まず、創世記 第六章をお読み下さい。
2節では、『神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった』という意味不明な一行に出会います。ヘブライ語ではこの神の子は『Benei Elohim』と言います。 この『Benei Elohim』というのは一体どういう意味ですか? 一般的には天使だと思われがちですが、違います。 これらのものは高位の霊的な存在のものではあるが、天使ではありません。 また、聖書ではこの『Benei Elohim』の人間の妻をもらい、その肉体関係から産まれる者は『ネピリム』と呼んでおります。『Nephal』という語根から来ています。 『堕落した』という意味です。 このネピリムは凄い悪魔的な意味で超自然的な力を持っている霊的な存在のものだった。
元々の質問に戻るのですが、この『Benei Elohim』は一体どういうものでしょうか?
一つの説というのは堕落した天使達は地球上の女性達と人間関係を持って悪魔な人種を産んだという教えはあります。 昔のレビ達の説によると、神の子達はセトの先祖達を差しています。そして,自分の好む者の妻達はカインの先祖達だったと教える。つまり、混ざってはいけない二つの人種が混ざってしまったということです。 どの説が正しいか分かりません。 両方が間違っているかもしれません。 いずれにしましても、ここで表している原理というのは、神様の人々はそうでない人々と親しく交わってはいけないとのことです。 信仰者はそうでないものと結婚したり、親しい関係を持つのは危険です。親であったとしても、そうです。 特に危険なのは信仰者でないものから人生相談のようなアドバイアスをもらうことです。 そういう者は当然のことに神様の知恵を持っていなくて、適切なアドバイスを差し上げられる訳がないです。 世の中の考え方というのは調和生が全てであると唱えています。 しかし、これは神様の考え方ではないです。神様の考え方は聖別するために思いっきり差別をする方です。 あなたもト-ラの教えや原理に沿って生活上ではこうしてはいけない、それを食べてはいけない、あいう人と付き合ってはいけないと賢く差別されなければなりません。
次は、6章13節について語りたいと思います。この一節は結構深く考えさせられます。そしてここからはとても刺激的な余談の教えに移りたいと思います。13節は下記の通りです。
そこで神はノアに言われた、「わたしは、すべての人を絶やそうと決心した。彼らは地を暴虐で満たしたから、わたしは彼らを地とともに滅ぼそう。
この一節をよく読んで下さい。気ずいて欲しいポイントがあります。『彼らは地を暴虐で満たしたから』と書いてあります。 神様は地球が悪に満ちた原因は人間のせいにしている。サタンのせいにしていない。 人間の責任であると見なしている。 悪の存在について、昔のレビ達が中々キリスト教にはない考え方があります。一つは人間には良い技を行う傾向があると同時に悪い技を行う傾向もあります。つまり、人間は道徳基準の選択をする者であるとのことです。ロボットではありません。良いことをするか悪いことをするかの選択が出来るのです。
さらにもう一つ理解し難い点としては、善と悪の由来というのは神様にあるという少々受け入れ難い教えである。 目に見えるものと目に見えないものの全てを作った創造主である神様はこの世の中にある悪ももたらしたかとでも言うのですか? 魔王でもあるのですかと言うのですか? ある意味で仰る通りです。 確かに受け入れ難い教えだと思いますが、霊の世界には謎が多くて、言葉だけでは説明出来ないものが多多あります。 はっきり言って神様のマインドと霊の世界を説明するには人間の語彙力だけでは限りがございます。 そして、悪の由来を説明するのも、その中の一つの謎であり、言葉で説明するのも至難なわざです。 まず、しっかりとした説明をするのであれば、物理学も兼ねて幾つかの原理に触れなければなりません。最初はあまり関連性がないようように思われますが、不可欠必要な内容です。 先に進むのであれば、宇宙と物理学に関する話をしなければなりません。
まず、宇宙の働きと原理についてお話をしなければなりません。 なぜこの話は大事かと言えば、 私達は神様が創造された宇宙の中に存在されているため、好きでも嫌いでも宇宙の法則や原理に逆らう生き方は不可能な話です。例えば、重力の法則はその一つである。普段はあまり考えることはありませんが、宇宙ははっきりとした特徴を持っている。宇宙の働きについてより詳しくなると、より神様の本質が理解出来るようになる。
