早朝に、目が覚めてしまって、
でも携帯を見たら、5時間くらいは眠ったみたいで
ほっとした。
喉が渇いたからキッチンへ行って水をとってきて飲んだ。
飲みながらそういえば私は、心でも体でも、
調子が悪くなると喉が渇くタイプだったな~と思いだした。
体が疲れてあれ?体調が、と思うといつも喉が渇いて
水を飲まずにはいれなくなります。
でも体が水を飲みたいままにさせてあげと、
しきりにトイレに行きたくなるから困るけど、
でも風邪をひかずして、体調が戻ったりもする。
なんだかそれはまるですべてを
体の中から流してしまうかのようなんです。
最近頭の中が忙しすぎちゃったせいか、
自分の体のそういうことを、忘れていました。
それから今日、そうだ、
警察に電話しなきゃいけない!という用事を思い出して、
それで自分がふと、
そうやって英語でどこかへ電話しなきゃいけないことに
あまり負担を感じなくなってることに気がつきました。
ここへ来たばかりのときは電話が嫌いで
電話だと相手が何言ってるかわからないし
相手の言うことがわからないとすごく落ち込んだりもするし…
電話はいつも、避けてました。
でも最近私の中ですごく、
「対等」
っていう気持ちが芽生えていて
それは以前当然のように感じていた、
まるで英語ができないと「だめ」なような感覚、
まるで英語ができないと誰かのおまけのような感覚、
現地のひとに、話してもらっているような、
そんな感覚から抜け出た気持ちです。
英語はただの言語で、
「今ここまでできる自分」で
その状態で誰と会話をしても、
それで対等なんだと思うようになりました。
だって私たちはまるでケーキみたいに
このケーキ美味しい!でもこっちまずいねって言って
無視されたりする存在じゃなくって
私たちはまさに世界にひとつだけの花で
大輪のバラであって
小さなかすみ草にくっついてる、
あの白い小さな花でもあるんだと思った。
花であることに変わりなく
その誇りに、変わりない。
ただ生きていける環境や活躍する舞台が違うだけ。
それでこの前、
自分のビザの状態を確認しなくっちゃいけなくって
移民局に電話をしたときも
お兄さんがぺらぺらと説明してくれる話を
ふむふむと聞いて
最後に、「理解できた?」 と言われたとき…
そのとき私は
お兄さんの説明のだいたい60%くらいが解って、
40%くらいがわからなかったんだけど、
以前の私だったらその40%にひどく落ち込んで
40%がわからなかったことがばれないように
取りつくろったりしたように思う。
でもその時は、はっきりと、
「微妙でした。」と、言えました。
でも私のそんな答えにお兄さんはあははと笑って
もう一度最初から、説明してくれた。
それでも私は結局同じ部分が解って、
同じ部分が解らなかったので、こう言った。
「60%くらい解ったと思う。
その60%っていうのは、
私のビザがひとまず今の状態で大丈夫だっていうことと
大学を卒業して
大学がこの子卒業しましたっていう報告をそっちにして
それから28日以内にビザの更新をしなきゃいけないこと。
そこがわかってたら、大丈夫…?」
するとお兄さんはうなづいて
「だいたいそこがすべてだから大丈夫。
とにかく卒業後、
ビザの更新が必要になったらなるべく早くまた連絡してね。」
と言ってくれて、電話が終わった。
電話を切ったあとの気持ちは、普通。
私のいまの英語のリスニング力は本当に、
60%くらいかな~と思います。
その60%は相手や状況によって10%くらいに
がたんと落ちたり、
90%くらいに飛びあがったりするけれど
10%のときも90%のときも、
私っていう人間のなにかが変わるわけじゃない。
人間を価値っていう言葉で表現するのは
またどうなのかと思うけれど
今ぴったりの言葉が見つからないのでこのままいくけれど、
人間の価値は、その人が持っている能力に、
左右されないんだと思います。
すごい高いとびばこが飛べても(変なたとえですが)
海の底の底までもぐれても、
縄跳びが飛べても、
飛べなくても、
さっき生まれたばかりでも
明日100歳の誕生日を迎えても、
金メダリストも
無名の画家も、
先生も生徒も村長も村人も
ブラピもトキオもマツダもホンダも。
(韻をふんでみました)
すごい人はいっぱいいるし、
努力する人はえらいし綺麗だし、
才能がある人にはその才能に、惚れてしまうこともあります。
でもそれでも人間は、対等なんだなと思います。
今の私の60%がたとえばいつか100%になっても
そのとき60%の人とも一生60%の人とも、
私は対等。
忘れないようにしようと思う。