自ら命を断ってしまった従兄が僕にはおります。
僕と同じ病気で、その病気やいろんなことも含めて、生きることに絶望して死を選んでしまったのでしょう。
自ら命を断つことの
その是非を問うことは僕はしません。
命を断つだけの理由が
その道を選んだ人にはありますから。
また、この世界に生きている
僕が出来ることは、
従兄の死を悲しみ続けることではなく
従兄の魂があちらの世界で
笑顔で幸せに生きていられるように、と
そう祈り捧げ続けることだけ、なのです。
これは従兄が亡くなってから
その数年後に訪れた現象なのですが
ある夜、寝ていると~突然、僕と従兄しか知らない現象が起こったのです。※その現象は僕と従兄としか知り得ないことで、ちょっと文章にするにはあまりにも「恥ずかしくて、くだらないほどの愉快な現象」だったのです。
※現象の内容を書けなくてごめんさい。僕と従兄しか知り得ない〜そのくだらないほどの愉快な現象を言葉にするとドン引きされてしまうので、この点は伏せさせていただきます。(汗)
ここで言えることは
その現象に関連する思い出は
とても愉快なことだった…とだけ
記しておきましょう。
その現象~僕と従兄しか知りえないことが起こった時に「ああ、従兄は自ら命を断ったけれど、今はそちらの世界で幸せに生きているのだなぁ」と僕は知ることが出来ました。
従兄はきっと僕を安心させるために、僕と従兄しか知らないやり方で、僕にメッセージをくれたのだと想います。
よくスピリチュアルな世界の一説で、自ら命を断った方は~その後、あちらの世界で暗闇に包まれて~長い長い年月を掛けて反省をしなければいけない…と言われていたりもします。
それが本当なのか?
それともこの世界に生きる方で~今、死を選ぼうとしている人を止めるためにある説なのか?は僕には正直わかりません。
ただ、従兄のことを改めて想うと
従兄とは~お互い社会人になり、それぞれの人生を歩むうちに関わることはほぼ無くなりましたが、けれども従兄と遊んだ子供時代は僕にとって「本当に幸せで眩しい時間」でした。
僕は命を自ら断つことは推奨しません、が
それと同時に命を断ってしまった方々を
責めることはしたくありません。
先ほども述べましたが
僕等が出来ることは
彼らの魂があちらの世界で
笑顔で幸せに生きていられるように、と
その祈りを捧げ続けることだけ…なのです。
この記事は
手相に関連もしませんし
お役立ち記事にはなりませんが
先にあちらの世界にいる
従兄に届けばよいなぁ、と想います。
その人を想い、
文章に書くことは
相手への祈りともなりますからね。
この記事の最後に
従兄に言葉を届けるとしたら
いつか、そっちの世界で再会する時が来たら~また、二人でいろんなところを散歩したり、野球をしたりしような、ですね。
僕の人生で、従兄と遊んだ日々は
ほんと~に楽しい時間でしたからね。
従兄!!この世界で
共に笑いあえたことを
僕はずっと忘れないよ!!
そして、神様!!
この世界で彼と出逢わせてくれて
本当にありがとう!!
本日は自己語りの記事ですが
お読みいただきありがとうございました。
あなたも祈りを届けたい方がいれば
その方を想い言葉を紡いでみてくださいね。
その想いは時空を超えて大切な方に届きますから。