さて、物理学の世界で最近凄い科学的所見がありました。あまりにも新しい出来事だったため、あなたは知らないかもしれないが、その所見というのはわれわれの宇宙は偶然出きた訳ではなく、前もって計画されたデザインにより丁寧に創造されたという理論が理論としてもうなくなり、客観的な事実として認められるようになったとのことです。 科学コミュニティは200年間宇宙がデザインにより出来たという事実をずっと否定はしていたが、ある発見があったため、もう否定が出来なくなりました。 そして、世界中の科学者達の考え方をガラリと変えてしまったその新しい発見(アインシタインの相対理論を超えるぐらいの凄い発見かも)というのは10以上の次元が存在されているという否定出来ない証拠に出会ったことです。 もしかして、次元は11存在しているかもしれません。物理学ではこれは『ひも理論』と言います。
この幾つかの次元が存在されている、なぜこのことが理解されにくいかというと、今私達がいる宇宙は次元は四つしかないですから。 高さ、長さ、幅、と時、地球の宇宙ではこの四つしかありません。いくら最先端の望遠鏡を使っても、この四つの次元のものしか観察することが出来ません。 であれば、その他の六つか七つの次元はどこに存在されている。実はうちの宇宙には存在されていない。別の宇宙に存在されている。 物理学では、『パラレルワールド』という専門用語をよく使っている。 正直にこういうパラレルワールドはうちの宇宙の中には存在されているかもしれませんが、物理的に目に見えるものではありませんので一概には言えません。
この話はサイエンスフィクションにしか聞こえないかもしれませんが、昔のレビ達の書物を読んでいると、パラレルワールドについて書かれている。 実はこれらのレビ達が言っているのは、10の次元があると指摘され、そしてもう一つの11番目の次元は神様であると話している。この説はイエス様が生まれる前の時に語られている! そして、今現在になって、世界の最も立派な物理学者は数学の観点から見て、恐らく10か11の次元があると主張するようになりました。
この概念をより理解しやすくするため、天国を考えれば良いと思います。 天国はうちの宇宙の法則や原理に従わない世界です。また、天国はうちの宇宙に存在されていない一番確かな証拠というのは天国は『時』という次元の外に存在されている世界です。聖書では、『天国は永遠である』と書かれている。しかし、この『永遠』の意味は何でしょうか? 数えきれないほどの超長い間という意味ではありません。 天国は『時』という次元の外に存在されている世界であるという意味です。 聖書では天国は宇宙の一部であると書かれていません。よく考えてみて下さい。 神様が宇宙を創造された時に当然のことにご自身が創造されている宇宙の中にいたという訳がないでしょう。うちの宇宙とは全く別の領域にいたに決まっている。そして、その別の領域というのは、うちの宇宙の高さ、長さ、幅と時の次元の外にあるパラレルワールドであるとのこと。 この話は『悪の由来』と一体どういう関係があると考えているかもしれません。 任して下さい。完璧に関連している。もう少し頑張って読んで下さい。
では、問題なのはうちの宇宙の四つの次元の外に存在されているものをどうやって認識することが出来るのでしょうか? はっきり言って、これも結構至難の技です。 人間の五感だけでは、四つの次元の物しか認識出来ないですから。観察するのであれば、数学の方式を利用したり、立体物の変な動きがあった時にそれをちゃんと観察して記録を残したりするしかないとのことです。奇跡が起こったことも、うちの宇宙の四つの次元の外に他に次元が存在されている証拠でもある。紅海が半分に割った時などもそうです。 なお、トーラーの言葉もそうです。聖書もこの宇宙の外から来ているものです。そういう意味で聖書はこの世の中の全ての書物と本格的に違います。
もしかしてこの時点である人は高さ、長さと幅ははっきりと目に見えるものですから、次元であるということが分かりますが、何で『時』というものが次元になりえるのですか? 物理的なものではないじゃないですか? 自分の手で時を触ることが出来ないんじゃないですか? 時を認識出来る五感を持っていないじゃないですか?
