん、村上隆さんの三者対談「断ち切られた時間の先へ」では、日本の歴史と照らし合わせて考えられる災害論と日本人の精神性が、興味深い話でした。

百人一首にもある「契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山浪越さじとは」という歌。

1000年以上前の歌でも、津波について歌われている。

閉鎖的な島国の中で、災害を当然の物・自然の物として或る意味で破滅と同居し、桜のような刹那的な美を愛する。
一人の日本人としてとても得心の行く物でした。
そして、「もう日本人には原発は管理できないのだから手放した方が良いのではないか」と主張する東さんに対し、「管理できない日本のままで良いのか」「もしも東京湾に原発を置いたらという思考実験」という言説を展開する猪瀬さんの対話も見応え抜群。


「攻殻機動隊」では、日本が放射能除去技術を確立しており、新宿に原発が置かれた未来世界が描かれていました。

あの大事故の後で、原発の存在を無条件に肯定出来る人は居ないでしょう。

しかし、100%忌避するだけでは、逆に未来の安全性を手放す事にも繋がってしまいます。何せ、世界中の原発がなくなる訳ではないのですから。

選択肢はあって良いと思います。




竹熊健太郎さんが指摘する、日本人の負の精神性は訂正していかねばならないものであるし、放射能と無関係であるコンテンツ産業を国策として勃興していく必要性は今後より高まるでしょう。


八代嘉美さんの提唱する人々と科学の付き合い方に関しては、一人一人が意識していかねばならない問題。

科学をファンタジーのように捉える趨勢は確かに存在しますし、半可通の知識で論じてしまう事もあります。

私自身、より深い理解をした上で向き合っていかねばならないと再度肝に命じました。


中川恵一さんの項での事にも言えることですが、専門家の言葉に不満を漏らす前に、先ず自ら率先して理解して行こうとする姿勢が大事でしょう。

ネット社会では勘違いしがちですが、徹頭徹尾与えられる物だけではないのですから。


和合さんと東さんの対談では、正しく冒頭の詩のように、絶望を超克した先にある峻厳な希望、という節が心に残ります。


震災以降に語られた言葉を、Googleの検索急上昇ワードやツイッターを元に分析した「災害言論インデックス」のデータも、世界の捉え方として一つの価値だな、と感じました。

ニコニコ動画に投稿された動画や、売上が義捐金として「キラ☆キラ」「メモリーズオフ」アプリ等にもコラムで触れられているのが、らしいな、と。


巻末には英語のレジュメもあり、実の詰まった文章なので英語学習の一環としても使えると思いました。