キム ジュンヒョクの短編集『楽器たちの図書館』に続き、『ゾンビたち』を読んだ。

主人公、チェ ジフンの仕事は電波チェック。日々の生活のほとんどを車の中で送っている。兄の遺品であるLPレコードの1枚、「ストーンフラワー」のことを調べにメトロの歴史図書館へ行き、そこで働くデブデブ130と出会う。ストーンフラワーのリーダーだったイアン・ディビスの自叙伝を読み、ストーンフラワーというバンドに引きつけられた2人は、自叙伝を翻訳したコリオ村に住む、ホン ヘジュンに会いに行くことを決めた。3人は意気投合し、ジフンはコリオ村の近くに住むことになった。

 

コリオ村には基地がある。ゾンビはコリオ村の基地で作られていた。遺体を買い取りゾンビとして生き返らせていたのだ。生き返らせるといっても、考えて行動できるようにするわけではない。ただ、動けるようにする、音楽に反応するようにするだけである。基地の中で音楽を流し、ゾンビたちを引き寄せ、スマートブリットという無線信号で動く弾丸でゾンビたちを殺してしまう。軍人たちが罪悪感を持たずに銃を撃つ練習が行われていたのだ。

 

恐ろしい。恐ろしいと思うのは、「これは、小説の中の話」とならないからだ。「軍人たちが罪悪感を持たずに銃を撃つ」、そのためなら、軍隊なら何でもやりそうに思うからだ。

 

遺体を買う仕事をしているのが、ケゲル。人を殺し自分も命を絶ったり、麻薬に手を出した末に命を落とした者たちの遺体を、ケゲルは買い取っていた。個人の罪を家族が背負う必要はない。けれど、人であれば、自分の子どもが犯罪者となれば自分に見落としがあったのではと思うのではないだろうか。社会の視線も冷たくなる。そこに、ケゲルがあらわれ遺体を買い取りたいと話す。条件は、コリオ村でひっそり暮らすこと。家族は買い取られた遺体が軍に持ち込まれ、ゾンビとなり、軍人たちが銃を撃つための練習台となることは知らない。

 

小説は、ゾンビたちを逃すところで終わる。ゾンビを逃すことが一つのドミノを倒すこと。ドミノ倒すことで、別の出来事が始まる。小説は、そのように終わる。

 

 

 

『ゾンビたち』

キム ジュンヒョク/著

小西直子/ 訳

論創社 2017.12(初版第1刷)