時は宇宙の物理的な様子の大事な部分の一つであります。 古代時には星の動きと季節の変化を観察して時を測っていました。 太陽が回る一周で一年間を図る。一ヶ月間は月の動きで測る。また、一日(24時間の期間)を太陽の沈みと上がりで測ります。
しかし、時は一体どの様子を測るのでしょうか? 時は『老化』を測ります。 この地球自体と地球にある全てのものが段々古くなって来ています。 これは哲学的な理論ではありません。 化学的に証明されている事実です。聖書でも同じことが書いてあります。
しかし、宇宙の中に高さ、長さ、幅と時と全く関係のない不思議なものも存在している。聖書によると、その不思議なものは『魂』と言います。 全ての人間には存在されているが、宇宙の四つの次元では測れないし、認識することが出来ません。私達の中に留まっている魂はどうやって入って来たのだろうか? 神様が入れてくれました。更にまた凄いことに神様を信じていれば、神様のご自信の霊が私達の中に留まるようになる。これらの二つの霊はうちの宇宙の中に存在はしているが、うちの宇宙の一部ではありません! 別の『パラレルワールド』から来ているものです。 高さ、長さ、幅、と時の四つの次元とは関係がありません。魂や霊は5次元と言っても良いでしょう。うちの宇宙に存在はしているが、由来はうちの宇宙ではありません。別の世界から来ています。現代人には霊の存在が中々信じられない理由はやはり五感で感じ取れないからでしょう。 人間は基本的に塵で出来ていますが、神様が私達に命の霊も入れて下さった訳です。更に神様の信仰者には神様の霊も留まるようになります。
創世記第一章によると、神様は宇宙を作った時に宇宙の自然の状態というのは暗みだった。
創世記1章1-3節
はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
始めに全ては暗みの状態ではあったが、ある日に宇宙のどっかの外から神様の光が現れた訳です。 しかし、前回のレッスンにもお話しましたが、この『光』というのは物理的な明るさを発する太陽と星と違って、神様の精神的な光である。『神様の知恵やひらめき』というニュアンスの意味を持っている。このポイントをきちんと理解するのは大事です。 なぜかというと、創世記で使っている『暗み』のヘブライ語は『Choshek』と言います。意味としては、『憂鬱』、『嘘』、『知恵や真実に欠けている』、つまり、精神的な暗みを差している。 夜の時の物理的な暗みではありません!
改めて申し上げると、宇宙は始めに暗みの状態ではあった。そして、この暗みの状態に神様が始めに何を表したかというと『光』だった。ヘブライ語では『OWR』と言います。
では、ここで『悪はどこから来たのですか?』という質問に対してようやく答えてみたいと思います。 われわれの宇宙にある全てのものには自分の反対がある。電磁気学では『正電荷』もあり、『負電荷』もある。 うちの宇宙ですと、上があれば、必ず下もある。白があれば、必ず黒もなければなりません。前があれば、後ろもなければなりません。雄がいれば、雌もなければなりません。うちの宇宙ですと、例外なく全てのものが自分の反対が必ず存在している。なぜかこの四次元の宇宙はそういうふうに出来ているからです。神様がこの宇宙をそういうふうに作ったからです。 過去があれば、必ず未来もある。命があるのであれば、必ず死もなければなりません。 人生には辛いことがない限り、嬉しさというものを感じることが出来ません。人間には良いことを行う傾向もあり、悪いこと(罪を犯す)を行う傾向もある。うちの宇宙では全て存在しているものが例外なく自分の反対がある。 つきましては、悪の由来について説明をすると、宇宙でこの『反対の法則』が働いているために、善が存在されているのであれば、悪も自動的に存在していなければなりません。善と悪が完璧に繋がっている訳です。一つだけがあるということはあり得ない話です。 しかし、われわれの宇宙の外の世界では(天国やパラレルワールド)この『物事の反対の法則』は必ずしも働いている訳ではありません。 そして、黙示録で描かれている新しい天と地では、悪はもう存在しなくなり、善しか存在しない世界になる。 つまり、本質的に現在の四次元の宇宙とは全く違う世界になる訳です。
さて、ようやく一番難しい質問をします。この世の中の悪は誰がもたらしか? 悪を創造したのは誰ですか? その答えを探るため、み言葉をみてましょう。
まずアイゼア45章7節を見てみましょう。
『 わたしは光をつくり、また暗きを創造し、繁栄をつくり、またわざわいを創造する。わたしは主である、すべてこれらの事をなす者である』
この一節には鍵となるヘブライ語の言葉が四つあります: owr (光), choshek (暗み)、shalom (平和)、rah(悪)です。 以前『owr』と『choshek』を勉強したことがありますから、この二つの言葉の意味をよく分かっていると思います。 どちらも精神的な意味を持っております。『owr』は『知恵』や『神様の閃き』の意味を持っており、『Choshek』は全くその逆です。『精神的な暗み』、『憂鬱な雰囲気』、『偽り』などの否定的な様子の意味を持っている。
なお、『Shalom』は結構面白い言葉で、様々な意味を持っているが、簡単に言えば、『元気であること』『経済的な豊かさ』、『恵』などのような肯定的な意味を持っています。 神様による平和であるという意味です。 世の中から来る平和ではありません。 一方、『Rah』は反対の様子を表している。『悪』、『残酷さ』、『偽り』などである。つきましては、この一節の聖句によると、もし、神様が『光』を創造されるのであれば、一緒に『悪』も創造しなければなりません。『平和』を創造されるのであれば、自然に『平和ではない様子』も出来上がります。 全てを神様が創造されましたし、自分の完全無欠な計画を達成するために神様が作った全てのものを完璧に利用している。 神様が善と悪の両方を創造されたと書いてある聖句はこれだけであると思わないで欲しい。神様が場合と時と自分の意向により悪をもたらす者であると書いてある聖句は聖書の中に散らかっている。 例えば、以下のような聖句もあります。
アモス 3:6 町でラッパが鳴ったなら、民は驚かないだろうか。主がなされるのでなければ、町に災が起るだろうか
哀歌 3:38: 災もさいわいも、いと高き者の口から出るではないか?
さて、元々の質問に戻りますが、なぜうちの宇宙には悪が存在されているのでしょうか? その答えはわれわれの宇宙は『反対の原則』によりデザインされているからです。 つきましては、神様が『善』を創造された時に自然に(自動的に)悪もできた訳です。 しかし、ここで重要な概念が紹介されます。 神様が悪の創造主でもあると言いましたが、別に『悪』を製造したという訳ではないです。 神様がまず『善』を作ってから、その後に『悪』を作ったという訳ではありません。 われわれの宇宙は反対の原則によりデザインされているため、『善』を作った結果としては、『悪』が自然に出きた訳です。 完璧な例ではありませんが、例えば、電気がついていない真っ暗な部屋に入って、電気のスイッチを入れた途端、部屋が明るくなりますよね。そして、電気を消すと、部屋が暗くなりますよね。ここで質問です。電気を消した時に暗みが部屋に訪れたじゃないですか? しかし、その暗みを製造した訳ではないですよね。 『光』がない状態ですと、自動的に暗くなります。 神様が作った『光』も一緒です。神様の光、恵、良さがない状態になると、自然な結果として『悪』『偽り』『罪』が現れます。 なぜかと言えば、この宇宙は『反対の原則』により作られているからです。
長文となってしまいましたが、簡潔にまとめると、以下の通りとなります:
1) われわれの宇宙は高さ、長さ、幅と時の四次元だけで出来ております。
2) しかし、高さ、長さ、幅と時以外の他の次元も存在されておりますが、これらの次元はわれわれの宇宙の一部ではなく、別の宇宙の特徴となっております。 物理学ではこれは『紐理論』と呼んでおります。または『パラレルワールド』とも呼んでおります。
3) 魂または霊というのはわれわれの宇宙には存在していますが、由来はわれわれの宇宙ではありません。 五番目の次元と言っても良いでしょう。 聖書によると、神様が魂及び霊を別の世界から持って来て、人間の中に入れてくれたと教えています。
4) われわれの宇宙は『反対の原則』という原理により出来ております。 例外なく、全てのものが自分の反対がある。なお、『悪』の存在は製造されたものではなく、神様の光や良さがない状態となると、自然な結果として『悪』が現れます。
神様が人間を創造された時に人間に自由意志を与えました。 われわれは生まれた瞬間から自由意志を持っている。 さて、その自由意志というのは何のためにあるのでしょうか?モラル的な選択をするためにあります。 人間には自由意志がなければ、私達はロボットにすぎません。ただの奴隷にすぎません。 自由意志というのは生きて行く上で人間には選択があるということを知らせてくれるし、選択ができる能力もあるということも知らせてくれます。なお、そもそも自由意志で選択が出来る能力をどうやって出来たのでしょうか? その答えというのは神様が『反対の原則』により宇宙を作ったからです。 選択の定義自体は物事の反対を選べるという意味じゃないですか?『yes』か『no』を選ぶ権利があるからこそ選択になりえます。 しかし、勘違いをしないでほしいのは好みを選ぶこととは違います。 いちごよりバナナのほうが良いとか、チョコよりバニラがいいなというような選択とは違います。 自由意志というのはモラル的な選択をするために存在しております。そして、『モラル的な選択』の定義というのは神様がトーラーで教えてくれた生き方に厳しく沿って生活をするかしないかという選択です。
神様が人間に自由意志を与えた自然な結果として、『罪を犯す能力』(ヘブライ語でYetser Harah)もついてきました。 考えてみて下さい。『罪を犯す能力』はどいうことか? 神様の道と『反対』の道を選べる能力ということです。 言い替えれば、『罪を犯す能力』がなければ、『自由意志』を持っている意味がありません。北朝鮮で行われる候補者一人しかいない選挙みたいなものになってします。
神様がアダムとイブを創造された時に二人ともに自由意志を与えました。そして、エデンの園ではこれをしてはいけないというような戒めやルールはなかったようです。しかし、モラル的な選択が出来る対象となっているものは一つありました。それは善悪と知識の木でした。この木の果物を食べてはいけないという戒めがありました。もし、この善悪と知識の木がなければ、アダムとイブが自由意志を持っている意味がありません。言い替えれば、この善悪と知識の木がなければ、アダムとイブが本当に自由な人間ではありません。ただのロボットです。ただの奴隷です。
質問です。 アダムとイブが善悪と知識の木を食べる前までは『善』と『悪』はどういうものだったか理解を持っていたでしょうか? 恐らくその答えは『NO』だと思います。 その善悪と知識の木に出会うまでは『これをしてはいけない』や『それをしてはいけない』という考えすらはよぎることはなかったでしょう。神様に違反して始めて罪を犯してしまった時には今までなかった知識を手に入れたでしょう。裸であったことに気付いたし、今まで感じたことのない恐れも始めて感じました。
ご理解されましたでしょうか? 選択なしでは罪が存在しない。 そして、神様の律法は何の目的を持っているかというと、 人間が持っている自由意志を使うために選択を与える目的を持っている。 その善悪の知識の木はアダムとイブにとって一つのトーラーでした。
下記の通り、新約聖書ではポールが同じことを言っている。
ローマ人への手紙 4:15: いったい、律法は怒りを招くものであって、律法のないところには違反なるものはない。
または
ローマ人への手紙 5:13: というのは、律法以前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪として認められないのである
創世記16章13節に戻りますが、『彼らは地を暴虐で満たしたから』の状況ですが、サタンのせいにしていなく、人間のせいにしている。なぜか人間は自分の自由意志を利用して悪の道を選んだからである。 しかし、勘違いしないでほしいのは(キリスト教ではよく勘違いはするけど)、人間は100%悪ではありません。『反対の原理』を忘れないでね。人間には良いことをする傾向(ヘブライ語でYetser Tov)もあり、罪を犯す傾向(ヘブライ語ではYetser Harah)もある。そして、人間は罪を犯す道を選んだから、神様が地を暴虐で満たしたのは人間の責任だとみなしている。
神様はサタンのせいにしていないけれども、神様の意向によりサタンにも果たして貰っている役割もある。その役割とは罪を犯すようにと人間を騙したり、誘惑をしたりすることです。なぜ神様がサタンにそのような役割を果たして欲しいのでしょうか? 繰り返しになりますが、人間に罪を犯すか犯さないかというモラル的な選択を与えるためです。その選択がなければ、私達は本当の意味での自由を持っていないからです。
また、サタンは否聖霊(Unholy Spirit)です。 繰り返しになりますが、もし、われわれの宇宙は『反対の原理』により出来ているのであれば、聖霊が存在されているのであれば、その反対も存在しなければなりません。サタンは聖霊の反対の役割を果たしている。
結論としては、サタンに誘惑されることはありますが、私達は自由意志を持っているから、良い道を選べます! 祈り、トーラーの勉強と聖霊の導きにより、罪を支配することが十分に可能です。
長文となってしまったため、次回のレッスンで6章を終えたいと思います。
